アリアの決意(2)
四日後の朝、エクスタード家一同が日課の礼拝に訪れ、その日はレオンのみが騎士団の仕事のため礼拝後に教会を出て行った。アレクとエミリアは教会に残り、アリアの着替えを待って農場へ向かう事になる。
エクスタード家はいつも馬車で来て馬車で帰るが、今日はレオンだけが馬に乗って来ていたようだ。エクスタード家の馬車は教会の前に停められていた。
「あの、私も乗って良いのですか」
「もちろん、どうぞ」
アレクが御者台に座って御者をしているようで、アリアにはそれがすごい事だと思った。エミリアを救出するのに谷へ向かった時もそうだったが、アレクは馬の扱いに慣れているらしい。
レオンの元で働きたいと自ら申し出たと聞いていたが、やはりこう言った技能がないといけないのかと……アリアは思う。だが、アリアにはこれと言って特技もない。讃美歌は上手に歌えるかもしれないが、それだけだ。
「……私、実は馬車に乗るのって初めてです……」
「そうなの? 乗りたかったら、いつでも言ってくれていいのよ。アレクが乗せてくれるわ」
「そ、そんな! 滅相もない……」
馬車と言うのは遠くに行く時に乗るものだと言う認識で、貴族ならすぐ近くに行くにしても馬車を出すのだろうが……とにかく、日ごろ遠くへ行く用事がない庶民にとっては全く縁のない乗り物である。
少しばかりガタゴトと揺れて乗り心地はあまり良くないのだが、これでも公爵家の立派な馬車だから乗り心地は良い方よとエミリアは笑っていた。
「あの、エミリア様は……五年前どうして家を出たのですか?」
「理由は三つあるけど、一つは結婚したくなかったから」
「結婚したくなかったから……」
「二つ目と三つ目の理由にも繋がるけど、私は魔術師として生きたかったのよ。これが二つ目。結婚したら、魔術師としては生きられないって思ってた」
「では、三つ目は?」
「外に出たかったの。うちは伯爵家だけど領地はないに等しいから、レオンのように『たまに領地に帰る』みたいな事ってないわけ。あなたと一緒で、王都から出た事がなかったの。だから外の世界を知りたかった」
「エミリア様は、お強いですね。私も王都の外へ出てみたいと思ったことはありますが、一人でなんて……」
「ふふ、全て若さに任せて無謀だったのよ。それに、家を出た後も……レオンが色々と尽力してくれていたから」
「レオン様が、ですか?」
「そう。最初の一年くらいはずっとエクスタード領にいたの。レオンの生家……領主館のある大きな街。住むところも当面のお金も、事前にレオンが準備してくれていた。私は結局、彼の庇護がなければまともに生活基盤を作れなかったと思う」
「そうだったんですか……」
だが、その間レオンとの交流は一切なかったという。手紙でも出して、どこかでエミリアの居場所がグランマージ家に知られてしまったら大変だと……
当時のレオンはまだブラハード侯爵と呼ばれ、既に騎士団では副団長ではあったが今ほど多忙ではなく、領地へ戻ろうと思えば月に数日程度なら戻る事は出来たそうだ。
だが、会う事はない。お互いに彼の乳兄弟だった男を通して何度かやりとりをしたものの、エミリアがレクト王国領を出てからはレオンへの連絡は一切しなかったと言う。
彼に頼り続ける自分が嫌だったと、エミリアは語った。そのエミリアを、アリアは格好良い女性だと思う。
自分もこんな格好いい女性になりたいと、そう思うが……引っ込み思案なアリアでは、到底エミリアのような自立した女性にはなれないだろう。それがわかっているから、自分を変えたいとも思うが……
「着きましたよ、奥方様」
「もう、そういうのやめてって言ってるじゃない」
馬車が止まり、御者であるアレクが馬車の扉を開く。エミリアをからかうような顔で、アレクは笑っていた。
アレクの主人はレオンであり、エミリアはその夫人で……本来であれば既に、アレクがこんな風に話しかける事のできる人物ではない。しかし、アレクとエミリアの関係は主従と言うよりは、エミリアに言わせれば『相棒』であって、それは良好な関係なのだと見ていてよくわかるほどだ。
「ご主人、収穫の手伝いに来ました」
「おぉ、アレクさんよく来てくださった! あれ、ご夫人は今日はいらっしゃらないはずでは……!?」
「夫人は先日の収穫が楽しかったから、またやりたいって言って聞かないんです」
「アレク、私が駄々っ子みたいな言い方しないでくれるかしら。ご主人、先日収穫したお野菜はうちの料理人がスープにしてくれたのですが、とっても美味しかったです」
「それは良かった、光栄の限りです。ささ、では皆さま早速こちらへお願いできますか」
アリアも主人に挨拶をして、収穫の手順を聞く。手押し車に大きな籠を乗せており、収穫した野菜をその籠に載せていくだけの単純作業ではあるが……まだ収穫するには早い小さなものもあり、それはまた数日後に収穫するので残しておいて欲しいと言われた。
あとは虫食いの多いものは売り物にならないので、別の籠に入れて欲しいと。それは後で家畜の餌として消費するという。
「じゃあ、俺は手押し車を押しつつ収穫します。エミリアさんとシスターは左右から収穫していってもらってもいいですか」
「了解」
「わかりました!」
この農園の従業員だろう人間が、手際よく野菜を収穫している姿が見えた。大きな農場ゆえに作物も多く、作業員も多い。日頃何の気なしに市場に野菜を買いに行くが、この人たちの努力に支えられているのだと言うのを知れて、アリアはなんとなく嬉しくなった。
アリアも鋏を持って、野菜を収穫しては丁寧に籠に入れていく。次の野菜に手を伸ばしたところで、アリアの隣に立っていたアレクと手が触れた。
「あっ、ごめん」
「い、いえ……」
野菜の方ばかり見ていてあまり気にしていなかったが、アレクとの距離は近い。もしかしたら、彼と過ごしてきた中で一番近くにいるかもしれない。
あまり意識したことはなかったが、腕や身体ががっしりとしていてやはり男性なのだと……少し恥ずかしくなって、手を引っ込めながら少しだけ離れる。アレクはあまり気にしていないように見えるが、そのまま少し上の方へ手を伸ばしていた。