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アリアの決意(4)

「もう大丈夫?」

「はい……ありがとうございます。アレクさん、腕は……」

「もう血も止まったし、平気だよ」

「教会に戻ったら、手当しますね。血は止まっていても、患部を洗って布を当てないと……」

「ありがとう、シスター」


 二人が話している間に、エミリアは籠にこんもりと野菜を入れていた。遠慮と言うものを知らないのか、これくらいは報酬として妥当だと思っているのか……

 教会へ持っていく分も含めているらしい。教会はいつも食事が質素だから、こんなにたくさんの野菜があれば皆も喜ぶだろう。

 来た時と同様、アレクが御者台に座って馬車を走らせる。


「楽しかったけど、思っていたよりも疲れたわね。魔物が襲ってくるなんて騒ぎもあったし」

「はい」

「あの農場がまたギルドに依頼を出してくるようなら、黒星で出してもらうようにギルドにも伝えておかないと……。アリア? 元気ないけど……そんなに疲れた?」

「いえ、疲れでは……」

「じゃあ、何か悩んでる? お姉様に言ってごらんなさい」


 エミリアは、レオンがアリアの事を妹だと思っているのなら自分にとっても妹だと……だから、自分の事をレオンと同じように姉と思ってほしいと、そう言ってくれていた。

 アリアにとってそれはとても嬉しい事だったし、レオンには言いにくいような……例えば恋愛の事や女性特有の悩みだとか、そう言う事はどんどん言ってほしいと言われている。

 もちろん、そういう悩みがあれば言おうと思っていたのだが……


「……私、自分の存在意義がわからなくなりました」

「存在意義? そんな難しい事考えてるの?」

「この間、教会の同年代の子たちに言われたんです。私がレオン様に可愛がって頂いていたのは、エミリア様の代わりにされていただけなんじゃないかって……」

「……その子たちは、レオンの事何も知らないからそんな馬鹿な事を言うのよ。相手にする必要なんてないわ」

「わかっています。でも、最近レオン様が私に構ってくださらないのは事実です。一月の謹慎があったから、今とてもお忙しいのもわかっています。それに、エミリア様とご結婚されたのに私を構うのは、レオン様の世間体も良くないし……」

「……ただ忙しいだけよ。レオンだって、本当は」

「私、レオン様に必要とされてるって思ってたんです。レオン様は、ずっとお一人でしたから……。でも、誰かに必要とされたいって、そう思っていたのは私の方でした」

「レオンがもう、あなたの事を必要としていないから……誰にも必要とされていない、役に立てない自分は存在している意味がない、なんて思っちゃった?」

「はい……。今日だって、何のお役にも立てませんでした……」


 エミリアは、アリアの気持ちを否定せずうんうんと聞いてくれる。レオンにはもうエミリアがいるから、アリアは必要ない。魔物との戦闘になってもただ守られていただけで、アレクの怪我の手当すらすぐには動けなかった。

 母を亡くして以来一人ぼっちで、レオンに必要とされている事だけがアリアの存在意義だった。その存在意義をなくし、次の居場所になり得ただろう『治療』や『手当て』も満足にできない。

 完全に自己嫌悪だ。存在価値のない自分が、どうして存在しているのかがわからない。


「あのねアリア、人間誰しも存在意義なんて持って生まれていないのよ。誰かに必要とされているとかいないとか、そんなのはどうでも良い。あなたがいてくれるだけで、その事実だけで尊いんだから。存在意義を作るのは、他人じゃなくて自分自身よ」

「エミリア様……」

「お願いだから、悲しい事は言わないで。あなたがいなくなっちゃったら、私もレオンも悲しむわ。それにね、レオンは……あなたが思っているよりも、ずっと……ずーーーーっとあなたの事を大事にしてるのよ」

「本当ですか?」

「本当よ。私があなたに妬いちゃうくらい」

「そんな……」

「今、御者台に座ってるアレクだって、レオンが忙しいから代わりに食事に行こうって誘ってくれたんでしょう? みんな、あなたの事を大切に思ってるの」

「……ありがとうございます、エミリア様。元気、でました」

「そう、良かった。アリアはいつも、笑っていてくれればいいのよ。それだけで、周りもみんな笑顔になるんだから。ねっ?」


 正面に座ったエミリアは手を伸ばし、アリアの頭を優しく撫でてくれた。エミリアのその手と言葉は、まさに魔法のようでアリアは気持ちが明るくなってくる。

 アリアにとって、エミリアは憧れの女性だった。強く、優しく、美しい……。私もこんな女性になりたいと、そう思う。やはり二年後、成人した時には教会を出ようと、アリアは決めた。

 レオンの従者になったアレクと同じように、アリアはエミリアのそばに勤めたいとその気持ちが高まる。


「エミリア様、お願いがあります」

「何かしら?」

「……私も、エミリア様のように……魔法が使えるようになりたいです。その、私に戦闘は向かないと思いますので……先ほどエミリア様が使ったような、治療の魔法を教えてください」


 エミリアは目を丸くして、それから二、三度瞬きをする。あまりに意外な言葉だったのか、すぐに言葉は帰ってこなかった。


「……それは、私が一存でいいとは言えないわ。ごめんね」

「そんなに難しい事なのでしょうか」

「魔法を使えるようになるって、身体を傷つけるの。私も普段隠しているから、知らないでしょうけど……。何年か前に、私と同じように魔法を使う冒険者の女性に会ったわ」

「エミリア様以外に、そんな方が居たんですね」

「彼女には昔、結婚を心に決めた男性が居たんだけど……身体に刻んだ紋章のせいで、相手の両親に反対されて結局結婚できなかったって、そんな話を聞いた」

「そんな……」

「女にとって結婚って、生きる上での手段の一つでもあるでしょう? アリアが今後どんな人生を歩むかわからないけど、魔法を覚えることで人生の可能性を一つ潰してしまうの。だから、簡単にわかったとは言えない。考えて考えて、それでも覚えたいって結論なら私は反対しないわ。でも、一人で決めないでレオンにも相談してね」


 そこまで話したところで、馬車が止まる。どうやら教会に着いたらしい。アレクが馬車の扉を開け、着いたよと言って手を差し出してくれる。アリアはその手を取って……胸が、ドキドキとした。

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