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飛竜の棲む谷(1)

 グランマージ家へ戻り、両親と祖父へ家を飛び出した事を謝り……やはり母は淑女に育てたはずの娘が魔術師として生きていることに渋い顔をしたものの、父や祖父はエミリアの帰郷を暖かく迎えてくれた。

 だが、エミリアは今のところは……しばらくは王都に留まろうとも思っているが、そのうちまた旅に出たいと思っている。レオンとの婚約もまだ有効なままだったが、今の時点で結婚するつもりはなかった。

 その日、グランマージ家に泊まるように言われたが宿をとっているからと断る。レオンも含めグランマージ家で夕食をとった後、宿に戻ればアレクが併設の酒場で主人と話ながら酒を飲んでいるようだった。

 エミリアも家で少し飲んでいたし、良い気分でもあった。アレクと一緒に飲んでから寝ようと思って隣に座り、一杯頼む。

 今日あったことを、お互いに簡潔に。アレクは結局冒険者としてやってみるという話で、それなら明日は一緒に依頼を見繕ってみようかなんて考えていたが……アレクはレオンがギルドに依頼を出しているという事を話した。

 レオンからはそんな話、まったく聞いていない。もちろん、危険そうな依頼であるからこそエミリアには言わなかったのだろう。だが、黙ってはいられなかった。


「アレク、私部屋に戻るわ」

「え? エミリアさん、全然飲んでないけど」

「一杯で十分よ。今日はちょっと疲れたし、先に休むわ。アレクもあんまり飲みすぎないようにね」

「わかったよ。エミリアさん、明日の予定は?」

「まだ未定」


 飛竜を退治して、レオンの父親の形見となる宝剣を持ち帰ってくる。そう言えば、アレクはエミリアを止めるだろう。逆に一緒に着いていくと言うかもしれないが、アレクの実力はまだ知らない。足手まといになるかもしれないアレクを、自分のエゴで危険には巻き込めない。

 翌日、エミリアはそれなりに早く起きて支度を整え真っ先に馬車を探した。北のシルヴァール公国との境にある関所へ向かう馬車だ。北の谷へは歩いていくような場所ではない。馬車でも恐らく三時間ほどはかかるだろう。

 馬車の出発する時刻を確認し、それからまずはギルドへ向かった。依頼の確認、それと……恐らくは、谷のどのあたりに宝剣があるのかは情報があるだろう。


「エクスタード公の依頼を受けたいの」

「え? あの黒星五つの? 悪い事は言わないから、やめた方が良いですよ……」

「……私を誰だと思っているの。エミリア・グランマージよ」

「エミリア・グランマージ……!? グランマージ伯爵家のご令嬢ながら、凄腕の魔術師と噂に聞いています。そうですか、あなたが……」


 ギルドで作成している冒険者の身分を示すためのタグを、エミリアは受付嬢の前に叩きつけるように。

 それを受け取った受付嬢は、慣れた手つきで依頼の引受証を作る。そうして紙を一枚取り出して、簡単な谷の見取り図を作ってくれた。

 過去の冒険者たちの話をもとに、どの辺りに剣があるのかの目星はついている。どうやら飛竜は谷を飛び回っているようで、剣を取りに来ようとした人間は例外なく襲われているそうだ。

 谷の横を通る馬車には見向きもしないので、騎士団による討伐の対象にはならないと……エミリアも受付嬢からその話を聞いた。


 次に、魔力を回復させるための薬を譲ってもらうため、グランマージ家へと向かう。ある分を全て出して欲しいと頼んでみたが、流石に全部は断られた。

 用意できたのは、小瓶が五本。この小瓶の中には、魔力の源である大樹の樹液を人間が飲みやすいよう加工したものが入っている。祖父が言うには大樹はエルフ族が住むと言う森に一本だけ生えているそうだ。

 祖父が若い頃エルフ族からその大樹の枝を分けてもらい、その枝を植樹し……現在はグランマージ家の庭に生えている。とは言っても、祖父が植えてからもう五十年は経とうと言うのに、その木はまだまだ小さな木。

 もちろん、木が小さければ採れる樹液も少ない。グランマージ家は樹液から薬を生産し市場に売りにも出しているが、かなり高価なものであることは言うまでもない。

 この小瓶一本で、少し派手な魔法なら五発は打てるだろう。貴重な物を譲ってくれた生家に感謝しながら、エミリアは街を歩く……王宮の方に振り向いて、ぽつりと呟いた。


「レオン、あなたは今頃王宮で騎士団の仕事中ね。……行ってくるわ」


 馬車に乗り込み、シルヴァール公国との国境にある関所で降ろされる。関所を超える人間も、ここで馬車を降り関所を超えてから次の馬車に乗ってシルヴァールまで向かうようになっていた。

 当然エミリアは関所は超えず、馬車で通ってきた道を少しだけ歩いて戻り……飛竜が巣食う谷は、すぐそこにある。

 関所は高山の上の方に位置しており、到着すれば谷を見下ろす格好だ。受付嬢からもらった紙を取り出し、谷の上から谷底側を見下ろした。


「あの辺りね」


 受付嬢が書いた、目印となる三本の木。エミリアの立つ場所からではよく見えないが、その近くの崖……切り立った岩肌は窪んでおり、洞穴のようになっているそうだ。その洞穴のような窪みの近くの地面に刺さっていると言う。

 まずは中々の急勾配となっている坂道をゆっくりと下る。周囲をキョロキョロと警戒しながら、どこから飛竜が現れても良いように。

 と、その時だった。ビュウと風を切る音が聞こえたと思えば、エミリアの頭上に影を作る。ハッとして上を向けば、そこには巨大な身体の飛竜が太陽を遮っていた。


「早速お出ましね」


 飛竜はエミリアに向かって一直線に降下してくる。時間にするとほんの数秒だろう。エミリアは、魔導書は開かず指先に魔力を込める。エミリアほどの術師であれば、呪文の詠唱さえも必要とせず放てる魔法も持ち合わせていた。

 手を水平に、薙ぎ払うように。エミリアの腕が空を切るのと同時に、鋭い風が飛竜にぶつかる。飛竜はその風の衝撃を食らい、雄叫びを上げる。急降下は止まり、その場で羽ばたきながら大きく口を開けた。


 ドラゴンが強いのは、身体が大きく鋭い牙や爪があるからだけではない。その大きな口から吐きだされる炎は何もかもを焼き尽くしてしまう。特に飛竜はその炎を、空を飛びながら吐いてくるのだから厄介な事この上ないだろう。

 エミリアは、飛竜が炎を吐き出す姿勢に入ったのを見ても冷静だった。普通の人間であれば、こんな時は大慌てになるだろうが……エミリアは過去にも何度かドラゴン退治を請け負っている。ドラゴンとの闘いに慣れているとまでは言わないが、戦い方を知っているのだ。

 加えてエミリアの外套は……これもまたグランマージ家の技術の賜物であり、高価な物として市場で取引されているのだが……炎や冷気をもろともしない魔法を施した糸で作られた、魔術師のローブ。

 ドラゴンの吐き出した炎はエミリアのすぐ目の前に迫るが、外套を翻せば炎はすっと吸収された。この炎で幾多の人間を殺めてきたであろうドラゴンも、エミリアのローブに炎が吸収されたことがよくわからない状況だったであろう。


「あなたはたくさんの人間を殺めてきて、自分が強いってわかっているんでしょうけど……それは私も同じ! たくさんの魔物を退治してきた!」


 魔導書を、パラパラと開く。次に繰り出す魔法を迷っている暇はない。そんな暇があれば、一瞬で距離を詰められ鋭い牙で噛みつかれる。

 次に選んだのは雷の魔法……この魔法はそれなりに魔力を消耗するが、威力も大きい。固い鱗を持つドラゴン相手には、やはりそれなりに消耗する魔法が必要だ。


「雷鳴よ、我が敵に裁きを!」


 バチバチと、大きな音を立てて光が飛んでいく。激しい雷に打たれ、飛竜は少し体勢を崩すが致命傷には至っていない。

 ドラゴンと言う生き物は、固く物理攻撃が届きにくいだけではなく魔法に対する耐性もそれなりに持ち合わせている。長期戦になる覚悟はしていたが、中長距離の間合いを崩さねば負けないと……エミリアはそう確信している。

 だが、それは飛竜の方もきっと同じように思っている。人間……特に魔術師は物理に弱い。距離さえ詰めてしまえば身体に噛みつき食いちぎる事くらいは動作もないと……

 エミリアは再び魔導書を捲り、詠唱を始める。休んでいる暇はない。とにかく飛竜を自分に近づけず、かつ損傷を与えられるような魔法を休む間もなく繰り出すしか、目の前の怪物に勝つ方法はないのだから。

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