エドリック・グランマージ(2)
「そもそも、お兄さんは魔術師団の副団長なんですよね? ってことはめちゃくちゃ強いんじゃないですか? 護衛、いります?」
「まぁ、兄様がめちゃくちゃ強いのはその通りよ。私なんて足元にも及ばないくらい……でも、一人で行く訳にはいかないでしょう? 一応、グランマージ家の跡取りなんだし」
「じゃあ、グランマージ家の家臣を連れて行けばいいんじゃ……」
「それはダメよ。うちの家臣は魔術師ばかりでしょう? 魔術師のお供が魔術師なんて、二人で魔力を切らしたらどうするの」
「あ、それもそうか……」
「……まぁ、兄様には魔力切れも無縁なんだけど……兄様の場合は魔力よりも体力切れね」
「魔力切れが、無縁?」
以前、エミリアに聞いた。魔力と言うのは人間誰しも持っているが、その容量は限られていると。魔力が切れれば魔法は使えない。外部から回復させる手立てはあるが、何度も魔力を回復させ続ければ今度は体力が尽きてしまう。
飛竜の棲む谷でエミリアが倒れたのも、まさにその状態だった。魔力・体力共に尽きた時にはしばらく昏睡状態に陥るほど重篤である。
「兄様の魔力は、湧き水のように尽きることがないの。兄様は本当に、魔法を使うために生まれてきたんでしょうね」
「魔力が尽きない……?」
「えぇ。それに兄様は……魔法を使うのに、紋章を必要としない」
「でも、紋章を刻まなければ魔力は眠ったままなんじゃ?」
「最初に言わなかったかしら。稀に、紋章を刻まなくても魔力が目覚めている人がいるって。それが兄様なのよ」
昼間、レオンの言葉には違和感があった。エドリックが初めて魔法を使ったのは五歳だと言っていたが……いくら魔術師一家の息子だとしても、そんなに小さな子に紋章を刻むのだろうかと、そう思っていたのだが。
エドリックはそもそも紋章を必要としない、生まれた時から目覚めている人間だったと……エミリアは言う。レオンが言った言葉への違和感は確かにあったが、その違和感はスッキリと晴れた。
子供と言うものは、見よう見まねで親や周囲の人間の真似をする事があるだろう。そういう遊びの一環の中で、幼い日のエドリックは魔法を披露したのかもしれない。
たった五歳の少年が、魔法を繰り出す。それは確かに、彼が神童と呼ばれる所以だったのだ。
人の全てが見え、予知夢を見、加えて紋章すら必要とせず魔法を操り、しかも魔力が尽きる事のない規格外の魔術師。エミリアと話して、やっとレオンが『まだわかっていない』と言ったその意味を理解した。
確かに『怪物』だ。怪物以外の何物でもないと、アレクは身震いする。そんな怪物の護衛に着かなくてはいけないというのかと、少しばかり気が重かった。
「でもいいなぁ、領地……私も行ったことないのよね。私も行きたかった」
「え? エミリアさんも、グランマージ家の領地に行った事ないんですか?」
「ないわ。旅をしてる時に近くを通ったことはあるけど……」
「アレクはグランマージ家の領地の事を知らないんだろう。グランマージ家の領地は、伯爵家の領地とは名ばかりの未開の地。地図で言うと、この辺りの森一帯だ。領民もいない」
「領民すらいないんですか?」
「レオン、それはちょっと語弊があるわ。確かに、グランマージ家に税を納めているような領民はここにはいないけれど……この森にはエルフ族が住んでいるの。強いて言うなら、エルフが領民よ」
「エルフ……本当に、今でもそんな種族が存在するんですか? もう歴史上の存在じゃ?」
エルフ族はかつて大陸中あちこちに住んでいたと言われる森の民だが、森が開発されるにつれてその数を減らしていき……そして今はもう絶滅してしまったのではないかと言われ、その存在はついに幻となっていた。
エルフ達が生き続ける森があると言うような話も都市伝説として残ってはいるが、アレクは今も彼らが生き残っているというその存在には懐疑的である。
「私も見たことはないから、本当のところは知らないけれど……おじい様が若い頃、この森に住むエルフ達と交流があったそうよ。魔法って言うもの、元々エルフが使っていたものだそうだし……」
「伯爵はエルフ達の使う魔法を、どうにか人間が扱えるようにできないかと考えて紋章を身体に刻むと言う方法を編み出した。それで我々人間の世界に魔法が発展したと言われているな」
「その功績が認められて、おじい様は伯爵になったって……最初にアレクに会った時にもそんな話はしたわよね。その時、王家の直轄領からグランマージ家の領地としてこの森一帯を貰ったそうなの」
「どうせ領地を頂くなら、人が住めて税が徴収できるような場所を選べば良かったのに……」
「おじい様は、エルフ達が住むこの森を守りたかったみたい。おじい様がこの森を領地として頂かなければ、この辺りの森の木々を伐採する計画があったらしいわ」
「それに伯爵は根っからの商人だったから、領民を持って彼らへの責任は負いたくなかったのだろう。グランマージ家の領民は、厳密にはエミリアの生家であるあの屋敷の使用人達だけだ」
「そうなんですか。俺の思っている貴族とは全然違う。貴族って言えば領地の領民達から税をたくさん取って、私腹を肥やしてふんぞり返っているような……」
「それは偏見だ。私の事もそう思っているのか?」
「いえ、もちろんそんな事は……!」
「ふふ。領民がいなくて税をとれない分、魔法を使った道具や装備を作っているのよ。グランマージ家はそれでお金を稼いでいるの」
「言っておくが、我が家よりもグランマージ家の方が年間の収益は多いぞ」
「えぇ……!」
エミリアの外套やレオンが飛竜の棲む谷へ持って行ったあの大盾なんかも、グランマージ家が作って市場へ流しているものらしい。魔法具と呼ばれるそれらは大変な高級品だが、各国の軍隊や貴族達はその稀少性と性能ゆえにどんなに高値であっても喉から手が出るほど欲しがるのだ。
元々エクスタード家がグランマージ家と関係を深めたかったのも、実際のところはこの辺りの事情もあるのだろう。グランマージ家と婚姻関係になれば優先的に、しかも多少でも安価に回してもらえる。
グランマージ家としては、国で一番権威のある公爵家であるエクスタード家と繋がれるのは何と言っても箔がつく。元々エミリアの祖父は王女を妻に貰っており王家の後ろ盾がある家である事もそうだが、更にエクスタード家まで味方となればどれだけその力を誇示できる事か。
レオンとエミリアは純粋に愛し合って結ばれた訳だが、元々は貴族同士の思惑が絡んだ上での政略結婚。アレクはそれもわかってはいるが、貴族社会には夢がないと……外から見れば華やかなのに、内部事情を知ってしまうとそう思った。
「……でも、兄様はどうしていきなり領地に行こうと思ったのかしら」
「エルフがいるか確かめたいとか、ですかね?」
「エドに限って、それはないだろう。……私たちには何も言わなかったが、何かを『見た』のかもな」
「予知夢、ですか……」
ともかく、三日後に彼と共に行けばその目的もわかるはずだろう。アレクはその後二日間、いつも通りに過ごして三日後を迎えた。