レオンの決断(1)
アリアとの食事を終えた後彼女を教会まで送り、屋敷へと戻る。道中、エミリアが屋敷に戻ったら話したいことがあるとそう言ってきた。
今日の依頼で魔物が出たというし、レオンはその事で何かあったのかと思っていたが……
二人で寝室へ入り、一旦机を挟んでお互い椅子へ腰かける。エミリアの表情は真剣そのものだった。
「話したい事は二つあるの。一つは今話すけど、もう一つは……着替えて寝台に入ってからでもいいかしら」
「わかった。……君がそんなに真剣な顔で俺に何かを言う時は、俺に何かさせたい時だ。言ってみろ、大概の事では動じないぞ」
「流石に、慣れているわね。……アリアの事なんだけど」
「アリアの?」
「彼女に父親の事を話して、エクスタード家に迎え入れてあげて欲しい。周りの子たちに、レオンがアリアを私の代わりにしていたなんて思われていたみたいなの。アリアには、周囲の子たちはレオンの事をよく知らないからそんな事を言うんだって、構う必要はないって言ったけど……あれじゃアリアが可哀想だわ」
「それは……」
「あなたのせいよ。アリアが大切なのはわかるけど、兄だと名乗り出る事もせず中途半端に関わるから」
エミリアの言葉は核心を付いていて、反省せざるを得ない。いくら彼女の母・ポーラが父親の事は言わないで欲しいと言ったとしても、ポーラの死後……真実を伝え早めにエクスタード家に迎え入れていればアリアが辛い思いをする事もなかった。
「……そうだな。しかしまさか、アリアの周囲にそんな風に思われていたとは。だが以前も話したが、継母上がいる以上……」
「お義継母様がアリアの事を疎ましく思うのは、それはそうだと思う。それに、私もここにきてお義継母様の傍若無人っぷりは確かに見たわ。あなたがアリアを家に迎え入れて、お義継母様に虐められるんじゃないかって、そう思う気持ちもわかる。だからレオン、決断してほしい」
「……継母上を、追い出せと言うのか」
「そう。あなたは血の繋がりのない育ての母と、唯一血の繋がった妹……どっちが大切なの?」
「……君は相変わらず容赦がない。手厳しいな」
「当然よ。私だって義妹が可愛くて仕方がないの。だから悲しい思いも、寂しい思いもさせたくない」
エミリアはまっすぐに、レオンの目を鋭く見つめながらそう言う。エミリアのこういった、歯に衣着せぬ物言いはいっそ清々しいくらいである。エミリアから見れば、継母と妹……どちらにも良い顔をしているレオンは、優柔不断な男以外の何者でもないのだろう。
「……わかった。今度の非番の日は……明後日か。そこで継母上に話そう。だが、すまないエミリア。血の繋がりは確かにないが、物心つく前に生母を亡くした俺には……誰が何と言おうが、彼女が唯一の母である事には変わりはないのだ。それは、理解してほしい」
「……本当に、あなたは優しい人ね」
「優しい男は嫌いか」
「優柔不断な男よりずっと良いわ」
「それは良かった。……継母上の事が済み次第、直接神父殿とアリアに話す。この件は、それで良いか」
「えぇ。レオン、決断してくれてありがとう」
もう一つあるという話が気になるが、それは寝台に入ってからだとエミリアは言う。一つ目の、アリアの話は済んだので次の話を聞くための準備だと立ち上がった。
「誰かいるか」
「レオン様、お呼びでしょうか」
「湯は沸いているか?」
「はい、先ほどから温めております」
レオンとエミリアはそれぞれ入浴し、部屋へ戻ってくれば使用人が暖かいお茶を用意してくれていた。よく眠れるように、良い夢が見られるようにと……それは夫婦の、寝る前のいつもの習慣でもあったのだが。
「私、今日は要らないわ」
「珍しいな。体調でも悪いのか」
「そうじゃないんだけど……今日は疲れたから、飲まなくてもきっとぐっすり眠れると思うの」
エミリアはレオンの正面に腰かけるもののお茶を断り、頬杖をついてただじっとレオンを見つめてくる。そんな風に見つめられると少しばかり照れ臭いのだが、その表情と言えば柔らかく微笑んでいて……愛されていると、それを感じるには十分だった。
レオンはお茶を飲み干し、使用人には下がるように言う。部屋にエミリアと二人きりになってから立ち上がり、寝台へと向かった。
レオンが寝台に入ればエミリアも同じように、そしてすでにそれは当たり前の事になっていたが……そのままレオンの腕に抱かれるように、すっぽりと収まってくる。
結婚してから、エミリアは素直に甘えてくるようになっただろう。以前はこんな風に甘えてくることはなかった。きっと、婚約者と言うだけで恋人ではないと……彼女はそう、二人の関係に一線を引いていた。
だが今はもう夫婦なのである。腕の中の愛しい女性を、レオンは抱きしめ口づけた。
「ん……っ」
エミリアが思わず喉から息を漏らすほどには、口づけも深くなっていく。体勢を変えレオンが上になれば、エミリアがレオンの胸を手で押した。
「待って、レオン」
「なんだ?」
「先に、話をしてもいい?」
「俺が先ではだめか?」
「もう……」
エミリアはレオンを拒む事はなく、眉を下げながらも受け入れる。ロウソクの灯りだけが部屋を照らしていたが、ふっと息を吹いてその明かりを消し……彼女の細い身体を抱きしめた。
「レオンのばか」
「悪かった。拗ねないでくれ」
疲れていたであろうエミリアの身体を気遣ったつもりではあったが、エミリアはレオンに背を向け腕の中で拗ねている。謝りながらその首筋に口づければ、エミリアは『もう』と言ってレオンの方に振り返った。
「それで、話とは何だ」
「……ちゃんと聞いてくれる?」
「あぁ」
「……まだ、誰にも言っちゃだめよ。しばらくの間は、私たちだけの秘密って約束よ?」
「約束するから、勿体ぶらないで話してくれ」
「子供ができたみたい」
エミリアのその言葉に、レオンの思考は固まる。ほんの一、二秒の短い時間ではあったが、思考が追い付かなかった。
確かに、エミリアがエクスタード家に居を移してからと言うものの……毎夜と言って差し支えない程には肌を重ねている。
しかし、だからと言ってこんなにも早く子供ができるとは思ってはいなかった。本当ならば喜ばしい事であるが、何かの間違いではないのかと……つい、確かめる。
「ほ、本当か?」
「えぇ。夕方教会でお茶を飲もうと思った時に、気持ち悪くなっちゃって……。すぐシスターとアリアが確認してくれたわ」
「そうか……アリアも知っているのか。気持ち悪くなったというのは、それは悪阻と言うやつか?」
「そうみたい。さっきお茶を断ったのも、そう言う事なの」
「……では、夕食の『シャルメン』も本当は辛かったのか?」
「うん、辛かった……。気持ち悪いのも勿論なんだけど、折角の好物を楽しめないのも……」
確かにエミリアは、今日の夕食はいつもよりも控えめだったような気もしていた。今日は身体を動かして疲れていたのだから、むしろいつもより多く食べたっておかしくないはずだったのに、だ。
「……そうだ、君は今日ギルドの依頼で野菜の収穫に行っていただろう? 単純なようで、案外身体を動かすんじゃないのか? それに、魔物が侵入して戦闘になったと……魔法を使ったのも、そういうのは子供に影響はないのか?」
「まだ宿ったばかりだし多分大丈夫だとは思うけど、子供を産んだ魔術師の話は聞いた事がないから……魔法を使う事が影響するかどうかは、正直わからないわ。だから、魔法は……少なくとも出産するまでは、もう使わない」
魔術師であることを誇りに思っている彼女が、自ら魔法を封じることはきっと辛いだろう。母親になるため、いや……子を宿したと知ったその瞬間からエミリアは既に母親になって、その選択をした。
魔法を使う事が子供に影響するのかしないのかが定かでない以上、そうするのは当たり前なのだろうが……彼女の『母性』と言うものに感動すれば、エミリアが更に愛しくなって強く抱きしめる。
「レオン?」
「……エミリア、ありがとう」
「まだ早すぎるわよ、レオン」
「そうではない。……改めて、君が愛しいと思った。俺の妻になってくれた事に、感謝してるんだ」
「……レオンだって、ずっと私を待っていてくれてありがとう。なんだかんだ私、今すごく幸せよ。私こそ、あなたに感謝しなきゃ。ありがとう、レオン。……愛してるわ」
二人はもう一度、深い口づけを交わしてから眠りに就いた。