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記憶(1)

 エドリックが魔物の大量発生を予見してから数日……レオンの元には毎日毎夜エドリックからの報せが届いていた。具体的にはエミリアの父であるエルバートがエドリックに使い魔を同行させており、その使い魔を通し王都とサンルームの街で直接やり取りをしている。

 昼夜問わず戦闘は続き、兵はかなり疲弊していた。もちろん人員を交代させながらではあるが、数日経ってやっと魔物の殲滅が見えてきたところだそうだ。

 既に負傷者は軽症者も入れれば数百人に及び、戦闘不能な中重傷者は王都へ戻って来ている。死者も、数名だがでていた。

 その補充として第六陣、第七陣も送り出し……当初全体の半数を出したが、追加で兵を出したことで王都の守りは随分薄くなっているのは明らかだ。

 今、王都に敵襲があったらどう対処するか……それが目下の悩みでもあり頭が痛いが、今のところ不審な動きは周辺国からは見られなければ魔物が王都を襲撃することもなかったのが幸いだっただろう。


「団長、フォルヴァ区で暴動が」

「……規模は?」

「ならず者の男が十名ほど乱闘騒ぎを起こしていると」

「こんな時に、いい迷惑だな。騎士を十五名派遣してくれ」

「はい」


 国外からの敵襲だけでなく、王都内……とりわけ、浮浪者の多いフォルヴァ区ではこのような取り締まりのために騎士の派遣も多い。

 既に顔見知りのようなゴロツキもいるが、具体的な罪状がなければ取り調べもできないのが現状である。今乱闘騒ぎを起こしている者たちは、きっちりと捕まえ余罪も含め追及されるべきだろう。

 レオンは、自分がまだ新兵だった頃の事を……ふと思い出した。それは十年前、騎士になって二年でレオンはまだ十七歳の時。やはりフォルヴァ区での出来事であった。


「……嫌な記憶だ」


 だが、その記憶はすぐに頭の片隅……奥の、奥の方へとしまい込む。忘れる訳にはいかないが、できれば忘れておきたい記憶である。


「レオン様、お疲れですね」

「アレクか。サンレーム地方の魔物の方はそろそろ落ち着きそうだが、それ以外にも色々とな……」

「エミリアさんが、寂しそうにしていましたよ」

「もう三日顔を合わせていない。私の方も限界だ。どんなに遅くなっても今夜は屋敷に戻る」


 そう、魔物が発生したあの日は屋敷に戻ったものの、それ以降は満足に屋敷に帰れていない。帰ろうと思った矢先に報告が入ってきて、次の事を考え……やっと帰れると思えば既に深夜で、眠っているであろうエミリアを起こしてしまうかもしれないと思えば帰るのも気が引けた。

 だが、五年と言う共に過ごせなかった時期があったのを忘れるほど、今は毎日エミリアと共に居た。愛妻家であるレオンが三日もエミリアに会えていないとなると、既に発狂しそうである。


「……それにしても、フォルヴァ区でのもめ事も多いですね」

「元々浮浪者と犯罪者のたまり場のような地区だ。何度も浄化しようと試みたのだが、上手く行かなくてな……」

「難しいですよね……」

「アレク、すまないが騎士の手も足りていない。次に何かあったら、君にも協力をお願いするかもしれない」

「それは構いませんよ。俺で何かお役に立てるのでしたら」

「……だが、人間を諫めるのは難しいぞ。魔物なら息の根を止めれば良いが……人間相手だとそうはいかない」

「確かに、それはそうですね」

「……君は、人を殺した事はあるか?」

「ありませんし、何があったとしてもそれだけは絶対にしません」

「そうだな、そうしてくれ。人が人を殺めるなど、あってはいけない事だ。たとえどんな極悪人だとしても……私は死刑には反対の立場でな」

「……」

「だが、私は人を殺してしまったことがある。ひどく後悔したが、その時は褒賞を受けた」

「人を殺して、ですか?」

「あぁ、そうだ。忘れたい記憶だが、私は決して忘れないだろう」


 レオンが殺めた相手は……フォルヴァ区を拠点として、人身売買を行っている組織の取りまとめ役だった。やっとの思いで彼らの拠点を見つけ、二十数人にも及ぶ男たちを捕まえた。

 まだ小さな少年少女が攫われ、高値で違法に売買される……。売買された先で待っているのは過酷な奴隷か、呪術のために臓器を抜かれ殺されるなどおぞましいものだったらしい。

 だが、彼らを捕まえ収監したは良いものの、取りまとめ役だった男は見張りの兵を絞殺し、鍵を盗んで牢を脱走した。騎士団はそれこそ血眼になって彼を探し、彼の事を見つけたのはレオンであった。

 男が死刑になる事は間違いなかった。だが、それでも捕まえない訳にはいかない。逃げ回る男の、足を切りつける。動けなくなれば、それで良かった。

 しかし……対人で真剣を振るうのはそれが初めてであったし、加減がわからなかったのも事実だ。足を止めるため少し怪我を負わせるだけで良かったのに、勢い余って彼の右足を切断してしまった。

 骨を断つ感覚は、今でも忘れていない。血が噴き出すのも、彼が痛みにのたうち回るその姿も……決して忘れはしないだろう。

 すぐに捕らえて止血をしたものの、中々血は止まらない。男は、血が止まりにくい遺伝性の疾患……『血友病』の患者だったと推定される。

 周囲にはレオンが殺したわけではないと言われた。片足を切断したとして、適切な処置さえすれば普通では死ぬまでの事ではないと。彼が不運にも血友病患者だっただけだと……

 だが、致死量の出血をした原因がレオンの一撃なのだから殺したのはレオンだと、自分ではそう考えている。どうせこの後裁判の上死刑になる男だったのだから、深く考える必要はないとも言われたが……どうであったとしても人の死は人の死であり、レオンが人を殺めた事に変わりはない。

 しかし脱走した犯罪者を捕らえた事で、レオンは褒賞を受けた。人を殺して、なぜ褒賞を受けるのかと……もちろん、国教でもあるヴァレシア教だって人を殺める事を禁止している。

 倫理的にも人道的にも、宗教的にも良くない事をして褒賞を与えられることをレオンは疑問に思い、その褒賞は辞退するつもりであったのだがするにできなかったのだ。

 自分が褒賞を与えられると知るよりも先に、レオンが犯罪者組織の取りまとめ役の男を捉えたと言う話が街中に広がってしまっていた。もちろん、その男がレオンの一撃が原因で死んだ事は広まっていない。

 ただレオンの武勲だけが先行し、それは婚約者であったエミリアの耳にも入っていた。エミリアはまだ十二歳の少女だったが、自分の婚約者が大手柄を挙げたと聞いて誇らしく思ってくれていたようである。

 これで褒賞を辞退すれば、自分が人を殺めた事がエミリアの耳にも入ってしまうだろうと、そう考えたレオンはそのまま褒賞を受け取った。だから、今の今まで……エミリアにさえも、その真実は伝えていない。


「そんな事があったんですね……」

「結局は、私も保身のために英雄を気取ったのだ。あの時はまだ若かったとは言え、今は……やはりあの時の褒賞は辞退すべきだったと思っている」

「でも、本当なら裁判の後で死刑になるはずだったんですよね。刑は民衆に公開されているのでは?」

「処刑は数日に一度、刑場で行われているが……目の前にいる犯罪者が何をした者なのか、いつ捕まったのかなど民衆は気にしていない。私が捕まえた事になっている男も、いつかの刑で処刑された事になっているのだろう。彼以外にも同じ罪状のものは多数いたし、そのうちの誰かだと思われていると思うぞ」


 それよりも、死刑反対派のレオンにとっては、なぜ処刑を民間に公開してまで行うか……そちらの方が疑問だ。国教でも殺人は大罪であると言っているのに、なぜ死刑は行われるのか……

 もちろん、犯罪者に対する罰は必要だ。だが、どんな重罰を与えても更生の余地がないのなら、殺してしまえと言うのは横暴ではないかと思っている。

 実際のところは、処刑と言うのは娯楽の少ない庶民が憂さ晴らしをする場なのだという事もわかっていた。人間、誰しも怖いもの見たさと言う気持ちだってある。

 自分が刑を受けるでも与えるでもない安全な場所から、刑を受ける人間の姿を見て優位に思いたいのだろう。

 処刑人の一家に生まれた者たちの苦労も知らずに……。処刑人の家であるアーノア家の嫡男は、レオンの友人の一人でもある。彼の話を聞くたびやはり死刑は反対だと思うし、彼の心労だって耐えがたいものだとは想像に容易い。


「すまない、暗い話になってしまったな」

「いいえ、レオン様が忘れたいでしょう過去の話を、俺なんかに聞かせてくれて感謝します」

「団長、よろしいですか」

「どうした。また揉め事か」

「いいえ、魔術師団長殿がお呼びです」


 レオンを呼びに来た騎士の言葉に、レオンはアレクを伴い騎士団長室を出る。魔術師団長……エミリアの父親であるエルバート卿がいるであろう軍務室へと向かった。

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