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泡沫の夢(1)

「ここは……」

「! アレクさん、目が覚めましたか?」

「アリア……?」


 目覚めたアレクが一番に見たのは、心配そうにアレクの顔を覗き込むアリアの姿だった。

 レスターが生きていると聞き彼を迎えに行くのに馬を走らせ、彼と再会したのち馬車に乗って中軽症の魔術師や騎士たちと共に王都へ戻る途中で魔物に遭遇したことまでは覚えている。

 ズキズキとする後頭部に触れてみれば、こぶのようになっているような気がした。


「よかった……。昨日、王都へ戻ってくるときに魔物と戦闘になったそうで……」

「あぁ……そうか、俺……魔物と戦闘になって、その時に倒れちゃって……」


 なんとなく、記憶はある。戦闘中、魔物が飛びかかってきて後ろに倒れた。それ以降の記憶がないので、きっとその時に気を失ったのだろう。

 しかし、もうすでに外は明るいようだ。戻ってくるときは黄昏時であったから、半日以上眠っていたのだろう。自分が倒れた後、同行していた騎士と魔術師が魔物を退治し王都へ戻ってきたと言うのは想像できた。


「昨夜、アレクさんが倒れて目を覚まさないと聞いて心配していたんです……」

「そうか、心配させてごめん。……レオン様は?」

「お兄様は、昨夜フォルヴァ区で貴族のご令嬢が人質に取られた立てこもり事件が起こったそうで……そちらへ行っています」

「レオン様自ら……? 昨夜からって、もう朝だろう?」

「はい、まだ戻っておられません……」

「アリア様、レオン様の事は心配されなくても大丈夫ですぞ。何しろ、レオン様は大陸一の剛の者ですからな」

「サムエル様」


 アリアの外出時、常に彼女と同行しているサムエルの姿があった。彼もアレクの事を心配してくれた訳ではなく、アリアが外出するために同行しているのだろう。

 と、いう事はここはエクスタード家ではないという事かと……確かに、部屋の調度品がエクスタード家のそれではないと、アレクも今更ながらに気づく。ここはどこなのかとも思ったが、恐らくは王宮だろうと想像はできた。

 何しろ、アレクは騎士団・魔術師団の者たちと一緒に戻ってきたのだから……


「大陸一の、剛の者……ですか?」

「えぇ、それはもう。レオン様は普段温厚なお方ですからとてもそうは見えないでしょうが、一度剣を抜けばまさに鬼神の如く。年に一度騎士たちの実力を測るため試合を行うのですが、十五歳で騎士団に入団したその年……すべての試合を数分以内で勝利し、頂点に立ってしまったのです。翌年も当たり前のように優勝し、ベイジャー様から『お前が出場すると試合が成り立たない』と言われ、それ以降試合への参加ができなくなってしまったほど」

「へぇ……。レオン様がとてもお強い事は知っていますが、そんな事があったんですね」

「これは秘密ですが……アリア様のお父上の、ベイジャー様も本当にお強いお方でした。我々エクスタード家の騎士たちが、五人で挑んでもやっと互角かどうかとくらいでしたが……そのベイジャー様を、レオン様は十三歳の時に打ち負かしてしまった程です」

「騎士五人で戦って互角の相手を、たったの十三歳で!?」

「えぇ。非公式な試合でしたし、ベイジャー様が手を抜いたと思われるかもしれませんが……ベイジャー様もレオン様の剣の腕を知っておりましたので、まさに真剣勝負でした。この話は知っているものは私を含め数名のみです。ベイジャー様と騎士団の名誉のためにも、くれぐれも他言は無用で」

「……そうですね。騎士ではない十三歳の少年に負けたなんて、過去の話とは言えベイジャー卿や騎士団の評判を落としかねない」

「まぁ、今やその少年が立派な大人になられ、騎士団長を勤めている訳ではありますが」


 サムエルは苦笑いをするように、眉を下げる。ベイジャー卿の乳兄弟だと言う彼は、ベイジャー卿の事も幼少期のレオンの事もよく知っているのだろう。

 元々はベイジャー卿の側近として、幼い頃から彼と共に剣を交えていたそうだ。天才の異名を欲しいままにしたベイジャー卿は、彼の憧れでもあったと同時に自慢の『弟』であったと以前アレクに稽古を付けた後で語っていた。

 その彼の息子のレオンに今こうして信頼してもらい、アリアの警護を任されている事は彼にとっては何より名誉な事だろう。


「レオン様が出ていらっしゃるフォルヴァ区の件も、直に片が付きましょう。ご令嬢を人質に立てこもっているという話ですが、相手は一人です。既に朝になっておりますし、犯人の男の体力がどこまで持つか」

「……犯人は昨夜から、ずっと起きている訳ですよね。それはお兄様も同じですが……」

「先ほど騎士が交代のため現場に出ております。小隊の隊長も向かったようですし、レオン様も恐らくはその小隊長と交代で戻って来られる。犯人と斬り合いになったと言うような話も入っておりませんし、心配するだけ杞憂であったという事です」

「えぇ、そうだと良いのですが。早くお兄様にも、アレクさんの目が覚めた事を教えてさしあげたい……。お兄様は昨夜、アレクさんが戻ってきた事を聞いてお城に戻られて、そこで事件が起こってお出になられたそうですから」

「レオン様にも心配させてしまったのか、申し訳ないな……。あ、そう言えば。俺の妹の旦那の、レスターは? 俺が迎えに行った時、あいつ眠っていて話ができなかったんだ」

「グランマージ家で療養されているそうです。数日間ほとんど飲まず食わずだったので衰弱はしていますが、命に別状はないと」

「あいつも驚くだろうな、目が覚めたら王都で貴族の家にいるなんてさ。……会うのが楽しみだよ」


 アレクがそう笑うのと同時に、部屋の扉がコンコンと叩かれる。サムエルが立ち上がり、部屋の扉を開けた。

 扉を開けた先に居たのは、鎧を身に纏ったままのレオン。立てこもりの現場から戻って、そのまま来てくれたのだろうと言う事がわかる。


「おぉ、これは噂をすればレオン様。おかえりなさいませ」

「アリアとサムエルも来ていたのか。……私の話をしていたのか?」

「えぇ、レオン様がいかにお強いかをお二人に聞かせていたところです」

「……お前が言うと、誇張がすぎるだろう」

「そんな事はございませんよ。レオン様は、いつもご謙遜なさる」

「そんなつもりはないのだが……。アレク、起きていたのだな。体調はどうだ」

「レオン様、ご心配させてしまい申し訳ありません。ちょっと頭がズキズキしますが、身体の方はなんともありません」

「それは良かった」

「お兄様、フォルヴァ区の立てこもり事件は……」

「あぁ、一応は解決した。犯人は刃物を持っていたようだから、迂闊に手を出して誘拐されたご令嬢を傷つけられても困ると、中々動けず時間がかかってしまったが……」

「そうですか。でも、解決したのなら良かったです」

「それが、良かったとは言えなくてな」

「……何かあったのですか」

「犯人は元々ゴードリー家の使用人で、夫人と密会をしていたために解雇された男なんだ。職を失い自棄になってこんな事件を起こしたが、捕まって厳罰が下るのも生きてこの後惨めな生活を送るのも耐えがたいと思ったのかもしれんな。人質にしていた令嬢を巻き込んで、立てこもっていた廃屋の屋上から飛び降りた」

「な、なんてことを……」

「それで、犯人とご令嬢はどうなったのです?」


 レオンの言葉は、衝撃だった。人生を悲観したのだろうが、人質にした令嬢を巻き込む必要はなかった。アリアも眉を下げ、絶句している。

 きっと今まで様々な事件を見てきたのであろうサムエルだけが、レオンに対しその話の続きを問う。


「……ご令嬢は、私が下で受け止めてやる事ができたから無事だ。男に傷一つも付けられてもいない。だが、恐怖で気を失ってしまったようで、隣の救護室に寝かせている」

「犯人の男は……」

「そうだな……高所から卵を落としてしまった時の事を想像すると良いだろう」

「…………」


 一同が、静まる。レオンは生々しくないよう、言葉を考えてくれたのであろうが……それでも想像には耐えがたい光景を思い浮かべてしまった。

 特に、魔物と対峙して頭を打ったばかりのアレクは思わず、転倒し頭をぶつけた際に後頭部が割れていなくて良かったと思う。

 ふとレオンの足元を見ると、白い脛当てに飛んできたものと思われる赤黒い血痕のようなものが残っていた。


「皆も知っての通り、自死は主の教えに反する。罪を犯したのならば、その罪を償えと言うのが主の教えだ。犯人を自死させてしまったからには、無事解決とは言えない」

「しかし、何の罪もないゴードリー伯の令嬢は無事だったのです。レオン様のお手柄でしょう」

「あぁ、ご令嬢が無事で良かったよ。まだ十歳にもならない少女だ。怖かったろう」

「そんなに小さなお嬢様だったのですね。ふふ、助けてくださったお兄様の事を、運命の人だなんて勘違いしてしまわなければ良いですが」

「確かに、レオン様に助けられたなんて運命だって思っちゃいそうだ。」

「何を言う、私はもう既婚者だぞ。さて、それはともかく私は陛下へ報告も行かねばならない。アレクの事は後でゆっくりと聞こう。サムエル、すまないがお前も少し一緒に来てくれないか」

「はい、レオン様」


 レオンとサムエルが部屋を出て行って、アリアと二人きりになる。いつまでも寝台にいると、いつまでも怪我人のようだと……アレクも寝台から出て腰をかけ直す。

 打った頭がまだ少し痛いくらいで、他には身体の調子が悪いところはなさそうだから問題はないだろう。

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