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禁忌の紋章(2)

 夕方になり、きっともうすぐレオンも戻ってくるだろうと思っていた時。窓をコンコンと叩く音が聞こえた。ここは館の二階である。外に木もない。一体何かと思えば、窓の外に一羽の鳩がいて窓を叩いている。

 兄の、エドリックの使い魔だという事は一目でわかった。一体何のようだと腹立たしく思いながら、エミリアは窓を開けて鳩の足に括りつけてあった紙を取る。


『今日は遅くなったから、一泊してから帰るのでアレク君を帰すのは明日になる。 エドリック』


 紙の大きさ的にあれもこれも書けないだろうし、簡単な報告のその一文だけ。何だかますますエドリックに腹が立ってきた。


「……兄様。話したいことがあるから、明日アレクと一緒にエクスタード家に来て!」


 使い魔の鳩は、エドリックの意識があるだろう。鳩は頷くように首を振って、煙のようにその姿を消す……それと同時に、侍女が扉を叩いた。


「奥様、公爵様がお戻りになられましたが……」

「ありがとう。話したい事があるから、食事の前に部屋に来てもらえないかって伝えてもらっても良いかしら」

「畏まりました」


 侍女はすぐにレオンに伝えてくれたのだろう。レオンが部屋にやってくるが……彼の『ただいま』と言う声を聞く前に、扉が開いた瞬間に詰め寄った。


「レオン、今すぐ服を脱いで」

「は? 突然どうした、エミリア」

「いいから! どこかに紋章を隠してるんでしょう!?」


 ズイズイと迫って、レオンの服に手をかける。レオンはエミリアにされるがまま、特に抵抗する事もなく……エミリアはレオンの服のボタンを外し、レオンの肌を露出させた。


「……隠していた訳じゃない。君が恥ずかしがって寝台の中でも俺の裸を見ないから、気づかなかっただけだろう」

「く、暗かったし、わからないわよ!」


 確かにレオンの裸を見る機会はいくらでもあっただろう。だが、確かにその肌を見なかったのはエミリアだ。改めてそう言われると恥ずかしくなって、エミリアは少し目を逸らすが……

 紋章はレオンの左胸に、しっかりと刻まれていた。


「むしろ、やっと気づいたのかと言いたいくらいだが……」

「……今日、少し体調が良かったからグランマージ家に行ってきたの。五年前にあなたが私に刻んだ紋章の事を調べようと思って……」

「そうか」

「……どうしてこんな、馬鹿な事するのよ!」

「君に死んでほしくなかった。それ以外の理由はない」


 レオンは乱れた服を整えると、瞳に涙を溜めたエミリアを抱きしめる。そして小さく『すまなかった』と、そう呟いた。こんな事をしてエミリアが喜ぶわけがないと、今ようやくわかってくれたのかもしれない。

 エミリアはレオンにきつく抱き着き、何度も『ばか』と言う。その言葉を一度紡ぐ度、抱き着く腕により力をこめる……

 レオンの胸にきつく顔を埋めているから彼の表情はわからないが、きっとエミリアが我儘を言った時に見せるような……優しい顔をしていたに違いない。


「私だって、レオンに死んでほしくない。私の代わりにレオンが死んでしまったら、私はその後どうやって生きればいいの? あなたのいない世界なんて要らない……」

「エミリア、それは俺も同じなんだ。君のいない世界に生きていたって仕方がない」

「レオンのばか……」

「それはお互い様じゃないか」

「その紋章、書き換えさせて。子供もできたのに、もしも私が死んだらあなたが死ぬなんて、そんな事許せない」

「子供には母親が必要だろう? もしも君を失っても、俺は父のように愛の無い再婚なんてするつもりはない」

「あなたが書き換えないなら、私の方を書き換えるだけよ」

「……君の紋章を書き換えられたら、俺の紋章も無意味か」


 レオンは困ったように眉を下げ、観念したようだ。実際のところ、対を解消さえすればどちらを書き換えても効果は及ばなくなる。だからどちらを書き換えようが問題ない。

 しかし、何となく……エミリアの方を書き換えて対を解消したとしても、レオンの身体にその紋章がそのまま残っているのは嫌だとエミリアは思う。

 なのですぐに魔法筆を取り出して、レオンに向けた。レオンは既に観念しているようだ。


「レオン、もう一回脱いで」

「……わかったよ、エミリア。君の好きなようにしてくれ」


 実は、エミリアは……レオンに刻まれている紋章をどう書き換えるのか、エクスタード家に戻って来てからずっと考えていた。

 グランマージ家から持って帰ってきた魔導書は『禁忌』と書かれたものだけではない。もちろんすぐに返すつもりだが、複数の魔導書を持って帰ってきている。

 レオンの持つ紋章の形から、良い効力のある紋章へ書き換えるためにはどうすれば良いかと……

 エミリアは、服を脱いだレオンの身体に筆先を乗せる。思えばエミリアの身体に紋章を刻んでもらったことはあっても、レオンの身体に紋章を刻むのは初めての事で少しばかり緊張した。

 自分の身体にはいくつも刻んできたので、紋章を刻むという行為自体には慣れているが……人の身体となるとやはり勝手が違うものだ。


「……できた」

「なんだか、身体が熱いな……」

「紋章が書き換わったから、レオンの魔力の流れが変わったんじゃないかしら」

「そう言うものなのか? それで、この紋章はどんな紋章なんだ?」

「今までのと同じように、刻めばそれだけで効力のあるものよ。あなたは呪文を唱えて魔法を使うって柄じゃないでしょう?」

「よくわかってるな」

「紋章の効果は内緒」

「……エドに聞けばわかるか?」

「わかるでしょうね。でも兄様には聞かないで」


 エミリアはそう言って、レオンの胸にすり寄る。まだ服を着直していないその素肌は温かく、いつまでもこうして触れ合っていたいと……そう思わせた。

 レオンもその腕でエミリアを優しく包み込み、髪を梳くように頭を撫でてくれる。きっとレオンも、エミリアと同じようにこの瞬間が愛しいとそう思ってくれているだろう。

 顔を覗きこめばどちらからともなく瞳を伏せ、唇を重ねた。

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