波乱の予感(1)
アリアと舞踏の練習をすると言ったが、基本姿勢の段階で無理だと投げ出してしまった翌朝。アレクは夜間の警護を終え、エクスタード家の朝の礼拝の送迎をしたところでいつもは勤務終了となり夕方まで眠るのだが……この日は違った。
レオン達が朝食を取っている間に、礼拝に出るための馬車を用意し始めようと思ったところで馬が一頭駆けてくる。その馬に乗っている人物はと言えば、エドリックだった。
「おはよう、アレク君。ちょうどよかった」
「おはようございます、エドリック様。ずいぶんとお早いですね。何か急用でも……?」
「あぁ、急用も急用だ。レオンと共に、君もすぐに王宮に来て欲しい。陛下に急ぎ伝えねばならん事が出来た」
「……でも、これから礼拝に……」
「レオンが朝の礼拝を重要に思っている事も知っているが、そんな悠長な事を言っている場合ではないんだ。わざわざ教会へ行かずとも、陛下への謁見が終わった後大聖堂へ行けば良いだろう。とにかく、急いでいると伝えて欲しい。私は先に、王宮へ行っているから」
「わ、わかりました」
エドリックの表情はただ事ではない。きっと何か『見た』のだろうと……アレクは急いで食堂へ向かう。アレクの朝食はレオンよりも先に済ませているが、ちょうどレオン達が朝食を終えたところだった。
いつもならレオンとアリア、体調次第ではエミリアも一緒に聖ヴェーリュック教会へ向かう所ではあるのだが……アレクはレオンに急いで声をかける。
「レオン様、今エドリック様がお見えになって……何か急用があるそうです。急いで王宮へ来て欲しいと」
「エドが? ……あいつが急用だと言うのなら、何かあったのだろう。すまない、今日の礼拝は私は後で大聖堂に行く。アリア、アレクと共に聖ヴェーリュック教会へ行ってくれるか」
「それが、エドリック様は俺もレオン様と一緒に王宮に来るようにと仰っていて……」
「アレクも? そうか。ではアリア、教会へ行くのならサムエルに頼んでくれ」
「はい、わかりましたお兄様。行ってらっしゃいませ」
返事をしたアリアの方を見て、昨夜の事を思い出す……思わず顔が赤くなって、アリアから目を逸らした。アリアも同じようにアレクを見て頬を赤らめており、やはりアレクから目を逸らしている。
ちなみに、サムエルと言うのはアリアの外出時の護衛で、レオンの信頼が最も厚いと言って過言ではない男だ。年齢は四十代半ば、レオンの父の乳兄弟だった事もあり長くエクスタード家に仕えている。
アリアが来る前はエクスタード家より騎士団に出向しており、アレクの剣の師匠でもあった。今でも稽古を付けてもらう事もあるが、一度も勝てたことはない。
目下のアレクの目標と言えば、サムエルに勝つ事だ。
レオンも既に屋敷を出る準備は済んでいたようだが、外套を羽織り外へ。今日はエミリアは体調が良くないのか、姿を見せていない。
二人は馬に乗り、急ぎ王宮へ……王宮ではエドリックが国王への謁見を申し出て、国王が現れるのを待っていたようだ。
「エド、何を見たんだ?」
「陛下に言う前に、言っておいた方が良いか。隣のゼグウス王国との国境付近に、大量の魔物が集まっているようなんだ」
「なんだって?」
「既にサンレーム辺境伯へも使い魔を送ったが、伯爵の軍では太刀打ちできないだろう」
「そんなに大量の魔物が……?」
「このままじゃ、あのあたりの集落が危ない。騎士団と魔術師団も、一部兵を出すべきだ。アレク君、君はあの辺りの出身だろう? 土地勘がある君にも、協力してほしいと思ってね」
「……俺の故郷は、妹は……無事なんでしょうか」
「今のところはまだ大丈夫だと思うが、午後にはどうなっているかわからない。だから一刻を争う」
「……陛下の許可がないと、出撃できないんですよね? 陛下、早く来てください……」
アレクが故郷を出て王都に来てから、既に三カ月ほど経っていた。エミリアと出会ったあの日一度集落へ戻って、王都へ行くからしばらく帰らないかもしれないと妹に伝えてきてはいる。
だが、もしもこのまま魔物が村を襲う事があれば……戦う力のない人ばかりのあの集落では、きっと妹も無事では済まない。まさか、あの何の気ない別れが今生の別れになってしまうのかもしれないなんて……そんなのは辛すぎる。
妹の娘……つまりはアレクにとっては姪になる子供もまだ生まれたばかり。魔物は大人も子供も関係なく食らってしまう。アレクは手を握り、小さく震えていた。
「エドリック様、陛下がお見えになりました。どうぞお入りください」
「ありがとう。陛下、朝早くに申し訳ございません。失礼いたします」
扉を開けた兵に、エドリックは軽く礼を。そして国王に挨拶をしながら王の間へ入っていく。レオンもそれに続き、アレクは更にその後に続いた。国王の前まで進んだところで、皆膝を付く。
「どうした、エドリックよ」
「サンレーム地方に、大量の魔物が発生した様にございます。すでに小職より辺境伯へ使いを送り辺境伯は領地に戻られていますが、辺境伯の軍だけでは不足かと存じます。今すぐに、騎士団と魔術師団の遠征を許可頂きたい」
「私の元へはそのような報告は入っておらぬが、貴公が言うのならばそうなのであろう。相分かった、許可しよう。どの程度、送るつもりだ?」
「騎士団、魔術師団、それぞれ半数ほど」
「半数!? そんなにも数を出さねば魔物を殲滅できんと申すか!?」
「はい。先程大量と申し上げましたが……恐らくは陛下の想像を上回っております」
エドリックと国王の話を聞いて、アレクはもう居ても立ってもいられなかった。自分も、いくら大量と言っても騎士団と魔術師団の半数を出さなければいけない程だとは思ってもいない。
辺境伯の軍がどれほどのものなのかアレクは正直知らないが……並みの兵力では敵わないのだろうという事は今のエドリックの言葉でハッキリとした。
レオンも国王とエドリックの話を黙って聞いているが、きっと今のアレクと同じように思っているだろう。
「そうか……ではエドリックよ。国民を守るため、騎士団と魔術師団の半数を遠征に出す許可をしよう。貴公の父は、エルバートは既に知っておるのか」
「はい。魔術師団長には既に伝えており、今は遠征へ向かわせる魔術師たちの編成を行っております。陛下の許可で、第一陣は既に出陣できるでしょう」
「そうか。レオン、騎士団はどうだ」
「有事に備え、いつでも出撃できるよう日々準備しております。同じく第一陣はすぐにでも出撃できますが、まさか半数ともなると……第二陣は昼以降になるかと」
「よし、では騎士団、魔術師団ともに第一陣はすぐに出せ。第二陣以降は準備の整い次第出発させよ。エドリックよ、魔術師団はエルバートか貴公が出向くのか?」
「私が行って、直接指揮を執ります」
「うむ、ぬかるでないぞ。レオン、貴公はわかっていると思うが……」
「承知しております。現場の指揮は、副団長に。陛下、正規の兵ではございませんが……ここにおります私の従者を、騎士団と共に同行させても良いでしょうか」
「うん? その者は?」
「サンレーム地方出身の者です。土地勘がありますので、必ずや役に立てましょう。この者も、故郷の家族を案じており気が気でないのです」
「許可する。若者よ、そなたの家族は騎士団と魔術師団がきっと守ろう。心配するでない。お主はエドリックらと共に行動し、戦術を練るのに役に立つが良い」
「はい、陛下。有難く存じます!」
そうして、王の間を後にしエドリックはすぐに魔術師団へ。アレクはレオンと共に騎士団へと向かう。レオンはすぐさま副団長へ出撃の準備をさせ、アレクも共にサンレーム地方へ向かうための準備をする。
夜通し警備をしていたことなど、すっかり忘れていたほどに眠気もなかった。だが、レオンは昨夜アレクが警備のため通路に立っていたことをわかっている。騎士団は兵糧や武器を積むための荷馬車も同行させるから、サンレーム地方に着くまでは馬車で仮眠をとるように勧めてくれた。
アレクにとっては、それよりも移動中にエドリックや副団長と話したいところではあったが……現場に着いてから満足に動けない方が困ると、出陣後はレオンに言われた通り馬車内で仮眠を取ることにした。
目を瞑っても中々寝付けなかったが、目を瞑っているだけでも少しくらいは休息できたことにはなるだろう。数時間そうしたまま、サンレーム地方に入ったと声をかけてもらえばアレクは飛び起きて外を見る。
まだ、魔物の姿は見当たらないが、なんだか胸騒ぎがしていた。