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エクスタード家の娘(3)

 アリアがエクスタード家に迎え入れられてから、二週間が経った。その間アリアは毎日エドリックの妻、フローラから貴族の礼儀や作法について教わっている。元々アリアも勤勉な方ではあるが、色々と覚える事だらけで大変だっただろう。

 だが、フローラがエクスタード家に来るときに一緒に連れてくる三人の子供たちが皆可愛らしくて、休憩時間に子供たちと遊ぶのが幸せなひと時であった。

 グランマージ家の三兄弟は、長男は祖父の名を頂いたと言うエルヴィス・六歳。長女エルミーナ三歳。それと次男エドガー・一歳。

 エルヴィスは会話が成り立つ年齢でもあれば既に簡単な魔法を使う事ができると言う話だが、三人それぞれ月齢に合わせた可愛いらしさを持ち合わせていた。

 フローラは元々南のレフィーン公国の公女で、八年前に十八歳でグランマージ家に嫁いできたらしい。もちろん親同士の決めた結婚だが、エドリックと初めて会ったのは結婚式の当日だったそうだ。

 どんな相手かもわからない、肖像画でしか見た事のない結婚相手。さぞ不安だったことだろう。そんなだから結婚当初は当然愛などなかった訳だが、夫婦として過ごすうちに……今はお互いに深く愛し合っていると、そう恥ずかしそうに笑って話していた。

 とても美しく、気品のある女性。アリアはまだエドリックの事を遠巻きにしか見たことはないが、さぞお似合いの夫婦なのだろう。

 エドリックの幼少期にそっくりだと言うエルヴィスの幼いながらも整った顔を見れば、エドリックも美男子なのだという事は想像できた。それにただでさえ、美しいエミリアの兄なのだ。美しくない訳がない。


「そろそろ舞踏の練習もしましょうか」

「舞踏……お、踊りですか」

「えぇ、貴族の嗜みの一つですから。レオン様にも伺いましたが、そのうちお披露目会もあると……主役のあなたが踊れなくてはお話になりませんわ」

「それって、私がどなたかと踊るんですか?」

「当然です。時間の許す限りは踊って頂きませんと、折角来て頂いた方々に失礼です」

「実は結構手紙が来てるのよ、アリア。色んな貴族の家から……『ぜひエクスタード公の妹君にお会いしたい』って。もちろん、目的はエクスタード家と繋がりを持つため、息子とアリアを婚約させたいって言う所なんでしょうけど」

「こ、婚約……」

「心配しないで、レオンはまだそこまで考えていないわ」


 エミリアとフローラにそれぞれ言われて、アリアは少しばかり不安を覚える。もちろん、将来的にはどこかの貴族に嫁ぐのだろうが……今はまだそんな事は考えられない。

 レオンだってアリアの結婚についてはまだ考えていないとは言え、いずれはその話になるであろうことはわかっている。


「それに、アリアには想い人がいるものねぇ。レオンだって、可愛い妹に望まない結婚はさせたくないと思うし」

「お、お義姉様! そ、そんな、私に想い人なんて……!!」

「あれ? 違うの~?」


 エミリアはニヤニヤと、アリアをからかうような顔で見てくる。いつの間に、アレクへの想いが漏れてしまうようなことがあったのだろうかと……アリアは顔を赤くしながら考えてみるが思い当たる節はない。

 自分の知らないうちに、そんな感情が出てしまっていたのだろうか。アレクへ視線を向けていたのを見られていたのだろうか。恥ずかしいと、真っ赤な頬を両手で押さえた。


「もう、可愛いんだから」

「……でも、想う方が居るのでしたら……早めに想いは断ち切った方が良いですわ。結ばれない方への想いを胸に秘めておくのは、お辛いでしょうから……。レオン様とエミリア様のように、お互い想い合った上で結ばれる貴族は滅多におりませんのよ」

「それは、わかっています……大丈夫です。想い人なんて、おりません!」


 アリアはそう言って気丈に振る舞う。きっとエミリアには、嘘だとバレていただろう。だが、アリアの意図を汲み取ってくれたのかそれ以上の追及は無かった。

 その夜、アリアは侍女たちが下がった後しばらくしてから灯りを持って、部屋の扉をそっと開けた。そうすると通路で警備のために立っていたアレクがすぐに気づいてくれて、優しく微笑みながらこちらへ近づいてくる。

 毎夜、こうしてアリアが眠る前に少しだけアレクと二人だけで過ごすのは……それは既に恒例の事になっていた。二人だけの、秘密の時間。それは既に、僅かなひと時であったとしても逢瀬と呼ぶべきものだっただろう。

 お互いにお互いを想いながら、その気持ちは互いに知らない。身分の違いから、その想いを伝える事も出来ない。だが、少しだけでも一緒に居れるのが幸せだとアリアは思っている。

 それがたとえ、叶わぬ想いでも。アリアはいつかどこかの貴族と結婚する。その未来が待っていたとしても……むしろ叶わぬのなら、今はただ好きな人のそばに居たい。

 フローラが言うように、傷の浅いうちに想いを断ち切る方がきっと良い。だが、近くにいる以上断ち切れない……後で傷つくのは自分だと、だから今は幸せでいたいとそう思っていた。


「そろそろ、舞踏を練習するそうです」

「舞踏かぁ……レオン様がエミリアさんに求婚したのは舞踏会の席だったけど、きっとそういう華やかな奴だよな」

「はい、そうだと思います」


 そう答えるとアレクは少しばかり怪訝そうな顔をするが、まぁそうだよな……と、小さく呟く。アリアはアレクがどうしてそんな反応をするのかわからなかった。


「どうかしましたか?」

「いや、何でもないよ。頑張ってね」

「はい。アレクさんは、踊りはできますか?」

「できる訳ないだろ。田舎の出身だから、俺にはそんな華やかなのは縁がないよ」


 眉を下げながら、それでもアレクは優しくそう言う。アリアだって元々縁がない事だから、アレクも当然そうだろう。

 舞踏会なんて言うのも、アリアにとっては子供の頃絵本の中で見た世界。正装したレオンと美しく着飾ったエミリアの舞ならばとても絵になるだろうとは思ったが、自分は果たしてそんな風になれるのか……


「アレクさんも、一緒に練習しませんか?」

「俺?」

「はい。アレクさんは今、お昼に寝ているから……一緒に練習はできませんけど、この時間なら練習できますよね? 私が習って来た事を、アレクさんに教えます!」

「できるかなぁ、俺に踊りなんて」

「大丈夫です! きっとできますよ!」

「じゃあやってみようかな。アリアにとっては復習にもなるだろうしね」


 そして、舞踏の練習が始まるその日……レオンが非番だったこともあり、アリアの相手役は自分がやると買って出た。誰が相手役を務めてくれるのかとドキドキとしていたものだが、始めての日にレオンが相手をしてくれるのなら少しはその緊張も和らぐだろう。

 レオンがアリアの手を取ると、彼の右手がアリアの腰を抱きかなり密着した。それだけで、アリアはひどく混乱してしまう。こんなにもレオンが近い。

 彼は結婚した今でも国内の女性達の憧れに変わりないし、二度胸を借りたと言っても少し前まで『家族』ではなかった男性である。意識しない訳がない。先ほどまで少しは和らぐと思った緊張は、ちっとも和らがないどころかむしろ悪化している。


「この姿勢が基本だ」

「アリア様、よろしいですか。足の動きですが……」


 フローラが説明してくれるが、あまりの密着度に恥ずかしさで話が入ってこない。しかも、踊っている間は見つめ合うものだと言われ、レオンの顔を見るが……兄とは言え、あまりに美しい顔がそこにあれば恥ずかしくて目を逸らしてしまう。

 大慌てのアリアを見て、エミリアがクスクスと笑っていた。兄であるレオンが相手でこの調子なら、踊りを覚えたところでどこぞの貴族の男性が相手では到底踊れないだろう。

 こんなにも近くで、密着して、見つめ合って踊るなど……。レオンは成人してから、エミリア以外の女性とは踊ったことがないらしいがその気持ちも分かった。

 好きではない相手と、こんな事はしたくない。たとえ、貴族の社会ではこれが当たり前なのだとしても。お披露目会では、何人の男性とこんな事をしなければいけないのかと思えば気が重い。

 だが、それでもアリアは必死に覚えた。自分が上手くできなくて、それでレオンの評判を落とすような事があっては困る。

 そして、その日のうちになんとか……まだおぼつかないものの、足捌きはなんとなく覚えただろう。レオンもエミリアもフローラも、みんなが褒めてくれた。あとは反復して練習あるのみ。

 その晩、いつものようにアレクとのひと時の逢瀬の時間。いつもはアレクは通路、アリアは扉を開けて部屋の中で数分話すだけだが……今日は、アレクへ今日から舞踏の練習が始まったことを伝えて通路に出た。


「あの、アレクさん。お手を」

「あ、あぁ……」


 馬車から降りる時など、アレクが手を取ってくれることは今まで何度かあった。だが、アレクもアレクで今日は緊張しているらしい。昼間レオンとそうしたように、天を向けたアレクの手の平の上に、アリアは自分の右手を乗せる。


「アレクさん、右手は私の腰と言うか、背と言うか……」

「こ、こう?」

「……も、もっとです」


 腰に添えられたアレクの手は、あまりアリアと触れないようにするためか控えめだ。だからもっとと言えば、腰を抱き寄せられる。アリアの左手が、アレクの胸に自然と添えられた。

 そして、アレクの顔を見る。そのまま見つめ合って、そうして……音楽はないが、本来であれば音楽に合わせ足を動かすのだ。

 だが、二人はもう限界だった。近すぎる距離で、見つめ合ってしまえば二人そろって茹でた蛸のように真っ赤になってしまう。そのまましばし固まって、アリアはアレクの胸を押して離れた。


「ご、ごめんなさい。私から一緒に練習しましょうって言ったのに、やっぱり……恥ずかしくて駄目です」

「そ、そうだね。やめよう。……アリア、早く部屋に戻って」

「はい……アレクさん、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ……」


 逃げるように部屋に戻って扉を閉め、そうしてそのまま寝台へ潜りこみ布団を顔の上まで被る。レオンが相手ならまだ耐えられたが、想いを寄せる相手となると途端に恥ずかしくなってしまった。

 赤くなった顔も見られてしまっただろう。アレクの顔が赤かったのは、薄明りの中でもアリアにだってわかったのだから。


「アレクさん、気を悪くしていないかな……」


 アリアはまだ心臓がドキドキとしているが、目をつむれば先ほどのアレクの顔を思い出してしまう。中々眠れそうにない、長い長い夜となった。

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