前へ次へ
49/133

エクスタード家の娘(2)

「私たちの部屋は隣だから、何かあればすぐに言ってくれ」

「はい……」

「しばらくの間、夜は部屋の外にアレクを立たせる。その方が君も安心だろう」

「で、でもそれじゃアレクさんが……」

「アレクじゃなくても、夜間の警備で誰かは立たせている。どこの誰か知らない男が立っているより、アレクの方が良いだろう?」

「はい……」

「エクスタード家の家臣に職務を放棄して君の寝込みを襲うような不埒な事をする男はいないはずだが、それを君自身で確かめるまではアレクに頼むつもりだ。家臣達とも、少しずつ打ち解けて行って欲しい」

「わかりました」

「あなたのお兄様は、本当に心配性なんだから。家臣達の事は自分が良くわかっているのにね」

「アリアにも納得してほしいだけだ」


 アリアはくすくすと笑う。レオンが心配性なのは知っていたが、まさかここまでとは。早くエクスタード家の面々と打ち解けなければ、アレクに申し訳ない……アレクはきっと、気にしないでと言ってくれるのだろうが。


「今日はこの後、仕立て屋を呼んでいる。グランマージ家から持ってきたエミリアの服やドレスが何着か衣装棚にかけてあるが、それを合わせてもらうのと新しいものも何着か……」

「お兄様、新しいものは要らないです。お義姉様のおさがりで十分で……」

「アリア、貴族には見栄と言う下らんものがあってな。エクスタード公は妹に妻の古着ばかり着せていると、そんな風に思われる訳にはいかないんだ。君は要らないかもしれないが、私のためだと思ってくれ」

「わ、わかりました……」


 そうだ。既にアリアの振る舞いはレオンの評価にもつながるものだ。貴族の家に入るという事は普段の振る舞いすら見られる事になると、そう覚悟は決めていたはずだったが浅慮だった。


「それと、貴族社会の所作など……色々と覚える事が多いだろう。エミリアもいるが、アリアの教育係としてグランマージ家からエドリックの夫人に来てもらえるように頼んである」

「私のお義姉様ね」

「は、はい」

「いずれは他の貴族にも、君のお披露目はしなければいけない。近いうちに陛下へもお目通り頂く事になるだろう。教会の暮らしとは色々と違って困惑するだろうが、一日も早く慣れてくれることを願っている」

「……ありがとうございます、お兄様」


 そして、アリアの身の回りの事を世話する者として、三人の侍女が紹介された。外出時の護衛はレオンが最も信頼を置く部下の一人を付けてくれるそうだ。

 ほどなく仕立て屋が来たと思えば身体の寸法をくまなく図られ、エミリアが着ていたという服はその場で直され……仕立て屋だけで何時間かかったかわからないが、仕立て屋が帰るともう日は暮れ始めていた。

 レオンはアリアへ屋敷の紹介を終えると騎士団の仕事へと戻ってしまったし、アレクは夜間の警備のために日中から寝ていたそうで姿が見えない。エミリアもいたにはいたのだが、午後からは体調が悪いと言ってアリアには申し訳なさそうな顔をして部屋に戻っていた。

 知らない場所で、知らない人に囲まれて……今日からここがアリアの家だと言われても、心細かったし不安でもあった。だから夕方になってアレクが姿を見せた時、アリアは本当に安堵したものだ。


「アレクさん」

「もうシスターと言って、対等に話すことはできなくなっちゃったね。俺の事は呼び捨てで構いませんよ、アリア様」

「……なんだか、寂しいです。アレクさんはアレクさんのままじゃ、ダメですか」

「ですが」

「私には様も敬語もいりません。お義姉様にそうしているように、私に気を遣わないで欲しいんです。その、私が公爵家の娘として振る舞わなくてはいけない時だけにしてください」

「……わかったよ。できれば俺もそうしたかったし、そうする事をレオン様もきっと許して下さる。あ、でももうシスターじゃないからなんて呼ぼうか」

「名前で呼んではくれないのですか?」

「え? あ……えーと、じゃあ、アリアさん? ちょっと違うか、アリアちゃん、だと軽すぎるし……」

「アリアで良いです。アリアって、呼んでください」

「あ……わかったよ、アリア。……なんか、呼び捨てにするのは照れ臭いや」


 アリア自身も、自分で言って呼び捨てで呼ばれるのはなんだか照れ臭い。照れ臭いと言って少し顔を赤くしたアレクに、アリアもなんだか胸が高鳴ってむず痒い気持ちになる。

 アリアがアレクを異性として意識し始めたのは、いつからだろうか。気づけばアレクが教会に来てくれることを嬉しいと思っていたし、二人でいる時間はとても幸せだった。

 成人した時に教会を出るため、誰か求婚してくれないかと考えた時には真っ先にアレクの顔を思い浮かべたし、アレクの隣に立つ自分の姿を想像したことがないとは言わない。

 だが、アリアがエクスタード家に来たことで……この恋は終わるのだろう。アリアとアレクではどう頑張って釣り合わない、身分違いになってしまったのだ。

 レオンがアリアの今後をどう考えているのかはまだわからないが、将来的には貴族の娘として……エクスタード家の利のためどこかの貴族に嫁ぐのだろう、と。エクスタード家に来るにあたって、当然その覚悟は持ち合わせている。


 夜になってさらに日が落ち、レオンも屋敷へ戻ってくる。エミリアは体調が優れないため夕飯には同席せず部屋でスープだけで済ませるそうだ。アリアはエミリアの事が心配だが、悪阻だと言うのだから心配しすぎても仕方がない。

 レオンはアリアへ、今日は大変だっただろうと聞いてくれる。大変だったが、本当に大変なのは……この後からだった。

 自分でできると言っているのに、入浴も着替えも全て侍女が手伝ってくれる。自分でやると言っても、レオンから手伝うように言われていると聞き入れてもらえない。

 幼い頃からこれが当たり前なら戸惑う事もなかったのだろうが、そうではない。特に入浴は、恥ずかしかったのだが……アリアは棒のように立っているか椅子に座っているだけで、寝台へ入る準備まで終わってしまった。


「では、アリア様。失礼いたします。よい夢が見られますよう」

「は、はい。おやすみなさい……」


 侍女が部屋を出て行って、広い部屋に一人取り残される。ふかふかの寝台は、慣れるまで時間がかかるかもしれない。

 灯りを消してしまうのはなんだか怖くて、ロウソクの火は灯したまま……。疲れているはずなのに、落ち着かずに全然眠れそうになかった。

 アリアは寝台を抜けると、ロウソクの灯りを持つ。部屋の扉をそっと開けると、隣のレオン達の部屋との間にアレクが立っている。彼は夜通しずっとそうしているのだろうが、退屈そうだ。


「……アレクさん」

「アリア、どうしたの? 何かあった?」

「いえ……なんだか落ち着かなくて、眠れなくて」

「環境が変わったから、そうだよね。でもきっと寝台に入って目を瞑って、横になっていればそのうち寝られるさ。遅くまで起きているのは良くないから、早く寝た方が良い。明日も早いだろうし、明日はエドリック様の奥様がお見えになるって聞いたよ」

「はい。いろいろと、貴族のお作法を教えて下さるそうです。とてもお優しい方だって、お義姉様から聞きました」

「そうか、優しい人なら良かった」

「……アレクさんは朝までここに立ってるんですか?」

「うん。レオン様直々に頼まれたからね」

「お辛くないですか?」

「うーん、ちょっと……警備と言っても何もないだろうから退屈だし、立ちっぱなしって言うのも疲れるけどね。適度に身体を動かしたりしながら頑張るよ」

「……私のために、ありがとうございます」

「俺がここにいる事で、君が安心して眠れるなら頑張る甲斐もあるさ。ほら、夜更かししないで早く寝台に戻って」

「……はい。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」


 アレクは、とても優しい男性だと思う。アリアはゆっくりと扉を閉めて、胸の中でちくちくとする想いを噛みしめる。もう一度そっと、薄く扉を開けば……元の場所に戻ったアレクは、まっすぐ前を見ていた。

 その横顔に胸を高鳴らせれば、もっと眠れなくなりそうだ。扉を閉め、寝台へ戻って……今度はロウソクの火を吹き消す。アレクが外にいてくれるから、きっと安心して眠れると……

 隣の部屋では、エミリアはレオンの腕に抱かれて眠っているのだろう。アリアもアレクの腕の中で眠れたらと、頭の中で想像をすれば身体が熱くなるのを感じた。

前へ次へ目次