アリア・ティルスト(2)
「すまないな、シスター。君はまだ幼く見えるが、年はいくつだ?」
「じゅ、十三歳です」
「そうか。その年で教会の手伝いと言うのは……孤児なのか?」
「いいえ、母がおります。父は、私が生まれる前に亡くなったそうです」
「そうか、それで母君は教会に入ったのか」
「はい、恐らく……」
「肉親がいるのはいい事だ。大事にすると良い」
「はい……」
「……父は、病気もせず至って健康だったのだがな……確かに、我々騎士団は魔物と戦う危険な仕事ではあるが……。もう二十年か三十年は生きて、この世を去る時は病か老衰だと勝手に思っていたよ」
「レオン様……」
「一人息子だと言うのに、私は薄情だ。たった一人の肉親である父が死んでも、涙の一つも出ないのだ。実感が沸かないと言えばそうなのだろうが……父の首が巨大な飛竜に食いちぎられるのだって、この目で直接見ていたと言うのに」
レオンは棺をじっと見つめながら、そう言う。アリアは母に棺の中は見るなと言われたが……あの棺に収まるエクスタード公の遺体には首がない。彼は今レオンが言ったように飛竜に頭を食いちぎられ絶命したが、身体だけはなんとか持ち帰ってこられたそうだ。
その話を聞いた時、アリアはなんて恐ろしい事だと……月並みだが、そんな事しか考えることができなかった。
尊敬していた父親を、自分の目の前で食い殺されたレオンの気持ちなど、計り知れる訳もない。
「すまない。湿っぽいな」
「あっ、いいえそんな……きっと、レオン様はまだ気が動転していらっしゃるんです。お父様の死が実感できないのだって、きっと認めたくないから……」
「きっとそうだろうな。……この後、忙しくなる。父に代わって、騎士団も公爵も引き継がねばならない。父の死を悲しむ時間もない。少し落ち着いた時、きっとようやく父が死んだことを認められるのだろう」
「レオン様、その……差し出がましいかもしれませんが、私毎日お祈りします。レオン様のお父様が、安らかに眠れるよう……」
「ありがとうシスター。君は心優しいな」
「そんな……」
レオンが微笑む。他意がない事はわかっているが、柔らかい笑顔が眩しく眩暈がしそうだ。レオンに憧れを抱いている女の子たちにこの事を知られたら、嫉妬で刺されてしまうんじゃないかと思ってしまう。
そしてレオンは、少し悩んだような表情をした後に口を開いた。
「もう少し付き合ってくれるか」
「はい、私で良ければ」
「君は……三年前だと、まだ十歳か。私の婚約者の事は知っているだろうか」
「婚約者、ですか……?」
「知らないか。グランマージ伯爵の孫娘で、名をエミリアと言う。そろそろ二十歳になる」
グランマージ伯爵の事はアリアも知っている。すでに魔術師団長の座は退いて隠居しているそうだが、それまで人間が扱う事が難しかった魔法と言うものを、幅広い人間が使えるようになったのは伯爵の功績らしい。
その伯爵の孫娘。幼いアリアは聞いたことがなかった。現在魔術師団長はグランマージ伯爵の嫡男であるエルバート卿が、そしてその補佐にエルバート卿の子……つまりはグランマージ伯爵の孫であるエドリックがいるのは知っている。
エドリックの話はレオンの陰に隠れてしまいあまり多くは聞かないのだが、彼は稀代の魔術師として名高い。エドリックは恐らくレオンと同じくらいの年齢のはずで、となるとエミリア嬢は彼の妹と言う事になるようだが……エミリア・グランマージと言う名を聞いたのは初めてだ。
「エミリアが生まれた時から、私と彼女は婚約者だった」
「そ、そうなのですか」
「あぁ。そして、彼女が十七歳になるその日に、彼女は私の妻になるはずだった」
「だった……?」
先ほど、レオンは『そろそろ二十歳になった』と言った。そして次に『彼女が十七歳になったら結婚するはずだった』と。レオンが独身なのは皆が知るところだが、三年前に一体何があったのかと……
「彼女は魔術師を目指していたんだ。グランマージ家に生まれた者として、父や兄の姿を見てそれが当然だと思っていたんだろう。だから、家を出た。私と結婚すれば、それが叶わぬとわかっていたから」
「そんな……」
「これは誰にも言っていないが、彼女は家を出たいから協力してほしいと私に言ってきた」
「え、えぇ!? レオン様に、ですか?」
「そうだ、普通夫となるはずの男にそんな事言わないだろう? だが、私たちは幼い頃から兄妹以上に仲が良くて、エミリアが困った時に頼ってくるのもいつも私だった。そして、私はエミリアの頼みをなんでも聞いてきた。自分にできる事なら、なんだってした」
「それで、レオン様は……エミリア様が家を出るのに協力したのですか」
「そうだ。流石にこればかりは私も悩んだ。結婚が破談になれば、両家の面目は丸潰れだからな。だが、最終的には彼女の意思を尊重したんだ。エミリアを私に、エクスタード家に縛り付けて不自由な想いをさせたくなかった」
レオンはエミリアの事を、心の奥底から愛していたのだろう。親同士が決めた結婚とは言え、幼い頃から婚約者として意識していた。その意識は次第に愛情になり、そして……愛ゆえに苦悩し、その結果エミリアの幸せを一番に願った。
だからこそ彼女が家を出るのを手伝って、そして……別の誰かと結婚する訳ではなく、今でもエミリアへの愛を貫いているのだ。
「だが……今、それを悔やんでいる」
「悔やんでいる? どうして、ですか」
「三年だ。あの日から、三年が経っている。三年あれば、父が逝く前に孫の顔を見せてやれたんじゃないかと思ってな。もちろん子供は授かり物だから、そう上手くは行かないかもしれない。だがこの三年の間父はずっと、私に早くエミリアの事は忘れ、結婚し子供を作れと言っていた。早く跡継ぎを作れと言う父の気持ちもわかるが、私は種馬ではない。私が子を成さなくても、エクスタード家は叔父上の血筋で継いでくれればいいと……ずっとそう思っていたんだがな」
「レオン様……」
なんて言っていいかわからない。エクスタード公はきっと、跡継ぎの問題だけでレオンに早く結婚して子供を作れと言っていたわけではないだろう。
レオンもそれをわかっていて、自嘲気味に笑って言うのだ。単に早く孫の顔が見たかっただけではなく、きっとレオンにも幸せになって欲しくて家庭を持つように言っていたのではないかと。
「アリア、お仕事は終わりましたか。そろそろ教会に帰りますよ」
アリアがレオンへの返答に困ったところで、その声が聞こえた。優しい声は、母のものだ。
「レオン様、申し訳ありません。母の声です。そろそろ、教会へ戻ると……」
「そうか。明日の葬儀も来るのか?」
「はい」
「よろしく頼む」
「……はい。では、レオン様。失礼します」
アリアは立ち上がり、礼拝堂を出るが……一人礼拝堂に残るレオンは何を想うのだろうと、心配になって胸が痛む。
レオンと話した事は全て胸に秘めておこうと、アリアは思った。最後にまだ椅子に座ったままのレオンの後姿を見て、その背に一礼しその場を立ち去った。