アリア・ティルスト(3)
翌日、葬儀は滞りなく終わった。アリアは弔問客の受け入れのための手伝いをしていたが、弔問客の人数は多く葬儀が終わる頃にはすっかりヘトヘトだ。
さて、あとは片付けをして教会へ戻ろうと……そんな時だった。
「今日の葬儀が滞りなく終わったのは、諸君らの働きぶりによるものであろう。エクスタード公が、ぜひ感謝を伝えたいと仰せであられる」
エクスタード家の家臣と思われる男が、レオンを先導して歩いてくる。その場には数多くの神父やシスターがいたが、皆がその声の方を振り返った。
アリアと、アリアと一緒にいた母も同じように……凛とした佇まいのレオンを見て、確かに昨日と同じ人物だがその表情は全く違うと思った。
今日のレオンは、エクスタード公であってレオンではない。昨日のレオンは、ただ一人のレオン・エクスタードと言う人間だったのだ。
「皆、疲れているだろうところに申し訳ない。私はすぐに去るから楽にしてくれ。皆のお陰で父の葬儀は無事終わった。感謝する。」
立派な人だと、そう思った。アリアは数か月前にも別の貴族の葬儀を手伝ったが、その時の遺族と言えば聖職者は葬儀を行って当たり前と言うような……自分たちの事を明らかに見下していた態度だったのを思い出す。
確かに、教会は葬儀にかかる費用だってもらっているのだろう。だとすれば葬儀を執り行うのは確かに教会の仕事ではあるのだが、その貴族とレオンと……次があるとすればどちらが良いかと聞かれれば雲泥の差だ。
「後日になるが、諸君らの教会へ心ばかりの品物を送らせてもらう。教会の代表者は、この者へ……」
レオンが従者の男の方を向いて、そして言葉が止まる。従者の男がいるのは、アリアの方向だった。昨日の今日だから、アリアの事を覚えているだろう。だから声が止まったのだろうかと……アリアはそんな事を思ったのだが。
どうやら、レオンが見ているのは母の方だ。母はレオンと目を合わせようとはせず、視線を横へと移していた。
「もしかして、ポーラか?」
「……お久しゅうございます、レオン様」
「すまない、私は彼女と話がある。代表者の方々へは、後の事は話しておいてくれ」
「はっ」
従者の男にそう言って、レオンはこちらに近づいてくる……。母は小さく震えているように見えた。そして、なぜ母とレオンが知り合いなのかと、アリアは疑問に思う。
そういえば、母がアリアを身ごもる前の事を、アリアは何も知らなかった。
「……君は、昨日の。まさか、君の母君がポーラだったとは」
「アリア、昨日レオン様とお話したのですか?」
「はい、お母さん。礼拝堂で、少し……」
「何も変な話はしていないから心配しなくていい。……ポーラ、心配していたんだ。君が継母に突然追い出されたと聞いて、その後の事は知らなかったから」
「レオン様、相変わらずお優しく……ご心配をおかけしましてそのお心、痛み入ります。その節は、私が奥様の機嫌を損ねてしまったのが悪いのです」
アリアは話についていけなかった。が、想像はできた。母はアリアを身ごもる前、エクスタード家に仕えていたのだ。そして、十三年経ってもレオンが母の事を覚えているくらいには、レオンの近くにいたのだろう。
そして母は、何かやってしまってレオンの継母……当時の公爵夫人の機嫌を損ね、エクスタード家から追い出された……。きっとその前後で父は死に、行き場のなくなった母は教会に入った。
「どんな理由があったのかは知らぬが、継母に私の周りの人間を解雇させる権限はなかったはずだ。父も継母も、君を解雇した理由を私には教えてくれなかった。思い出したくないかもしれないが、話を聞きたい。継母のしたことが正しかったのかそうでないのかは、私が決める」
「レオン様、申し訳ありません。娘の前では……」
「……そうか」
「アリア、先に教会へ戻っていなさい。私は、レオン様と少しお話をいたします」
「わかりました」
アリアは言われた通り、その日は教会に戻った。母とレオンが何を話したかは知らないし、尋ねる訳にもいかない。少しばかり積もる話もあったのかもしれないが、それでも母が戻ってきたのは少し遅いと感じた。
だが、この日を境にアリアの人生が変わったのは言うまでもないだろう。それから数日後、アリアの住む教会にレオンが供も付けずに訪ねてきたのだ。レオンはまず、この教会の長でもある神父となにやら話をしている。
アリアは神父に言われ、レオンへ茶を出すが……やはり彼に何かをするというのは緊張してしまって、手が震えていただろう。
「レオン様、本日はどのような御用で」
「先日の、父の葬儀の礼に来た。ほかの教会には家の者に行かせたが、ここには自分で来たかったんだ」
「私たちは聖職者としての職務を全うしたまでです。ですが、レオン様のお気持ちは大変光栄に思います」
「これは、心ばかりだが……先日の礼を、寄付金として納めて欲しい」
「……!?」
懐から封筒を出したレオンは、司祭にその封筒を差し出す。金はすでに葬儀の費用として大聖堂側からもらっているはずだから、ここで金が出てくるにしてもそう大きな金額ではないと……アリアも神父も、そう思っていたのだが。
レオンが出してきた封筒は、それなりに厚みがある。かなりの紙幣が入っているという事は、封を切らなくても想像ができるくらいだった。
「レオン様、失礼ながら葬儀費用とお間違えでは。葬儀の費用は、当教会の経費として妥当な金額を大聖堂からはすでに頂いております。これは……」
「神父殿。これはそこにいるアリアとその母親であるポーラを、十三年もの間この教会で過ごさせてくれた事への礼も含めている。もともとポーラは我が家の使用人だったのだ。本来であれば、エクスタード家で面倒を見てやらねばならないところを、教会に世話になった」
「は、はぁ……」
「先日ポーラと話したが、彼女はもうエクスタード家に戻るつもりはないようだ。死ぬまで教会で過ごすと……だから、これくらいはさせて欲しい。それと、シスター・アリア」
「はいっ!」
突然名前を呼ばれ、肩が飛び跳ねた。声も上擦りながら、ずいぶんと威勢の良い返事になってしまっただろう。
「君には、これを。ポーラに何かしてやろうと思ったのだが、断られてしまったんだ。ポーラにやろうと思ったから君へその代わりと言う訳ではないが……先日、私のつまらない話も嫌がらずに聞いてくれた礼に、貰ってほしい」
「きれい……」
外套の留め具として使えそうなブローチ。金細工の縁取りに、キラキラと光る青い宝石がはめ込まれていた。アリアの小さな手に乗せても余るほどの小さなものだが、恐らくはアリアには考えられない程高価なものである。それこそ、これ一つあれば庶民が数年食べていけるくらいには……
「父の形見の一つだ」
「そ、そんな大切なものを!? レオン様、受け取れません!」
「もらってくれ。父もきっとそう言うと思う」
「え……?」
レオンはアリアの手にブローチを握らせ、立ち上がる。レオンの手の暖かさに、思わずまたアリアの身体が熱くなった。男性に手など、触れられたことがない。そしてその相手が、国内の女子の憧れであるレオンなのである。
アリア自身は彼の事を異性として意識している訳ではないが……それでもこんなになってしまうのだ。彼自身無自覚そうなのが更によくないと、アリアは思う……
「要件は以上だ。礼拝堂に案内してくれないか。祈りを捧げてから戻る」
「はい、レオン様……」
アリアはブローチを握ったまま、レオンを礼拝堂へと案内する。そしてそれから、レオンは非番の日の朝には教会に現れるようになった。