水瀬真冬と学園祭
「頼む蒼馬、この通りだ!」
大学の食堂で、ケイスケが俺の姿を見るなり思い切り土下座を始めた。意味が分からず俺は首を傾げる。
「え、は? なに、どういうこと?」
そんな俺に説明もなく、更に訳の分からないことが起こった。なんとケイスケの後ろに並ぶように、不特定多数の男たちが土下座し始めたのだ。その数なんと十人以上。
「お願いします!」
「この通りです!」
「待て待て、多い多い。お前らは一体誰なんだよ?」
ケイスケを始めとする土下座集団は学食のスペースをかなり占領していて、お陰でめちゃくちゃ周りの視線を集めていた。そしてその視線はやがて、土下座されている俺に注がれる。物凄く居心地の悪い視線だった。
「とりあえず土下座を止めてくれ。めちゃくちゃ恥ずかしいから。そんで用件は何だ?」
「お、おう…………お前ら、もういいぞ」
「うっす」
「了解っす」
集団のリーダーっぽいケイスケが声を掛けると、土下座集団はのそのそと起き上がる。ケイスケに誘導されいつものテーブルにやってくると、後ろの集団もぞろぞろとついて来ていた。こいつらは本当に誰なんだろう。
テーブルに座ると、ケイスケはまるでセールスマンのような薄っぺらい笑顔を顔に張り付けて口を開いた。何だコイツ、気味が悪いな。
「蒼馬は何を食べるつもりだったんだ?」
「ん? まだ決めてなかったけど……A定かな」
「そっか。おい、A定だ」
「うっす」
ケイスケが後ろの奴らに指示を飛ばすと、その中の一人がカウンターに駆けて行く。まるで親分と手下だが、あながち間違ってもいないんだろう。あれはもしかしなくても俺のA定を買いに行ったのか?
「ケイスケ、一体何のつもりだ? 奢られるつもりはないぞ。あと、後ろの奴らは誰なんだ? 見た所後輩たちみたいだが」
大学生の年齢は分かり辛いんだが、それでも何となく年下が多いのが分かった。
俺の質問に、ケイスケは答えない。難しい顔でテーブルに視線を落としている。
ケイスケの目的、そして謎の集団の素性が分からず、じわじわと薄気味悪い寒気が俺の芯を冷やしていく。
「お待たせしました、蒼馬のアニキ! A定食です!」
さっきの後輩が走ってきて、俺の前に恭しくトレイを置いた。美味しそうなハンバーグから湯気があがり、デミグラスソースの良い匂いが鼻腔をくすぐる。
けれど、勿論食欲など湧かない。
「食べてくれ、蒼馬」
ケイスケは手でトレイを示す。後ろに控えている大人数の圧も相まって、ドラマか映画のワンシーンのようだった。ケイスケの表情は真剣そのもの。
「食べてくれ、ったって…………とりあえずさっきの子に渡してくれよ」
俺はテーブルに五百円を乗せるが、ケイスケは動かない。
「いいんだ、それは後で俺が払っておく。このA定は俺たちからの気持ちなんだよ」
「まずそれが意味分からん。どうして俺がお前に奢られなきゃいけないんだよ。何もしてないぞ、俺」
「今は、な。今日は蒼馬に頼みがあってきた。大切な頼みだ」
そう言って、ケイスケが表情を引き締める。
「…………後ろの奴らもか?」
「そうだ。俺たちの目的は一つだ」
もうもうと立ち上がる湯気の向こうで、ケイスケが勢いよく頭を下げた。
「どうか…………どうか真冬ちゃんにミスコンに出て貰いたいんだ────ッ!!」
◆
「ミスコン…………?」
想定外の言葉に、俺は目を丸くする。
「今絶賛準備中の学祭、その中で最も盛り上がるホットなイベントがミスコンだ。お前も知らない訳じゃないだろう?」
「まあ、存在くらいは…………」
だが、うちの学祭で最もホットなイベントだとは知らなかった。現に去年一昨年のミスコンが誰だったかなんて知りもしない。知ったところで俺には何の関係もないことだからだ。ああいうのはキラキラした奴らの話で、ごく普通の学生である俺とっては別世界の話だと思っていた。
「うちのミスコンは毎年衣装が決まっていてな? 今年の衣装が先日、実行委員会によって発表されたんだ」
ケイスケのその言葉を皮切りに、うおおおおおと雄たけびをあげる手下たち。ガッツポーズをしたり、ゴールを決めた後のサッカー選手のように天を仰いでいる奴もいた。一体どういうノリなんだか。
…………そして、こいつらは一体何者なんだろうか。ミスコン実行委員会…………にしてはキラキラしてない気もするが。
「で、その衣装って何なんだ? それを真冬ちゃんに着て貰いたいってことか?」
「そうだ…………いいか蒼馬、興奮するなよ? 気を強く持ってくれ」
「いやいや、聞いただけで興奮しないだろ。一体どんな衣装なんだよ」
興奮するってことは…………水着とかだろうか。只でさえ露出の多い服を嫌う真冬ちゃんが、水着なんて絶対着ないと思うけどなあ。
「じゃあ……言うぞ。今年の衣装は────」
「────蒼馬くん。これ、何なの?」
「!!!!????」
大地が揺れ動く音が聞こえた。その音の発生源はどうやらケイスケの手下たちが体勢を崩した時のものらしく、まるでコントのように全員がひっくり返ってまさかの登場人物を見上げていた。
「真冬ちゃん。丁度良かった、これ全員 真冬ちゃんのお客さんらしいんだよ」
「私…………?」
真冬ちゃんは確かめるように、床に転がっている男たちに目を向ける。けれどピンと来なかったようで、直ぐに俺に視線を戻してきた。
「見覚えないわね。人違いじゃないかしら」
そう言って、真冬ちゃんは俺の隣に腰を降ろした。手には俺と同じA定食。やっぱ今日はA定食だよな。
「ケイスケ、どうせだったら本人に直接お願いしたらどうだ? 俺を挟むより話が早いだろ」
ケイスケは目を白黒させて真冬ちゃんに視線を送っていた。噂話をしていたら本人が来た、みたいな気まずさがあるんだろう。
「いや……それが出来たらそうしてるけどよ…………無理そうだからお前にだな……」
「俺が言ったからって変わらないと思うぞ? 真冬ちゃんは嫌なことは絶対にやらない子だから」
「ちょっと、一体何の話?」
話についていけない真冬ちゃんが俺をジト目で睨んでくる。
「何かな、ケイスケが真冬ちゃんにお願いがあるみたいなんだよ。あと後ろの人たちも」
「お願い……?」
真冬ちゃんはもう一度後ろの男たちに目を向け──少し嫌そうな顔をした。その顔は酷いと思うぞ。
「とりあえず俺からは言わないからな。結局は本人の意思なんだし。お前が直接話しなよ」
「くっ…………それしかないのか…………」
絶望に顔を染めるケイスケ。まあ普通に考えたら真冬ちゃんがミスコンみたいなものに出場してくれるとは思えないもんな。専用の衣装もあるっぽいし。
ケイスケは大きく息を吸い────キッと覚悟の籠った視線を真冬ちゃんに向けた。
「水瀬真冬さん────お願いします、ミスコンでメイド服を着て下さい────ッ!!」