飛竜の棲む谷(3)
「ん……」
目を覚ましたエミリアが一番最初に見たのは、レオンの横顔だった。天井があるから、ここは谷ではないのだろう。生きて城下町に戻ってきたのだろうかと思いながら、ぼんやりとした頭で考える……一体ここは、どこの建物なのだろうと。
「レオン……」
「起きたか」
「ここは……」
「君が借りている宿の部屋だ」
「……私たち、生きてるのね」
「あぁ」
祖父から貰った魔導書に描かれた紋章。その『究極魔法』を使ったあとからの記憶が全くない。魔力を使い切って倒れたのだろう。あの飛竜は、エミリアの魔法で倒したのだろうか。それとも……
少なくとも自分たちは無事だ。倒れたエミリアの事はレオンがここまで運んでくれたのだろう。額に描いた紋章を隠すためなのか、頭に包帯が巻かれていた。エミリアは、身体を起こす。
「どうして一人で谷へ行った」
「聞かなくたってわかるでしょう」
「あぁ。……だが、何も一人で行く必要はないだろう」
「飛竜があんなに強いとは思わなかったのよ」
「君を見つけた時には、本当に肝が冷えた。間に合って良かった」
レオンの手が、エミリアの頬に触れる。その大きな暖かい手は、そのままエミリアの首の後ろの方へ回って、そして……強く、強く抱きしめられた。
「……ごめんなさい」
「俺のために動いてくれたのはわかる。だが、それで君を失うような事があれば、悔やんでも悔やみきれない」
「うん……」
エミリアもレオンの背に手を添え、胸に顔を埋める。あぁ愛しいと、そう思わずにはいられない。ドクドクと、レオンの胸から心臓の音が聞こえた。
彼の顔を覗くように上を見れば、レオンも同じように下を向いて。目があえば、その瞳を伏せるのは自然な事だった。ゆっくりと、どちらからともなく顔を近づけ……唇が、重なる。
一昨日のような、少し触れるだけの口づけとは違う。存在を確かめるように、何度も顔の角度を変えてより深く口づけた。
「……エミリア、君は……また旅に出るのか?」
「え……?」
「もう冒険者は辞めて、俺のそばにいてくれないか」
「レオン……」
「君が傷つくのも、君の無事を祈る日々を過ごすのも……もう耐えられない」
「……」
「俺はこの五年、君の帰りを待った。やっと帰ってきたと思えば、無茶なことをする。君が望むならとあの日屋敷を抜け出す手引きはしたが、本当は俺の腕の中に閉じ込めておきたかった」
「レオン、ごめんなさい。私は……」
「愛してる、エミリア。……頼む、そばにいて欲しい」
レオンの腕が、エミリアを更にきつく抱きしめる。もちろんレオンの愛情は、昔から知っていた。エミリアは、その愛情に甘えていたのだ。レオンは、エミリアが言えばどんな我儘だって叶えてくれたから。
そのレオンが、懇願している。もう旅には出るなと、そばにいてくれと……
「まだ……戻ってくる気持ちにはなれない。私はもっと、自分のこの力を世のため人のために使いたいの。それが私の生きがいなの。お願いレオン、許して……」
「……そうか。君の気持ちは分かった」
レオンはエミリアを抱く手を緩め、立ち上がる。寂しそうな表情を見せるレオンに、エミリアは違和感を覚えた。だが、その違和感の正体はわからない。
「……俺は戻る。ゆっくり休むと良い」
「レオン」
背を向けたレオンは、エミリアが呼んでも振り返る事もなくそのまま部屋を出て行った。
なんだか胸がざわざわと……そして、チクリと痛む。先ほど感じた違和感のせいだろうかと……レオンが出て行って、閉まる扉をエミリアはただただ見つめていた。