前へ次へ
42/133

エドリック・グランマージ(3)

 アレクは朝早くに一人グランマージ家へ向かい、エドリックと共に街を出る。エドリックは籠に乗らず、アレクの隣……つまりは御者台へと座った。


「城下から外へ出れば魔物も出るだろう。奴らが襲い掛かってくる前に私が倒すから、君は馬車を動かすことに集中してくれればいい」

「はぁ……」


 籠の中からでは索敵も満足にできなければ、魔法を放つのに不便だという事なのだろう。心の中を読まれそうで、彼が隣にいるのは緊張するが……確かに、魔物が現れた時に自分が対処しなくて良いのはとても助かる事ではある。

 一体どちらが護衛なのか、わかったものではないが……


「あの、エドリック様。エミリアさんが、どうして急に領地へ行きたいなんて言うんだろうと、気にしていました」

「エルフの長に会いたくてね」

「エルフの長……」

「君はエルフの存在を信じていないんだろう? とっくの昔に絶滅した種族だろうと」

「はい、実際のところは……。自分は見た事ないですし」

「存在するよ、彼らは。グラムの森……グランマージ家の領地にある、深い森に彼らは住んでいる」


 にわかには信じにくい話ではあるのだが、エドリックがそう言う以上、エルフは『いる』のだろう。アレクはまっすぐ前を向いたまま、馬車を西に向けて走らせた。


「エルフに会って、どうするんですか」

「目的は言いたいことと、聞きたいことの二つだ。言いたいことは、祖父の死だね。もう二月近く前の話になってしまうが、元々祖父は彼らと交流があったそうだから」

「伯爵は若い頃に、エルフ達が使う魔法を人間の世界に持ち込んだって聞きました」

「そう。祖父は若い頃に商売のために旅をして、グラムの森の近くで魔物に襲われたらしい。エルフが助けてくれたそうなんだけど、それをきっかけに……我々とは違う言語で話す彼らと五年近く過ごして魔法技術を身に着けたそうだ」

「すごいですね……」

「祖父は長くエルフ達と過ごしたから、エルフの言葉を話せたんだ。言葉の発音や意味を書き留めておいてくれたし、私も教わったからエルフ達と話せるはずだ」


 そう言ってエドリックは、持っていた鞄から一冊の本を取り出す。古そうに見えるその本は、彼の祖父がエルフの言葉を書き留めてくれていた辞書のようなものだという

 だが、エドリックは……一応は持ってきたものの、恐らくこれの出番はないだろうと言って笑う。この本に書かれている事は、全て暗記していると……信じられないような事を言うのだ。

 もうアレクは、エドリックが何を言っても驚かない自信がある。それほどまでにこの『怪物』は、類い稀なる才能をいくつも持ち合わせている。


「エルフは長命だから、祖父が世話になっていた頃にいた人たちも残っていると思う。だから、彼らに祖父の死は伝えておかねばいけないと思ってね」

「なるほど……。もう一つの、聞きたい事とは?」

「……君は、レオンの裸を見た事があるかい?」

「へっ!? いえ、ないですよ! 何でですか、突然……」

「まぁそうだよね。……五年前か。エミリアが家を出る前に、レオンから相談を受けてさ。エミリアが家を出ようとしている事、レオンはエミリアが屋敷を抜け出す手引きをしようとしている事……実は、私は知っていたんだ」

「そうだったんですか?」

「あぁ。それで、レオンに頼まれて……あいつの身体に、一つ紋章を刻んでやった。馬鹿な事はやめろって言ったんだけどな。頭を下げられてしまったら、断れなかったよ」

「……紋章を? じゃあ、レオン様も何か魔法を使えるんですか?」

「いや、あれは……魔法を使うための紋章じゃない。どちらかと言うと『呪い』だな」

「呪い……?」

「そいつを消してやりたいんだ。エミリアが戻って来て、二人は結婚して子供もできた。もうあの『呪い』は必要ない。だが、一度刻んだ紋章を消す方法を私は知らない。祖父さえも知らなかった。エルフ達なら知っているかもしれない。知らなくても、何か手がかりが掴めるかもしれない」

「……あの、その『呪い』って言うのは……」

「あいつは馬鹿だよ、本当に」


 エドリックは、それ以上の事を教えてはくれなかった。レオンが刻んだ紋章は、その『呪い』と言うのは……一体どんなものなのか。気になって仕方がないが、聞き出せそうにない。

 きっと、ただの従者であるアレクが主人の秘密を知る事はないと、エドリックはそう言いたいのだろう。そもそも、エドリックがレオンに紋章を刻んだと、その話すら恐らくは聞きすぎなのである。

 だが、エミリアが家を出るその直前に刻んだと言うのであれば、きっとエミリアに関係する何かなのだろうという事は想像に容易い。今も昔も、レオンはエミリアの事を何よりも大切にしている。

 彼女を守るためなら、その命すら顧みない。レオン・エクスタードとはそう言う人間だと……それはアレクも十分に知っているし、レオンのそんなところに惚れたからこうして彼に仕える事に決めたのだから。



 城下町を抜けしばらく馬車を走らせるうち、人里を離れると魔物の姿をちらほら見かけるようになる。

 魔物も人間の姿を見ると見境なく襲ってくる個体もいれば、我関せずと言う個体もいる。エドリックは襲い掛かってくる個体には有無を言わせず魔法を浴びせていたが、寄ってこない個体は素通りで見逃していた。

 アレクはただ馬車をひたすら西の方へと向かって走らせ、途中で街を見つけ少し休憩をとってから更に進む。グランマージ家の領地だと言うその森に着いたのは、朝は早くでたが昼を回っていただろう。

 地図で見ればそこまで遠くはないと思ったのだが、実際は中々遠いと……アレクは思った。


「ここがグラムの森……エルフ達の住む森だ」

「来たのはいいんですが……エルフに会えますかね?」

「会えるよ。それは心配しなくていい。彼らはきっと歓迎してくれるよ」


 馬車を降り、馬車の籠は森の入り口に停めておく。馬に何かあっては困るので、馬を馬車から外し……二頭連れていたので、ちょうどいいだろう。エドリックに馬に乗ってもらい、また、アレクも馬に跨る。

 そうして、ゆっくりと歩かせる……。長時間馬車を引かせて疲れているだろうがゴメンよと、アレクはそう言って馬をいたわる様に首元を撫でた。

 少しばかり森の奥へと進んでいけば、背の高い木々に遮られ日が入らず夜のように暗くなっていく。少しばかり不気味だと、山育ちのアレクですらそう思わせるのだが……不思議と神聖な空気に包まれているように感じた。


「……誰かいます!」

「エルフだな」


 アレクはいち早くその気配に気づき、馬を止めるがエドリックはアレクよりも一歩前に出た。エルフの姿は見えないが……エドリックはやや声を張るように、何か話している。

 それがエルフの言葉なのだろう。アレクはただ、エドリックの声が止まるのを待った。そして、エドリックの声が止まると、奥の木の陰から人影が見え……出てきたのは一人の女性。その女性も、アレクには全く理解できない言葉を話していた。

 透き通るような白い肌に、長く尖った耳、金糸のように輝く長い髪……おとぎ話の中にしか存在しないと思っていたが、その姿は紛う事なくエルフだろう。


「アレク君、彼女らの住むところまで案内してくれるそうだ。だが、武器は彼女に預けてくれないか。それが条件だと言う。それと、彼女に合わせここからは歩いていこう」

「は、はい」


 馬を降り、アレクは馬を引きながらエルフの方へ歩くエドリックの後を追う。持ってきていた弓矢と剣を、アレクはエルフの彼女へ預けた。

 遠目で見ても美女だと思ったが、近くで見ると今までに見たことがない程の美しい女性で……思わず見惚れてしまう。アリアの事を好きだと言う事を忘れたわけではないが、これはこれ、それはそれ……と、誰に対してでもなく心の中で言い訳をした。

 と、アレクはそう思っているとエドリックが彼女に何かを話している。彼女はアレクの方を見て、口元を緩めて笑った。エドリックが何を言ったのか、わかったような気がしてとても恥ずかしい。


「エドリック様、変な事言わないでください……」

「君が彼女の事を、すごい美人だって思ってるって言っただけだよ。悪い事じゃないだろう?」

「そ、それはそうかもしれませんが……」


 そう言いながら、先導する彼女の後を追う。ちなみに、彼女の名前はイリーナと言うらしい。

 祖父の残したエルフの言葉の『辞書』があるとは言え、実際にエルフと会話をするのは初めてだろうに、まったくそんな事を感じさせずイリーナと話をしているエドリックの事を素直にすごいと……アレクはそう思いながら歩みを進めた。

 どれくらい歩いただろうかと思った頃、森の奥に建物が見えてくる。エルフ達の住む里へ、到着したようであった。

前へ次へ目次