【エピローグ】渦巻く感情
その日の夜、アリアは寝台を抜け出しそっと扉を開けた。いつもはアレクが立っている場所に、今日は違う男が立っている。流石に、今日は……アレクは徹夜のまま妹を探しに行き、日中もずっと起きていたのだ。そんな彼に夜間の警備を任せるような、レオンはそんな男ではない。
今通路に立っている男の事は、アリアは良く知らない。だが、レオンがこの時間この場所に彼を立たせたという事は、レオンが信頼している男のうちの一人なのだろうという事はわかる。
それでも、いつもアレクがいるその場所にアレクがいないのは……少しばかり寂しいし、不安でもあるし、心細い。寝る前の束の間の逢瀬を毎日の楽しみにしていたアリアには、残念なことである。
今日は、アレクは妹のアシェルと共に客間で眠っているのだろう。アリアも昼間アシェルと話したが、きっと彼女は今後の不安を抱えている。最愛の男性を亡くし、まだ幼い子供と二人どうすれば良いのかと……
彼女もまた、頼れる人はアレクしかいない。そんな時なのだからアレクは彼女のそばに居るべきだし、アリアはアシェルに嫉妬している場合でもないのだが……
「私、いつからこんなに醜くなっちゃったんだろう……」
アリアはそう呟きながら、扉を閉める。自分の中に湧き上がる、醜い感情が嫌だ。アレクを想う故に、アレクを独り占めしたいその気持ちが日増しに強くなっていく。
本来この場に居たはずの彼がいないのは、アシェルと一緒にいるからだと……アシェルは彼の妹だと、わかっているのに。
ましてや、自分は恋人ではない。想いを告げるつもりもない。それに、そんな事を言っている場合でもない。それでも、アレクの事が好きだから……モヤモヤとして、胸が苦しい。
恋をするという事は、美しくて楽しくて、素晴らしい事だと思っていた。だが、実際はどうだ。こんなにも醜くて辛い。こんな感情、知りたくなかった。
だが、アレクを想う気持ちは抑えられないし、日増しに強くなっていく。これ以上好きにならない方法があるのなら、想いに蓋をする方法があるのなら教えて欲しいと切実に思うほど。
「……お母さん。お母さんは私を身籠ってこの家を出た後、お父様にお会いしたくなかったの? 奥様のいるお父様の事を好きになって、辛くなかった?」
母の形見であるブローチを、ぎゅっと握りしめる……
アリアは、母・ポーラがアリアを身籠ってエクスタード家をレオンの継母に追い出されたと……その事情も、エクスタード家に入るにあたってレオンから聞いていた。
勿論アリアがエクスタード家に来るために、継母をこの屋敷から追い出し領地へ追いやったと言う話も……
後妻とは言え前公爵夫人であったの彼女が屋敷を追い出され、愛人の子である自分が屋敷に迎え入れてもらって良いのかとも思ったのだが、そこは継母も納得しての事だから気にする必要はないとレオンには言われている。
子のいない未亡人は哀れだと……レオンがそう、ぽつりと呟くように言ったのが忘れられない。どんな立場であろうが子のない未亡人は最終的な居場所はなく、たとえ愛人の子であったとしても前公爵の子である自分の方が優位ではあるのだろう。
今の自分と両親では立場こそ違うが……身分の差もあり、ましてや父が既婚者である以上、許される恋ではなかったと言うのはきっと同じ、いや今のアリアの気持ち以上だっただろう。
母も父も許されざる恋に、今のアリアと同じように胸を痛めていたのだろうか。
胸が痛くて、モヤモヤとする。早く寝て、この嫌な気持ちを忘れたいと……アリアは持っていたロウソクを寝台の隣の机に置いて、布団に入る。ふっと、そのロウソクの火を吹き消せば、部屋は暗闇に包まれた。
翌朝、アリアは起きて食事に向かう。朝食はレオンとエミリアも一緒だが、今日はエミリアの調子がよさそうだ。今日は聖ヴェーリュック教会へみんなで行って、レオンだけそのまま城へ向かう事になるだろう。
食後に外に出れば、アレクが馬車の準備をしていた。アリアに気づくと、いつものように柔らかく微笑んで『おはよう』とそう言ってくれる。胸がドキンと鳴る音がした。
「おはようございます、アレクさん。あの、アシェルさんは……」
「うん? アシェルなら部屋にいるよ」
「そばに居てあげなくて良いのですか?」
「心配してくれてありがとう。でも、教会までの送迎は俺の仕事だからね。アシェルは大丈夫だよ、昨日よりも随分現状を受け入れている。あいつはあいつで母親だから、そんなに弱くはないよ。母は強しって言うだろう?」
「そうですか……」
「でも、心細いとは思うから……アリアさえよければ友達になってやって欲しいな」
「はい、もちろんです」
そうしてアレクの送迎で、教会へ。礼拝の後屋敷に戻って来て、今日は再びフローラによる舞踏の稽古が再開となる。
フローラがエクスタード家に子供たちと共にやってきたと思えば、フローラは開口一番アシェルを呼んで欲しいと言った。アレクとアシェルを呼べば、思ってもみなかった事を言う。
「アシェルさんさえよろしければ、暫くの間グランマージ家にいらっしゃらないかしら」
「えぇ! よ、よろしいんですか?」
「えぇ。今、我が家では子供たちの遊び相手が足りていないんですの。女手一つで小さな子を抱えながらお仕事を探すのも難しいでしょうし、子守りならアシェルさんもシェリルちゃんと離れずに働けるでしょう?」
「良かったな、アシェル。フローラ様、ありがとうございます」
「お礼なら主人に言ってくださいな。わざわざ使い魔を寄こしてきて、提案してくれたのは主人ですから」
「エドリック様が……」
「兄様も、そんな事言うのね……」
「あら、エミリア様。あなたのお兄様は案外小さい子供がお好きなのですよ。乳飲み子を抱えたアシェルさんの事を、放っておけないと思ったのでしょう」
こうして、アシェルはグランマージ家のお世話になることが決まった。グランマージ家なら信頼もできるし、アレクもアシェルも安堵していたようだ。二人は互いに、この王都のすぐ近くで生活ができる事を嬉しく思っているだろう。
早速今日から子供たちを見てくださいと頼まれたアシェルは、アリアの稽古の間まだ幼いエルミーナとエドガーの面倒を見る事に。長男のエルヴィスは、今日は家庭教師が来るとかで一緒ではなかったようだ。
そうしてアリアの舞踏の稽古が再開されるのだが、突然エミリアが相手役にアレクを指名する。
アレクは自分は舞踏なんてできないと言って断ろうとしていたが、そう難しくないし折角なら覚えなさいと言われていた。最後には『公爵夫人のいう事が聞けないの』と言う一言で、観念したようである。
エミリアは、アリアの恋心を知っていて提案してくれたのだろうが……一昨日の夜、二人で踊ろうとして恥ずかしくなって逃げだしたのを知らないのだろう。
「よ、よろしくお願いします……」
「あぁ、よろしく……」
アレクの手はこう、立つ位置はここ、足の開き方はこれくらいで、とエミリアがアレクを指導する。そのアレクの前にアリアは立って右手をアレクの左手の上に載せ、左手はアレクの肩に……
アレクの右手が、アリアの腰を抱き寄せる。見つめ合ってとフローラとエミリアに言われ、アレクの顔を見るが……少しばかり照れ臭そうにしながらも、まっすぐアリアを見つめる瞳に腰が砕けそうだ。
好きだと、そう言いたい。アレクにも、アリアの事が好きだとそう言ってもらいたい。その気持ちが爆発してしまいそうで、気が気でなかった。
(やっぱり、恋は素敵かも……)
指導付きの踊りは、お世辞にも決して上手くはなくとても見ていられるものではなかっただろう。だが、二人だけの時間と、そう思うには十分で……
この時間が永遠に続いて欲しいと、アリアはそう願わずにはいられなかった。
第2章も最後までお読みいただきありがとうございました!
第3章、12月から公開したいところなのですがリアルが忙しくちょっと筆が進んでおりません。
1月には公開できるようにちまちま進めていきたいと思っておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。