アリアの決意(5)
教会に着いて、エミリアが持って帰ってきた野菜の一部を他のシスターへ渡してくれている間、アリアはアレクの腕の処置を。服の袖まで血がべっとりとついているが、既に乾いているので服が皮膚に張り付いていて……剝がすのは少し痛そうだった。
袖を捲って、濡らした布で拭く。血が落ちると、鋭い牙に噛みつかれた穴がはっきりと残っていた。
「痛くないですか?」
「あぁ……見た目はすごいけど、もうそこまで痛くはない。エミリアさんの魔法のお陰かな……」
「早くこの傷跡も消えると良いのですが……」
傷薬の軟膏を、その牙の跡に塗る。少し染みるのかアレクは顔を歪めるが、次の瞬間こんなの何でもないとでも言うように表情を戻した。
その後患部に布を当て包帯を巻けば、とりあえずの処置は完了だろう。
「ありがとう、シスター。手際が良いね」
「そうですか? 孤児の子たちがやんちゃで、よく怪我をするから慣れてるんです」
「アレク、私たちここで待ってるから一度帰って着替えてきて。その血まみれの袖じゃ『シャルメン』に行くのに物騒だわ」
「そうですね。急いで着替えてきます!」
馬車をそのまま出すより馬に乗った方が早いと、アレクは馬車に繋いであった馬を馬車から外すと、ひょいっと簡単に馬に跨った。
馬に乗る男性と言うのはそれだけで絵になる。更にアレクは身長だってレオンとそう変わらない長身で、顔つきも優しく甘い。加えて明るく分け隔てのない性格のせいか最近教会の……アリアの同世代の女子からちょっとした人気者であった。
アリアはアレクが出て行った方を、ただ目で追う……。その目が『恋する乙女』の目になっていた事に、気づいたのはエミリアくらいだろう。
「アリア。私たちも着替えて、お茶飲んで待ってましょ」
「はい! エミリア様、私すぐにお茶を淹れてきますのでお待ちくださいね」
アリアはすぐにお湯を沸かし、その間に着替えてしまう。エミリアも同じように着替えていたようだが、お湯が沸いたらすぐにお茶を用意しエミリアの前に持っていった。エミリアのお気に入りの茶葉は、レオンが昔からよく飲んでいたものだ。
エミリアの好きな茶葉だからレオンが飲んでいたのか、レオンの好きな茶葉だからエミリアも気に入っているのか……どちらが先だったのか。それはわからないが、そんな些細なところでもこの二人の絆と言うものを感じてしまう。
とてもいい香りのする茶葉で、アリア自身も大好きなお茶である。エミリアが座る机の上に置いて、エミリアはいつものようにアリアにお礼を言い、カップを持ってまずは香りを楽しむ。
……そこまではいつもの通りだったのだが、エミリアはカップを持ったまま固まる。その表情は真顔で……アリアには何が起こったのかわからなかった。
「エミリア様、どうかされましたか?」
「アリア、せっかく淹れてくれたのに、ごめんなさい……。ちょっと、気分が」
エミリアはカップを机の上に戻すと、口元を押さえて顔を背ける。アリアはどうしたらよいかわからずオロオロとするが、そんなアリアの様子を見て高齢のシスターが声をかけてくれた。
「エミリア様、どうされましたか」
「シスター、すみません。突然、気分が」
「……アリア、あなたは今日エミリア様と一日一緒に居たのでしょう? 何か心当たりは……」
「特に、何も……。日中はお元気でしたし、今お茶をお出ししたところで……。お疲れでしょうか……」
シスターはそのお茶の入ったカップの方を見て、それからもう一度エミリアを見る……。何かに気づいて、心配して下げていた眉がころりと向きを変えた。
「エミリア様、もしやおめでたでは?」
「おめでた……?」
「ご懐妊されたのではないでしょうか。お心当たりは、ございませんか?」
「うっ……心当たりは、その……。ない訳では、ないですが……」
恥ずかしそうに、エミリアはごにょごにょと口ごもりながら言う。おめでた、つまりは子供ができたという事であれば……その過程の事でエミリアはきっと照れている。
アリアもどうやって子供ができるのかは本で見て知っているが、確かに『心当たり』なんて言われ方をされると恥ずかしいだろう。
「エミリア様、あちらの部屋へご移動できますか? 簡易な物ですが寝台がありますので、ちょっとお腹の音を聞いてみましょう」
「はい……」
立ち上がったエミリアは、少し足元がふらついているようだった。隣の部屋……医務室として使っている部屋まで行き、エミリアには横になってもらう。シスターがすぐそばにあった木の筒を持って、エミリアの腹に当てて反対側に自分の耳を寄せた。
もしも子供ができたのなら、赤ん坊の心音が聞こえるはず。アリアも以前聞かせてもらったことがあるが、赤ん坊の心音は自分たちよりもずっと早くわかりやすいものだった。
「アリア、あなたも聞いてごらんなさい」
シスターがそう言うので、アリアも木の筒に耳を近づける。トクントクトクンと、大人よりも随分と早い音が微かに聞こえた。
「……アリア、何か聞こえる?」
「小さいけれど、心音が聞こえます。……おめでたです!」
「そっか、レオンの言う通り……案外早かったなぁ。まだ結婚して二カ月も経ってないのに」
エミリアは『まだ子供は要らなかったのに』と言うような言葉を発しつつも、その困ったような表情は嬉しそうにも見えた。
冒険者の仕事をするのは、子供ができるまでだと……レオンとそう約束していると聞いた。だから、冒険者としての活動は今日で終わりという事になるのだろう。
エミリアはきっと、本当はまだまだ冒険者として活動したかったに違いない。だが、それよりも……愛しい人の子を宿したと知って、それが嬉しいに違いないのだ。
「早速、レオン様にお知らせしないと……」
「待ってアリア、レオンには後で私から言うから。それに、今すぐレオンに言ったら『シャルメン』に行けなくなっちゃう」
「……エミリア様、そのご様子でお食事ちゃんとできますか?」
「大丈夫よ。アリアが楽しみにしていたのと一緒で、私も楽しみにしていたの。アレクが戻ってきたら行きましょうね」
アレクが戻ってきた時に医務室に居たら、彼も心配させるからと言ってエミリアは身体を起こして元の部屋に戻る。先ほどは飲む前に手を止めたカップを手に取って、お茶を口元へ運んだ。
「……匂いが、気持ち悪くなるのね。味は美味しいのに……」
エミリアがそう言って二口目を飲もうとした時、ちょうどアレクが戻ってきた。エミリアは何もなかったように振舞って、アリアもそれに倣う。
じゃあ行こうかとアレクが馬車を出し……店の前に馬車を止め店の中に入れば、レオンが連れてきてくれる時にいつも通される個室へ通され……そして、そこにはいるはずの無かったレオンが待っていた。
「先ほどアレクから色々聞いた。今日は疲れただろう、好きな物を好きなだけ食べるといい」
「レオン様、今日はいらっしゃらないはずでは……どうされたのですか?」
「さっき、アレクが城まで来て私も来いと言ってくれてな。たまたま騎士団の仕事も早く終われたし、ちょうど良かったよ。アリアを驚かせようと思って、教会まで行かずにここで待っていたんだ」
「ごめん、シスター。さっきシスターがエミリアさんと話してる声、籠越しになんとなく聞こえていてさ。レオン様がご一緒してくれたら、シスターも喜んでくれるんじゃないかと思って……着替えるついでに、レオン様を引っ張ってきちゃったんだ」
「アレクさん……ありがとうございます。レオン様、お忙しいのに申し訳ないです……でも、来てくださって嬉しいです!」
「ほら、突っ立ってないで早く座りなよ。エミリアさんも、こっちの席にどうぞ」
「ありがとう、アレク」
四人が机を囲み、品書きを見て料理を注文する。アリアはエミリアの事が心配だったが、エミリアはあくまでも普段通りだった。きっと、運ばれてくる料理の匂いに気持ち悪さを感じながら、それでも場の雰囲気を壊さないように振舞ってくれていた。
今日の依頼であった事の話で盛り上がって、エミリアがアレクをからかうような話でみんなで笑って、それはとても楽しい晩餐であった。
エミリアが言った、レオンはアリアが思っているよりもずっとアリアの事を大切にしていると……それを実感した夜だった。