アリアの悩み(2)
「……よし、じゃあ近いうちに一緒に行こう」
「本当に良いんですか?」
「男に二言はない。行ける日が決まったら教えるから、楽しみにしていて」
「ありがとうございます、アレクさん」
アリアが笑えば、その笑顔に思わず胸が高鳴る……
そう、アレクは自分自身でも知らぬ間に、アリアに仄かな好意を寄せていた。はじめは可愛らしい少女だと思っただけであったが、彼女と交流を深め内面を知るうち、その清らかさ純粋さと、芯の強さに心惹かれていく。
今では文字の読み書きを教わると言うのも、半分はアリアに会いに来る建前でしかない。毎朝礼拝に訪れるたびに顔を合わせてはいるが、挨拶だけで終わってしまう日の方が多く……もっと話したいもっと一緒にいたいと、異性へそんな風に思うのは初めての事だ。
アリアの事を好きになって、五年前にエミリアが屋敷を抜け出す手引きをしたレオンの事を、アレクは本当にすごいと思う。もしもアレクがレオンの立場なら、アレクは絶対に反対するだろう。
女の子一人で危険の伴う旅になど行かせられないし、何より……自分の近くから、目の届かない場所に行ってしまうのは嫌だ。
レオンの気持ちだってわからない訳でもない。頼られるのは嬉しいし、何より何かして喜んでくれるのならこれ以上の幸せはない。レオンはエミリアが自由に生きると言う幸せを願って、そして彼女を信じて送り出した。いつ帰ってくるかもわからないのに、待っているとそう言って。
いつまでも待つ気持ちがあったのも、確かに本音だろう。だが、それにしたってよく決断できたなと……エミリアはたまたまアレクと出会い、アレクが王都に行きたいと言ったから戻ってきただけで……そうでなければ今頃二人はまだ別離していただろうし、当然結婚もしていない。
それどころか、レオンは王女様と結婚させられていた可能性だってある。今後の事がどうなるかなんてわかったもんじゃないと、アレクはそう思っていた。
「……ところで、シスターはさ……。本当はレオン様の事好きだった、とかではないの?」
「アレクさんまで、何を仰るんですか。先日もエミリア様に同じことを聞かれましたが、そのような気持ちは一切ありません」
「本当に?」
「二年前、突如現れた貴公子様に憧れを抱いたのは確かに事実です。でもそれはきっと、恋心と憧れを区別できなかっただけなんです。当初からレオン様はエミリア様の事を想い続けているのを知っていましたし……それに、私は神の僕ですから」
「……あと二年だろう? 十七歳になって成人したら、シスターはどうするんだ? ここを出るのか、残るのか……」
「まだ、決めていません……」
子供が教会に世話になれる期間は、成人するまで……即ち、男子十五歳、女子十七歳までと決まっている。それ以降は教会を出て暮らすのも、教会に残って聖職者となるのも本人の自由だ。
社会に出るのであれば、教会は懇意にしている貴族の家の下働きなど、働くところと住むところの斡旋はしてくれるだろう。アリアならば、エクスタード家が受け入れてくれると言うだろうとアレクは思う。
教会に残るのであれば、一聖職者としてその身は神のために捧げる事となり……正式にシスターになれば、恋愛も結婚も許されない。もちろん、一度シスターになったからと言っても教会を出て社会に出ることが叶わない訳ではないが、きっと中々難しいだろう。
アレクとしては、アリアが残ると言えばその意思を尊重するだろうが、できれば教会を出る選択をしてほしいと……そして、自分の元へ来てくれてはしないだろうかと、そう思っているのだが。
「……よかったら、今度俺とエミリアさんと一緒に、依頼を受けてみないか?」
「でも、私は……」
「魔物の討伐に行こうって言ってるんじゃない。確かに俺達は魔物の討伐の依頼をよく引き受けているけど、そうじゃない依頼だってある。そういう経験をしたら、視野も広くなるかもしれないよ」
「レオン様が許して下さるでしょうか」
「俺たちが一緒だし、大丈夫じゃないかな。レオン様にも、シスターを一緒に連れて行っていいか聞いてみるよ」
「何から何まで、ありがとうございます。実は私も、アレクさん達のように人助けをしたかったんです」
笑った顔が、本当に可愛いと……アレクはつい頬が緩みかける。ぱっと花が開いたような、そんな明るい笑顔。エミリアのような気の強い女性を見ているとつい母親を思い出すが、アリアのような控えめで可憐な少女は守ってやりたくなる。
その日の晩、アレクは夕食後のレオンを訪ねた。レオンは以前まで非番の前夜にしか館に戻らなかったそうだが、今は毎日帰ってくる。夜間に緊急事態があればすぐに城に戻るだろうが、今のところ何かが起こりそうな気配はなかった。
レオンを訪ねた理由はもちろん、昼間アリアと交わした話の件だ。
「レオン様、少しお話が」
「どうした、改まって」
「今日俺、聖ヴェーリュック教会へ行っていたんですが……シスターアリアの事で」
「アリアがどうかしたか」
「彼女、レオン様と出かけるのを随分楽しみにしていたみたいですが」
「そういえば、ここ一月ほどはどこにも連れて行ってやれていなかったか」
「レオン様もご結婚されて、お立場的に彼女を誘うのも難しいかと思い」
「それは、確かにそうだな。いや、しかし……あの子も構ってやらねば……」
「それで俺、約束したんです。レオン様がシスターを誘えない代わりに、俺が一緒に行くって」
「アレクがか?」
「はい」
レオンは少し悩むような素振りを見せた。が、その話を聞いていたエミリアが良いじゃないと、肯定的に言う。
「謹慎があったからレオンは今忙しいし、アレクならアリアを傷つけるような事はしないわよ」
「確かに、それはそうだとは思うが」
「もう、心配しちゃって……」
「……そもそも、なんですが。どうしてレオン様は、彼女をあんなにも特別に扱っているんですか?」
「アレクには言っていなかったか。……いや、理由は聞かないでくれ。古くからの家臣にも伝えていない事だ。今はまだ、教えられない」
「そうですか……」
エミリアは事情を知っていそうだが、レオンはアレクにはその理由を伝えてはくれなかった。信頼されていない訳ではないと思うが、何か重要な事を隠していると言うのは明らかである。
誰にも言うなと言うのなら、もちろん誰にも言わないが……だが、事情を知るには時期尚早と言う事なのだろう。
「それで、アレクがアリアをどこかへ連れて行ってくれると言う話だったか」
「はい。そう約束したんですが、ちょっと問題が……」
「問題?」
「金が、ちょっと心許ないと言うか……」
「そんな事か。どうせ『シャルメン』にでも行きたいと言ったんだろう?」
「えーと、レオン様とエミリアさんが、偶然再会した店です」
「そこが『シャルメン』よ」
「あの子はあそこの料理が好きでな。私が行けない分アレクに頼むのだから、費用は私が持とう」
「ねぇレオン、私も『シャルメン』の料理大好きなの。私も行きたい」
「……行ってくると良い」
「やったぁ」
アリアと二人のつもりだったが、成り行きでエミリアも共に行く事になった。金はレオンが出してくれるというのだから、一人増えたところで問題はないのだが……
そんな展開になるかもわからないのに、彼女と少し近づけるのではないかとか、そんな事を期待していただけに……エミリアが来るのは予定外である。
「それと、もう一つ」
「なんだ?」
「今度ギルドで請け負う仕事に、シスターにも一緒に来てもらおうと思って」
「……あの子は足手まといにしかならないと思うが」
「戦闘にはならないような依頼を請け負うつもりです。あと二年で彼女も成人ですが、その時どうするかまだ決めていないと言っていました。外の世界を知ってもらうのもいいんじゃないかと思ったんです」
「……そうか、わかった。くれぐれも、危険な事だけはさせないでくれ。アレク、もしも戦闘になったら……命に代えてでもあの子を守ってくれるか?」
「任せてください。魔物には指一本すら触れさせません!」
レオンは些か心配性すぎじゃないだろうかと、アレクは思う。戦闘にはならないような依頼を受けるつもりだと言ったのに、もしも戦闘になったらなんて。
それとも、アレクが楽観的すぎるのだろうか。いや、それにしたってレオンはアリアの事を気にかけすぎている。先ほど事情はまだ伝えられないと言っていたが、一体二人の間にどんな秘密があるというのか……