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波乱の予感(3)

「アシェル、王都が見えてきたよ」

「あれが王都……?」


 結局、王都がほど近くなり高い塀が見えてくるまで無言で重苦しい空気のまま。唯一の救いは幼い姪が、まだ何も知らない何もわからない幼子が……馬に乗って楽しそうにしていたことだろう。

 王都の門を潜り城下に入れば、アシェルは少しだけ瞳に光が宿ったようだ。はじめて王都を訪れた時のアレクがそうだったように、アシェルもまた王都は初めてで……想像していた何倍も都会な街並みに圧倒されたのだろう。


「すごい。王都ってすごいね、お兄ちゃん」

「そりゃ、王様のお膝元だからな。……まずは、俺がお世話になっているエクスタード家に行こう。きっと公爵様は王宮にいてしばらく戻って来ないとは思うけど、アシェルもしばらくはお世話になる場所になる。奥様はいるはずだ」

「……公爵様と奥様は、どんな方なの?」

「お二人ともすごく優しい方だから心配いらないよ。それに、公爵様とその奥様って言っても、お二人とも若いからびっくりするんじゃないかな」

「公爵っておじさん、おじいさん? じゃないの?」

「もちろんお年を召した方もいるけど、うちの公爵夫妻はお二人ともまだ二十代だよ」

「そうなの!? 若い……」

「しかもすごい美男美女」

「え~それ、なんかずるい……」


 アシェルが少しだけ元気になってくれたような、そんな気がした。もちろん、辛いだろうが……傷は少しずつでいいから、ゆっくりと癒してほしいと……アレクはそう思う。

 アリアとアシェルは年が近いし、アリアは人の痛みを受け止めて癒してあげられる子だし、二人が仲良くなってくれればいいなとも……




「……戻りました」

「お帰り、アレク。そちらが妹さんね。初めまして、私はこの屋敷の主人の妻でエミリアよ。主人から、アレクがあなたを連れてきたら歓迎するように言われているわ。落ち着かないかもしれないけれど、我が家だと思って寛いでね」


 戻ってきたアレクが連れてきたアシェルに、出迎えたエミリアがそう言ってくれる。アシェルは先ほどアレクから公爵夫妻は二十代と若く美男美女だと聞いていたが、エミリアのその姿が想像以上だったのだろう。思わず見惚れているように見えた。


「エ、エミリア様……私、アシェルと言います。本当に、ありがとうございます。少し、兄と一緒にお世話になります」

「いいのよ、気にしないで。お子さん何カ月? 名前は? 抱かせてもらってもいい? 人見知りしないかしら」

「あ……半年で、名前はシェリルです。人見知りは、もしかしたらするかもしれません……」

「泣いちゃったらすぐ返すわね」


 エミリアはアシェルからシェリルを抱かせてもらうと、嬉しそうに微笑む。この場でエミリアの妊娠を知っている人は……気づいている人もいるだろうが、そう多くはないはず。だが、まだ生後半年の乳飲み子を抱く姿と言えば、エミリアも既に母のそれだった。


「ふえーーーん」

「あら、泣いちゃった。やっぱりお母さんが良いわよね。ごめんね、シェリルちゃん」

「も、申し訳ありません」

「まだ赤ちゃんだもの、当然よ。謝る必要なんてないわ。さ、いつまでもこんなところで立ち話も何だから、お庭にでも行きましょうか。誰か、お茶とお菓子を用意してくれるかしら」

「はい、奥様」


 アレクは思った。エミリアは、既にアレクの故郷がどうなったのかを知っているのだろうと。恐らくは自分たちが到着するよりも先に、エドリックが使い魔を寄こしてくれていた。

 集落の人間のうち、先に救出された女子供は難を逃れたが……男たちは、アシェルの夫であるレスターも含め助からなかっと言う事を。

 だからきっとエミリアは、アシェルにその事を考えさせないようにしようと振舞ってくれている。公爵夫人ともあろう女性が、たった一人の庶民の娘のために。本当に素敵な女性だと……たまに口煩いが……


「そうだ、アリアとお義姉様も呼びましょうか。お義姉様は今日もいらしているんでしょう? アリアだってこんな日に、お稽古なんてしなくていいと思うの。あなたとアリアは年も近いし、お友達になれるんじゃないかしら? 誰か、アリア達を呼んできてくれる?」


 そう言いながらエミリアは庭に出て、レオンの継母の趣味であった色とりどりの花の間を歩く。アレクとアシェルもエミリアの後に続いた。


「すごいお庭ですね」

「そうでしょう? 今はもうこの家にはいないのだけれど、主人の継母がお花が好きだったみたいで色々と植えさせていたみたいなの」

「そうなんですね……」

「さ、ここに座って。今、主人の妹のアリアと、私の兄の夫人を呼んできてもらっているから楽にして」

「エミリア様のお兄様が、さっきお会いしたエドリック様だよ」

「私の兄様にも会ったのね」

「はい、不思議なお方だと……」

「そうね、あの人は不思議以外の何者でもないわ」


 お茶とお菓子が用意され、アリアとフローラも合流して……きっと、アシェルは初対面の貴族の方たちと何を話せば良いのかと緊張していたことだろう。

 アレクはエミリアに『女だけの話をするから』とその場を追い出されてしまったが、少し遠くからアシェルの姿を見つめていた。

 フローラが子供たちを連れてきていたこともあって、小さな子供たちがシェリルの面倒も見ようとしてくれているようでとても微笑ましい光景であった。アシェルも時折笑顔を見せてくれて、何を話しているのかは気になるが……少なくとも、今は心配はいらないだろう。


「アレク、戻っていたのか」

「レオン様」


 小一時間ほど経った頃、レオンが戻ってきて庭の入り口に立っていたアレクへ声をかける。朝から大変だったのだろう、すっかり疲れた顔をしていた。


「彼女が君の妹か」

「はい、妹と姪は無事でしたが……義弟は、妹の夫は……」

「そうか、それは残念だった。エミリアやアリアとああして話すことで、少しでも気が紛れてくれると良いが……。私もエドからの報告は、エルバート卿から聞いている。先ほど第二陣と第三陣もサンレーム地方へ到着したと報告があり、既に第一陣と魔物達は交戦しているそうだ」

「そうですか……レオン様は、王宮に居なくて良いのですか」

「先ほど第五陣を出発させ、派兵はこれで一旦は終わりの予定だ。だが、私は明日から当分王宮に詰めなくてはいけないから、部下たちの見送りが済んで落ち着いたところで戻ってきた。とりあえず、今日は私の役目はもうないだろう。何かあればエルバート卿が知らせてくださる。エルバート卿が、エミリアのそばに居てやってくれと言ってくれてな」


 エルバート卿と言えば、エミリアの父親だ。既にレオンとは義親子の関係であるが、新婚の二人が本当は一時だって離れたくないと思っている事を知っての配慮だったのであろう。

 レオンが庭の方へ向かって歩いていくのに、アレクもその後を追う。いち早くエミリアがレオンの姿に気づいて手を振れば、他の女性陣も皆レオンの方を見た。

 アシェルはレオンのその姿を見て、思わず見惚れてしまったのかもしれない。少し頬を赤らめて、口を半開きにさせたまま目をぱちくりとさせていた。


「エミリア、体調はいいのか?」

「えぇ、つい女同士の話で盛り上がっちゃった。アシェルちゃん、この人が私の夫でこの家の主のレオンよ」

「レ、レオン様……初めまして、アレクの妹のアシェルです。兄が、お世話になっております……」

「世話になっているのはこちらの方だ。君の兄さんの人懐こくて明るい性格に、私は随分助けられている。集落の惨状の事は、私も聞いた。ご主人の事も、我々の力が及ばず助けられなくて申し訳ない」

「そ、そんな事は……」

「……貴族相手に気張って疲れたろう。エミリア、お茶会はそろそろ終わりにして彼女を休ませてやると良い」

「えぇ、そうね。誰か、アシェルちゃんを客間へお通ししてあげて」

「はい、奥様」

「レオン様、俺も少し席を外させて頂きます」

「あぁ、そばに居てやれ」

「レオン様、お心遣いありがとうございます。エミリア様、フローラ様、アリア様、とても楽しかったです。ありがとうございました。失礼します」


 アレクもレオンに一礼し、アシェルと共に使用人の後についていく。グランマージ家の三兄弟の、唯一の女の子であるエルミーナがまだシェリルと遊びたそうにしていたが、フローラに『また今度ね』と言われているのが聞こえた。

 アシェルは客間に通され、使用人も部屋を出ていくと……シェリルと共に寝台へ倒れこんだ。


「……広いお部屋……寝台がふわふわ……」

「そうだろう? 俺も王都に来て、寝台ってこんなにふわふわなんだって初めて知った。集落の暮らしは、やっぱり貧しかったんだなぁって思ったよ」

「……皆さんとても良い方ばかリで、良かった」

「言っただろう? 公爵様も奥様も、とてもお優しい方だって」

「うん。それにすごい美男美女」

「あぁ、ずるいよなぁ」

「……私たち、これからどうすればいいんだろう……」


 ぽつりと呟くアシェルに、アレクは気の利いた事を言ってやれなかった。レスターが生きていたのならば、当初思っていたようにエクスタード領のどこかに引っ越させて生活してもらう事もできた。

 だが、レスターはもういない。いくらしばらくはエクスタード家の庇護があるにしても、アシェルとシェリルの二人だけで生活させる事は難しい。

 この後王都を始め他のレクト王国内の地域でも、サンレーム地方からの難民がなだれ込む事は想像できる以上、アシェル達だけを特別扱いする事は出来ないというのも……もちろんわかっている。

 だが、どうにか……この王都でアレクがそばに付いていてやる方法がないかと、アレクはそれを考えていた。

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