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記憶(3)

「レオン、おかえりなさい!」


 その夜、レオンは三日ぶりに屋敷に戻る。レオンが帰ってきたことを聞いたエミリアが、部屋から出てくると階段を駆け下りてきてレオンに飛びついてきた。


「あぁ。ただいま、エミリア」

「もう、三日ぶりだって言うのにいつもの顔。私は寂しかったのよ? もっと嬉しそうな顔をしてくれても良いのに」

「自分だけが寂しかったとでも言いたいのか? 私だって早くこうして、君を抱きしめたかったよ」


 レオン自身も自室へ行こうと階段を上っていたところで、階段の踊り場でエミリアを受け止め……熱い抱擁をして軽く口づけて。

 家臣達がいるが特に気にはしない。この程度の事であれば挨拶と変わりがないのだ。


「随分と元気なようだが、今日は体調は良いのか?」

「えぇ、それが不思議と体調不良はどこかに行ってしまったの! 世界の色が変わったように見えるわ」

「そうか、それは良かった。アレクは戻って来ているか?」

「いいえ、まだよ。昼前に出て行ったけれど、往復するのにもそれなりに時間がかかるでしょうし……。戻って来ていたとしても、まだグランマージ家じゃないかしら。アシェルちゃんのご主人が生きていた事、私も聞いたわ。本当に良かった」

「あぁ、本当だな。さあ、エミリア。夕食にしよう」


 エミリアの悪阻が治まったようで、レオンはほっとする。子供ができたとわかってから、エミリアはいつも具合が悪いと言って鬱々としていた。

 エドリックにフローラが妊娠中はどうだったのかと聞いたが、一人目の時は悪阻など全くなかったせいで妊娠した事に気づいたのも随分経ってからだったそうだ。

 二人目と三人目は悪阻があったが、二人目の時は随分と長い事悩まされていたらしい。三人目は一月ほどで治まったので人による、体質によるとも言えないんじゃないかと言っていた。

 食堂の方へ向かえば、アリアもやってくる。アリアも貴族の娘としての振る舞いが、板についてきたように見えた。


「お兄様、おかえりなさいませ」

「あぁ、アリア。ただいま。今日もエドリックの夫人は来ていたのか?」

「はい。舞踏のお稽古を……」

「そうか、上手くなったか?」

「今日は、サムエルさんにお相手を務めて頂きました。少しは上達したと思います。お兄様さえよろしければ、後で一曲お付き合い頂けませんか?」

「あぁ、構わない。……君の義姉が嫉妬しなければいいが」

「もう、アリア相手に嫉妬なんてしません」


 あまりにも平和すぎて、東の国境沿いでは魔物と交戦中という事が嘘のようだった。そもそも多くの国民は東に魔物の大群が現れた事すら知らず、日常のまま生活をしている。

 もちろん騎士団と魔術師団が大勢遠征に向かったのを見て、何かあったのかと思っている住民もいただろうが……彼らもそう思ったのはその時だけで、騎士団と魔術師団が遠征に行ったことなどもう既に忘れてしまっているに違いない。

 皆で席に着けば、使用人達が食事を持ってくる。談笑を交わしながら、食事をはじめ…数分が経った頃だった。


「公爵、お食事中に失礼いたします。魔術師団の者が参りまして、公爵の従者のアレクが戻ってきたそうですが……」

「そうか。魔術師団の者が来たという事は、何かあったのか?」

「はい、それが……戻ってくる途中で魔物と遭遇したそうで、彼も負傷したと……」

「負傷? どの程度の負傷なのかは、何か言っているか?」

「命に別状はないと思われますが、頭を打ったようで……気を失ったまま目を覚まさないとの事です」

「それは、心配だな……」

「はい。今は王宮の、兵達の救護室にいるとの事です」

「わかったと伝えてくれ。食事が終わったら、私も様子を見に行こう」

「承知しました」

「アレクさん、大丈夫でしょうか……」


 アリアが食事の手を止め、心配そうな顔をする。命に別状はないという事だから、安心しろと言うべきだろう。

 しかし、頭を打って目を覚まさないとなると安易に大丈夫とも言えない。確かに命に別状はなくとも、そのまま何日も……いや、永遠に目を覚まさないなんて可能性がないわけでもない。


「あの、お兄様。後で一曲お願いしますと先ほど申し上げましたが……」

「わかっている、そのような気分にはなれないのだろう。また今度にしよう」

「はい」


 レオンも……アリアのアレクへの想いに、その恋心には気づいていた。レオンも立場上色々な家の貴族と話もすれば、騎士団には貴族の家の嫡男も複数所属している。

 アリアを嫁にやるのであればどこの家が良いかと考えなかった訳ではないし、複数の貴族からアリアに会わせて欲しいという申し出も受けていた。

 だが本人の気持ちがアレクにある以上、望まぬ結婚をさせたくはない。エミリアに聞いたところによると、本人は想い人などいないと否定しどこかへ嫁ぐ事は覚悟しているようではあるが……

 エドリックの言っていたアレクの『好きな子』と言うのも、恐らくはアリアだろうと言う事も……レオンもそれを察している。アレクは基本的にエクスタード家かギルドか王宮が行動範囲なのだから、その中で彼が交流を持つ異性はそう多くはないはずだ。

 公爵家の娘と狩人……平民の子である二人は、確かに身分は釣り合わない。アリアの身分を平民から貴族へ吊り上げてしまったのはレオン自身であり、エクスタード家の現当主がレオンである以上、その身分違いの恋を許してやれるのもまたレオンだけ。

 平民として育ってきたアリアに対し、貴族社会の事を全て押し付けるつもりはない。だからこそ、二人が想い合っているというのなら……その恋は応援してやろうと思っている。


 ここ三カ月ほど、アレクの事を見てきて彼が真面目な男だという事も知っていた。何より、アレクの事は珍しくエドリックが気に入っているのだ。

 エドリックは他人の事が全てわかるせいか、裏表のある人間を何よりも嫌う。人間誰しも多少なりとも表と裏の顔を使い分け、他人の前では良い顔をするものであるが……エドリックの前ではその一般的な範囲を超える『裏の顔』は通用しない。

 エドリックがアレクを気にいるという事は、彼は本当に純粋な男なのだと言う事だと、レオンはそう理解している。そんな男だからこそ彼が、アリアがそう望むのならば……大切な妹をアレクに任せても良いと思っているのだ。


 食事を終えた後、レオンはまた王宮へ戻る。今夜もエミリアをその腕に抱いて眠る事はできそうにないだろうと悟ったのは、王宮に戻ってすぐにエミリアの父である、エルバートに捕まった時だ。


「卿、アレク君の事で戻ってきたのだろうが、先に話が。使いを送ろうと思っていたところで丁度良かった」

「どうされましたか」

「先日、ゴードリー家で不祥事があったのは覚えているだろう?」

「勿論です。伯爵夫人が使用人の男と密会をしていたと……」

「うむ……その男はゴードリー家を解雇されたが、どうやら自棄を起こしてゴードリー家に殴りこんできたそうだ。令嬢を誘拐して、フォルヴァ区の廃屋に立てこもっているらしい」

「……その男を制圧するのに騎士を出せと?」

「早い話がそう言う事だ」

「自業自得です。家の話は家の中で解決するべきだ。騎士の仕事は、痴情のもつれを解決する事ではありません。全く、下らない……」

「気持ちはわかるが、そう言わずに。何の罪もない、幼いご令嬢が人質に取られているんだ」

「わかっています。夜間で、今動ける騎士は少ない。数名連れ、私が直々に出ましょう」

「すまないな、こんなのは貴公の仕事ではないだろうに」

「ゴードリー伯には、二度はないとお伝えください。あくまでも、お嬢様を救助するための出動だという事をお忘れなきようにと」


 レオンははぁとため息をつきながら、準備のために騎士団が使っている部屋へと向かう。そこには待機中の騎士の姿が数名、談笑しているようだった。

 夕方帰宅したはずのレオンが再び戻ってきたことで、彼らも何かを感じ取ったのだろう。皆の顔つきが、笑顔から真顔に変わる。


「そこの者たちは、第五小隊だな。……フォルヴァ区で、ゴードリー家のご令嬢を人質に取った立てこもり事件が発生したそうだ、制圧しに行く準備をしてくれ。他の者は引き続き、待機を。この人手の薄い時だ、現場の指揮は私が執る」

「だ、団長が直々にですか?」

「何か問題でも?」

「いえ……ご一緒できる事を、光栄に思います!」


 レオン自らが現場に出る事はもうほとんどない。そのため、騎士たちも驚いたのだろう。レオンは鎧を身に纏い、剣を持つ。数名の騎士たちを連れ、馬に跨りフォルヴァ区へ向かった。

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