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アリアの決意(3)

 昼休憩を挟み、午後もずっと作業が続いた。簡単な仕事ではあるものの、長時間の作業ともなるとやはり疲れる。はじめは楽しそうにしていたエミリアも疲れたと言って愚痴を漏らして、だからエミリアさんは留守番してろって言ったんですとアレクが強めの口調で言っていた。

 と、その時……農場の奥の方から、騒がしい声がする。


「親方、魔物が侵入してきました!」

「なんだって!? どんなやつだ!?」

「少し大きい猫みたいな……網で捕獲しようと思ったんですが、数も多いしすばしっこくて、中々捕まえられません!」


 作業員と主人の話し声が聞こえた。魔物が出たと、その事にアリアが真っ先に感じたのは恐怖であるが、アレクとエミリアはそうではないようだ。


「エミリアさん。多分この間、山小屋の依頼で倒した奴ですね」

「えぇ。きっと『アドラウム』だわ」

「ご主人、魔物なら俺たちが退治します。作業員の皆さんは避難させてください」

「あ、アレクさん。大丈夫ですか」

「はい、剣は持ってきていますし敵は強い魔物じゃない。エミリアさん、後方から支援お願いできますか。俺は飛び込むんで」

「えぇ、もちろんよ。あいつら素早いから気を付けてね」

「わかってます。シスター、エミリアさんの後ろへ。きっとそこが一番安全だから」

「は、はい……」


 アレクはレオンの従者となってから、剣の稽古をしていると言っていた。公爵家の従者の嗜みとして、どこへ行くにしても剣は腰に下げている。その剣を抜いて、前方に姿を現した魔物へとびかかる。

 エミリアは今日魔導書を持っている気配はないが、魔導書なしでも使える魔法で対応するのだろう。そう思っているうちに、エミリアが何か呟いている。呪文の詠唱だと気づいたのは、足元に魔法陣のような……光の環が浮かび上がったからだ。


「この光の環から出ないでね」

「これは……」

「見えない壁を作ったの。この環の中には、虫の一匹だって入ってはこないから安心して」

「はい……」


『アドラウム』と言う種の魔物は、先ほど作業員が言ったように少し大きな猫のようだった。だが、猫と決定的に違うのは……毛がなく、むき出しの皮膚は紫色、長い尾は三又に分かれ、大きく開いた口からは鋭い牙が見えるが……一言で言えば『気持ち悪い』と思わずにはいられない。

 城下にいて、魔物に出会う機会は全くと言っていいほどない。この農場のように城下町から外れ外と面した場所にはたまに魔物が出るという話を聞いた事はあるが、巡回している騎士によって退治される場合がほとんどだそうだ。

 数は、十匹ほどはいるだろうか。アレクが剣を持ち、向かってくる敵を切り捨てているのが見える。


「アリア、後ろ向いてて。魔物とは言え、命を奪う行為を見るのは……あなたには刺激が強すぎる」

「は、はい」


 血飛沫が舞うのを見て、アリアは血の気が引く。どうして魔物が現れたのかは定かではないが、彼らだって生きているのだ。人間にとって魔物は害しかなく、人間の生活を脅かすのであれば退治するしかないと言うのはわかっているのだが……

 エミリアが言うように、アリアには刺激が強すぎた。ガタガタと震えながら、後ろを向く。それを確認したからか、エミリアは魔物に向かって何度か魔法を放っていた。一体、どれくらいの時間ただ震えていただろうか……


「くそっ!」

「アレク、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫!」


 その声が聞こえた時、足元の光の輪が消えた。戦闘は終わったのだという事を理解したが、エミリアがアレクの元へと駆けている。何があったのかと思えば、アレクは魔物を貫いたままの剣を、地面に突き立て左腕を押さえていた。


「見せて」

「エミリアさん、大袈裟だよ。ちょっと噛まれただけで……」

「こいつら毒を持ってるのよ。すぐ解毒しないと、最悪左腕……切断する事になるわ」

「お、脅さないで下さい……」

「脅してなんかいないわよ」


 エミリアはアレクの腰から、剣を下げる時に使う紐をさっと抜いて腕を縛る。それから……噛まれたと言う場所は服に血が滲んでいるが、その部分に両手を当て呪文の詠唱を始めた。

 エミリアの手に青白い光が集まり、その光はどんどん大きくなっていく。


「キュア」

「…………」

「……もう大丈夫よ?」

「えぇ、これだけで?」

「何よ、疑ってるの?」

「いや、そうじゃないけど……って言うか、魔法って治療もできるんですね」

「ちょっとした傷口を塞ぐ程度の治癒や、解毒はね。病気の治療や、延命、蘇生は無理よ」


 二人が話しているのを見て、アリアはそこにぺたんと座り込む。魔物が怖くて動けず安堵したのもそうだが……アレクが魔物に噛まれて、しかも毒を持っていると聞こえたから気が気でなかった。

 自分は聖職者の端くれなのに、治療の一つもできなくてダメだと……アリアは思う。安堵したせいか、自分が何もできなかったことが悔しかったのか……泣きたいわけではないのに、涙がポロポロと溢れた。


「アリア、どうして泣いてるの? 魔物が怖かった?」

「エミリア様……」


 エミリアが泣いているアリアに気づいて、声をかけてくれたと思えば……ぎゅっと抱きしめられた。それは、アリアが幼い頃……転んで泣いていた時に、母がそうしてくれた事を思い出させる。


「大丈夫、魔物はみんな退治したから。もう怖くないわ」


 そういって、背中を撫でてくれる暖かい手。母の温もりを思い出させるその手に、一度溢れた涙が止まらない。


「違うんです、確かに魔物は怖かったけど……でも、私なにもできなかった」

「いいのよ、魔物と戦うのは私たちの役目なんだから」

「そうじゃなくて、アレクさんが怪我をしても、私……」

「シスター、気にしすぎだよ。魔物に噛まれたのは俺の不注意だし、エミリアさんが解毒してくれたから大丈夫だって」

「アレクさん……」


 グズグズとしているアリアを、エミリアとアレクが宥めようとしてくれる。だが、優しい言葉をかけてもらうほどに、自分の不甲斐なさを感じた。

 責められている訳でないのはわかっているが、自分を責めてしまう。私って駄目だと、アリアは落ち込んだ。そんなアリアの頭を、エミリアはそれ以上何も言わずに撫でてくれていた。


「ご夫人、アレクさん、お見事でした! いやー、今日お二人がいてくださって、本当に助かりました!」


 農場の経営者の男性が、手を叩きながら二人を絶賛する。そんな、とアレクもエミリアも謙遜していたが、事実二人がいなければ今頃農場は大変な事になっていただろう。

 主人は早速作業者たちに魔物の死骸を片付けるように命じ、彼らも慣れた手つきでそれを片付ける……農場は外に面している分、魔物が襲撃してくることは案外あると主人は言う。

 普段は作業員たちが農具を片手に戦うか網で捕獲し、その隙に騎士を呼んできたりするそうなのだが……今日はアレクとエミリアがあっさりと倒してしまったので被害も最小限だと主人は喜んでいた。


「さ、ご夫人方はもうお疲れでしょうしここまでに致しましょうか。皆さまに収穫頂いた野菜も、おかげさまでこんなにたくさん! お好きな物を、どうぞお持ち帰りください!」

「ありがとう、ご主人。ではお言葉に甘えて」


 エミリアはさっさと持ち帰る野菜をいくつか選んで、持参していた籠に入れていく。アリアはまだ腰が抜けていてそれどころではなかったが、アレクが手を貸してくれてやっと立ち上がれた。

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