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波乱の予感(2)

 サンレーム地方に入って、すぐに目についたのはそこそこ大きな街。一刻も早く国境側へと向かいところではあるが、ここまでまっすぐに向かってきた騎士や魔術師たち、軍馬にも休息が必要だと少し休憩の時間を取ることになった。

 辺境伯の館があるのもこの街だと、アレクはエドリックと騎士団の副団長……ルーカスと共に領主館へと向かった。エドリックが朝起き抜け一番に王都の辺境伯の私邸へ使いを出しており、辺境伯はすぐに領地へ戻って来ていたそうだ。


「エドリック卿、ルーカス卿、良く来てくださった。エドリック卿、朝一番に連絡を頂いた事に礼を言う。既に、国境付近へは軍を向かわせており、民間人への被害は今のところ報告はない」


 サンレーム辺境伯……アレクも故郷の辺りの領主であるから、当然知っている。とは言っても、普段王都にいる人であり、実際に顔を見た事はなかった。普段はレオンが叔父に領地の事を任せているように、彼もまた自分の弟に領地の事は諸々任せているようだ。

 辺境伯の弟、ヘルム男爵ならばアレクもよく知っている。彼は時々、領地内の集落の視察に来ることもあったからだ。

 辺境伯の『民間人への被害は今のところない』と言う報告に、アレクは胸を撫でおろす。


「そうですか、それは何よりです。して、魔物は?」

「斥候からの報告によれば、北の山側に多数発見したと。この地図をご覧いただきたい」


 隣国ゼグウス王国との国境付近は険しい山脈が続いていた。その山の麓から中腹にかけて人里があり、アレクの故郷はそれこそ山の中腹である。

 敵を示す駒を、辺境伯は山の上に一つ二つと置いていった。


「我々がいるこの街がここです。今、うちの兵たちはこの辺りの民間人を救出に行っている。魔物たちはこの辺りになります」

「まだ時間的な猶予は多少はありそうですが……民間人の救助は、手は足りているのでしょうか」

「いえ、足りておりません。まずはこの辺りの、魔物に近い集落の方から向かわせてはいますが……」

「では我々もまずは民間人の救助に協力しましょう。アレク、馬車から必要以上の武器は一旦下ろすよう伝えてくれ。一人でも多くの民間人が馬車に乗れるようにしたい」

「わかりました、ルーカス様。皆さんに伝えてきます」

「まずは可能な限りの民間人の救出、敵を迎え撃つのはその後だな……」


 アレクは馬車へ戻り、待機していた休憩中の騎士たちへルーカスからの命令を伝える。アレクも武器を下すのを手伝い、ちょうど武器をおろし終えたところでルーカスとエドリックが姿を見せた。

 僅かな時間の休息を終え、騎士たちは再び出発する。アレクは彼らと馬車が出て行くのを見送った。アレクの故郷である集落には既に辺境伯の軍が向かっているはずだが、妹たちの無事をこの目で確認するまで安心はできない。

 土地勘があるアレクは民間人の救助に向かわせるよりも、軍議に参加してほしいというのはエドリックの意向だ。エドリック達と供に軍議に参加しながら、辺境伯の出した軍の馬車が民間人を乗せて戻ってくるのを待つ。

 アレクはレオンに、妹たちの無事を確認したら彼女らを連れて王都へ戻って来て良いと言われていた。もちろん、妹たちの事は一時エクスタード家で面倒を見ると。

 アレクの妹家族だけを特別扱いし長く屋敷で面倒を見てやるわけにはいかないが、エクスタード家の領地へ引っ越すのであれば家や家財は提供すると言ってくれたのだ。

 本当にレオンの優しさには頭が上がらないと……我ながら良い主君に仕えることができたと、嬉しくもなる。


 アレクが騎士たちを見送ってから二時間ほど経った頃、どこでどう魔物たちを迎え撃つか作戦も仕上がりつつあった。アレクの意見もきっと役には立っただろう。

 今この場に残っている兵たちの動きも、この後来るであろう第二陣以降の兵たちの持ち場も大方決まったところで……辺境伯の部下が、最初に出した民間人救出の馬車が戻ってきたと辺境伯に伝えた。

 その馬車に妹が乗っているかもしれないと、アレクは辺境伯の屋敷を飛び出す。十台ほどの馬車が到着しており、馬車から降りてくる人たちで混雑していた。主に、女性と子供が多い。きっと、女性と子供を優先して乗せてくれたのだろう。

 彼女らは『私たちはこれからどうなるの?』『集落へ戻れるの?』と、皆兵たちに聞いているが、その答えは誰も出せない。アレクは、彼女らをかき分け妹がいないかとその姿を探した。


「アシェル! 居たら返事してくれ、アシェル……!」


 何度そう、妹の名を呼んだだろうか。見渡す限りの人、人、人……加えて、皆思い思いに話しているし、子供は泣いているし、アレクの声は周囲の喧騒にかき消されているだろう。

 だが、アレクの想いが……妹のアシェルが無事でいて欲しいとその気持ちが伝わったのだろう。『お兄ちゃん』と、その声が聞こえた。


「アシェル……」

「お兄ちゃん!」


 妹は、アシェルは今にも泣きだしそうな顔で……まだ幼い娘を抱きながら、アレクの方へ向かってくる。アレクも人波をかき分けながら、その姿を見つけて安堵した。瞳が熱い。

 アシェルと合流すれば、きつく抱きしめる。一歳にもならない幼いアシェルの子は、一体何があったのかよくわかっていないような不思議な顔をしていた。


「お兄ちゃん、どうしてここに?」

「お前を探しに来たんだ。俺、王都へ行くって言っただろう? 今、エクスタード公爵家って言う名門貴族の家でお世話になってるんだ。公爵が、お前を探しに行っていいと言ってくれて」

「そうなんだ……。ねぇ、一体何があったの? みんな訳がわからないまま、とにかく急げって辺境伯の軍に馬車に載せられて……女子供が優先だって、レスターは集落に残っているし……」

「大量の魔物が、北の山に現れたらしい。だから急いで、民間人を救助してる。今王都からも騎士団と魔術師団の第一陣が来ていて、この後第二陣第三陣も来る事になってるんだ。俺も、騎士団と一緒に来た」

「大量の魔物……? 村に残ってるみんなは、レスターは助かるの?」

「大丈夫だ、騎士団と魔術師団の馬車も向っているし、きっと助かる」


 レスターと言うのは、アレクの友人でありアシェルの夫である男だ。アシェルを見つけて安堵したが、王都へ戻るのはレスターも救助してからだと……

 アレクはエドリックのように確信をもって『大丈夫』だと言ってやれないのがもどかしいが……一旦、妹を見つけた事はエドリックにも報告すべきだろうと思った。

 それに、ここに居ても仕方がない。アシェルも連れて領主館へ入れば、エドリックは通路の窓から外を見ていた。


「エドリック様、妹と姪は無事でした」

「アレク君、そうか。それは良かった。君がアレク君の妹か。突然の事で驚いただろう?」

「はい。……お兄ちゃん、こちらの方は?」

「魔術師団の副団長で、グランマージ伯爵の嫡男のエドリック様だ」

「は、初めましてエドリック様。兄がお世話になっております……」

「畏まらなくて大丈夫だよ、アシェルさん。なるほど、旦那さんがまだ集落に残っているのか」

「はい。なのでまだ王都には戻れません」

「……アシェルさん、ちょっと触れさせてもらってもいいかな」

「え? え?」


 アシェルの困惑は当然だろう。アレクが事前に伝えていたかもしれないが名乗ってはいない。それに、旦那……レスターが集落に残っているとは伝えていないのに、エドリックはずばりと言い当てる。

 そして、触れさせてと来たものだ。伸びてきたエドリックの手に少しビクンとしていたが、エドリックは指先でアシェルの額に触れると……そのまま意識を集中させていた。


「ごめんね、少しそのまま動かないで」

「は、はい……」

「エドリック様、何を……?」


 アレクはまだ知らないエドリックの『特殊能力』があったのかと、驚いた。アシェルの驚きとはまた違うものだろう。

 どれくらいの時間、そうしていただろうか。恐らくはほんの僅かな時間だっただろうが、とても長い時間に思えた。


「……だめだ」

「エドリック様……?」

「詳しく説明すると時間がかかるから割愛するけど……もう魔物達は集落を襲っているようだ。アシェルさんが乗った馬車が間に合って良かったと言うべきか……残った村人は全滅してる」

「そんな……!」

「う、嘘……」


 アレクはこの事を後からエドリックに聞いたが、エドリックはアシェルに残った集落の『気』を辿って意識を集落に飛ばし、更に集落の近くにいた鳥に憑依して集落を見渡したそうだ。

 もちろん初めから使い魔を飛ばす事も出来たが、山中にある集落の場所がよくわからない以上むやみやたらと飛ばすよりもこうした方が効率が良いとの事である。

 荒れ放題の家屋に、人も家畜も無残に食い荒らされているのが見えたと……そして魔物の姿はもう集落にはない。


「……もう魔物たちは、集落から山の麓へ降りてきていると見るべきだな。……ご主人の事は残念だが、諦めて欲しい。我々は魔物を食い止めるのに、少し急がなくては」


 エドリックはそう言って、隣の……軍務会議を行っていた部屋へと戻っていく。通路に残ったアレクとアシェルは唖然としていたが、何もわかっていないはずの姪も突然泣き出してその鳴き声が通路に響く。

 その声にアシェルはハッとしたのか、気丈に振る舞って我が子をあやし始める。だが、残っていた集落の人々は全滅したと……夫であるレスターは死んだと、そう聞かされて平常心でいられるわけがない。

 アシェルがその場に立って居られるのは『母』だから。母は強いと、アレクはそう思う。


「アシェル……ここに残っても、レスターは戻って来ないそうだ。それに、避難してきた人たちが多くて何かと大変だと思う。王都へ行こう」

「お兄ちゃん……あの人は、エドリック様は一体何者なの?」

「怪物か、神の遣いか……。わからないけど、エドリック様の仰る事に間違いはないと思う。だから、レスターの事は諦めてくれ」

「……わかった。お兄ちゃんの言う通りにする」


 アシェルは必死に涙を堪えながら、アレクの提案を承諾する。アレクは一度エドリックの後を追って会議を行っていた部屋へ向かい、エドリックとルーカスに王都へ戻る事を告げた。

 この街の馬車は、伯爵家の物も民間の物も全てが民間人の救出へ向かっているとのことで、アレクはアシェルを馬に乗せる。その後ろにアレクも跨って、馬を歩かせた。

 街から街への移動の際には魔物が出る可能性もあるが、王都からサンレーム地方へ来るときには一切出会わなかったそうだ。もしかすると、王都東側の魔物の大多数が国境付近に集まっているのではないかとそう思わせる。

 だから、アレクは王都へ戻る道にも魔物は出ないだろうと思っていれば案の定、その道のりで魔物は現れなかったのだが……その間、アシェルとは何も言葉を交わさなかった。何を言ってやればいいのかわからなければ、きっとアシェルも同じだったのだろう。

 ただ不安そうな顔で、大切な娘をその腕に抱いて……後ろに座っていたアレクにもたれかかるようにしているだけだった。


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