レオン・エクスタード(1)
エクスタード公爵家の嫡子レオンは、その生を受けた瞬間から輝かしい未来を約束されていた。
生家は栄光ある、レクト王国の王宮騎士団長を輩出してきた名門。何代も前から、それこそレクト王国建国当時よりエクスタード家は王国の剣であった。
懇意にしているグランマージ家にエミリアと言う女の子が生まれ、レオンは五歳にして将来の伴侶も決められる。
そして祖父や父が王宮騎士団を率いる姿を見て、幼い頃から剣や乗馬の訓練をして育った。時にエミリアが屋敷に訪れることもあれば、レオンがグランマージ家へ行く事もあったが、お互い許嫁と言う事は理解しており二人の関係も良好なものであっただろう。
十五歳の時に騎士に叙勲され、王宮騎士団へ。レオンの家柄からすればそれは当然の事であったのだろうが、まだ成人の儀を終えたばかりの若者が一個小隊を任され……若輩者の上官へ不満を持つ兵たちがいたのも事実だが、そんな彼らを実力で説き伏せてきた。
『ただ良い家に生まれたお坊ちゃま』が、家柄だけで騎士団の中で地位を得ることも当然ある。だが、レオンは違った。良い家に生まれたからではなく、親の七光りではなく……実力で、その地位を勝ち取ったのだ。
レオンが騎士団に入団してそう経たないうちに、騎士団の誰もが思っていただろう。『将来の騎士団長はレオン以外にいない』と。代々騎士団長の座を担ってきたエクスタード公爵家の嫡男だからではなく、彼の人徳や実力がそう思わせたのだ。
そこには彼の、幼い頃からの人並外れた努力があったのは言うまでもないのだが……多くの人はそれを知らず、天性の才だと思っていたようである。
「レオンはずるいわ」
「どうした、唐突に」
「だって、何もかも持ってるじゃない。望んで手に入れた物も、望まないうちから持っていた物もあるのは知ってるわ。あなたが天才なのも、なのに奢らず努力家なのも」
「……何が言いたいんだ、エミリア」
「私だって、王宮魔術師団に入りたかった。私とあなたは何が違うの? 私だって名門の家に生まれて、多分才能だってそれなりにあって、それでも努力に努力を重ねてきたのに! 男か女か、それだけの違いじゃない!」
レオンが騎士団入りして五年。団長である父の補佐として、副団長に任命された日の事だった。祝いの席が設けられ、もちろんそこには婚約者であるエミリアもいたのだが……彼女はレオンへ祝辞を述べるよりも前に頬を膨らませていた。
エミリアが魔術に目覚めてからも五年。彼女はレオンの騎士団入りに感化されたかのように魔術に目覚め、必死に技を磨いていたようである。そして、王宮魔術師団は十五になれば志願できるのだが……エミリアの父である魔術師団長は、エミリアが女だからと言う理由で入団を認めなかったのだ。
もちろん、そこには父親としての想いもあっただろう。大切に育ててきた娘を、危険の伴う魔術師団には入れたくない。あと数年のうちにエクスタード家へ嫁ぐのだから、淑女として大人しく過ごしてほしいと……
エミリアが男であれば、申し分なかったであろう。彼女は確かにレオンに負けずとも劣らない努力家で、類い稀な才能を持ちながらもいつも魔術師として強くなるにはどうしたら良いかと考えていた。
実際、彼女の兄は才能の塊と言って良い程の魔術師であるが、その兄の足元に食らいついているくらいにはエミリアも優秀な魔術師だったと言えるだろう。少なくとも、王宮魔術師団に入って足を引っ張るような人材ではないはずだ。
彼女の兄はレオンと同じように、次世代の魔術師団の団長となるであろう。エミリアが男だったなら、間違いなくその補佐についていたはずなのだ。
「君の言いたい事もわかるが……」
「レオンも、私が女だからって反対?」
「男だからどうとか、女だからどうとか……俺はそんな風に言うつもりはない。だが個人的な事を言わせてもらうなら……将来妻となる君が、危ない事に身を投じる事に賛成はできない」
「そんなのお互い様じゃない! 私だって、レオンが遠征に行く時なんかは心配だってするし……」
「そうだったのか?」
「そりゃ、そうよ……。最近、国外の魔物が以前よりも強くなってるような話だって聞くし……って、どうして嬉しそうな顔してるの?」
「いや……意外だった。君が俺の心配をしてくれているとは」
「もう、ばか……」
若き天才騎士。名門魔術師の家に生まれた、仲睦まじい婚約者……。誰もがレオンの今後には、栄光だけがあるのだろうと思っていただろう。
だが、それから二年……婚約者であるエミリアが十七歳になる日の前夜。エミリアは十七歳になると同時に、グランマージ家を出てエクスタード家へ嫁ぐ事になっていたのだが……その数日前から、レオンとエミリアは二人だけの秘密を抱えていた。
レオンは深夜に小さな明かり一つを持って、供もなくグランマージ家を訪れる。見張りはいたが、警備が薄い場所は知っていた。
そうして、屋敷の裏側へ回り……三階にあるエミリアの部屋の窓を見上げる。テラス越しに、エミリアは不安げな表情をしていた。
「レオン、どうしよう……怖い」
「大丈夫だ、俺がきちんと受け止める」
……エミリアはレオンとの結婚前夜、家を飛び出した。その手引きをしたのは他の誰でもない、レオンなのである。エミリアは勇気を出してテラスの柵を乗り越えレオンに向かって飛び降りて、レオンは彼女の細い身体をしっかりと支えた。
レオン自身、幼い頃から婚約者だと決められていたエミリアの事は大切に思っている。ただ、エミリアが魔術師として生きる事を望んでいるのを知っていたからこそ……彼女の意思を尊重する事にしたのだ。
結婚してからでは、遅い。レオンにも体裁があり、結婚してしまえば妻には家にいてもらわなくてはいけないと……貴族の妻として、社交場に出るような淑女でいてもらう必要がある。
エミリアもそういう教育を受けて育ってきたのだから、いざ社交界へと出れば立派に『貴族の妻』をふるまう事はできるだろう。だが、そうはさせたくなかった。
だから数日前、エミリア本人から『家を出るために協力をしてほしい』と言われた時、全面的に協力することに決めた。
名門貴族であるエクスタード家が婚約者に逃げられたなんて話は滑稽だし、グランマージ家の名誉だって傷つけるだろう。エミリアもそれをわかっていて、それでもレオンならば協力してくれると知っていたのだ。
エミリアが生まれた時からの婚約者……互いの事は、互いが良く分かっている。
レオンはエミリアを馬に乗せ、グランマージ家から立ち去った。とりあえず今夜は、王国のはずれにある少し古い宿で身を隠してもらうことになる。宿の主人に話は通してあるし、エミリアも翌早朝には城下町を出れば宿に迷惑もかけないだろう。
「レオン」
「どうした」
「……あなたが婚約者で良かった」
「そう思っているなら、普通は式の前夜に逃げようとなんてしないんじゃないか」
「そうね……でも、あなたじゃなかったらこんな我儘は言えなかったし、もし言えても協力なんてしてくれなかったでしょう?」
「……そうだろうな」
「ごめんね……ありがとう」
そう話しているうちに、宿の前についた。レオンは先に馬を降り、エミリアが降りやすいよう手を貸してやる。二人はここで、お別れだ。当たり前のようにそこにいたのに、明日からはもういない。わかっていたが、思っていたよりも心は痛むようだった。
それはエミリアも同じなのかもしれない。家を出ると言ったのは自分なのに、今ここまで来て……家を出る事の重大さに気づいたのか、はたまた家族や友人や……レオンと離れる事に寂しさを覚えたのか。
馬から降りた場所から、なかなか動けないようだった。
「……早く行け。誰かに見られるとまずい」
「レオン……」
「最後にエミリア、これだけは覚えておいてくれないか」
「何……?」
「いつでも帰ってこい。俺は、君が帰ってくるのをいつまでも待っているから」
最後にそう伝えれば、エミリアは泣きそうな顔をしていたが……いつまでもそうしてはいられないと、エミリアを宿に押しこむ。レオンはすぐさま馬に跨り、自分も急いで屋敷へと戻る。誰にも見られないよう、十分に注意を払って……
翌日、エミリアが姿を消した事がわかりエクスタード家もグランマージ家も大混乱だったのは言うまでもない。エミリアがいない事は知っているが、その報せが入るまでは何も知らない振りをして、礼服を着て結婚式へと向かう準備をし……
特にエミリアの父親の慌てっぷりと、そして青ざめた顔と言えばエミリアに見せてやりたいと思ったものである。いつか彼女が戻ってきたら、その時に笑いながら話してやろうと思ったりもしていた。