何でもしてくれるの?
「ごめんね。本当はもっと早く教えてあげたかったんだけど、そういう訳にもいかなくて」
「いえいえ、それが普通だと思いますから。それより、またステージでひよりさんが見られるなんて本当に楽しみです!」
俺は生放送を終え帰ってきたひよりんと一緒に食卓を囲んでいた。まださっきの発表の余韻が冷めやらぬ俺は、ついテンションが上がってしまう。ライブというのはそれだけ楽しくて、最高なものなんだ。
「ふふ、蒼馬くんの期待に応えられるようにレッスン頑張るわね」
そう言って俺に微笑んでくれるひよりんは、控えめに言って天使そのものだった。俺はひよりんを推す為に生まれてきたのかもしれない、ついそんなことを考えてしまうくらいひよりんは光り輝いていた。
「お、俺も料理とか頑張ります! 何かやって欲しいこととかあったら、是非言ってください!」
以前の俺はただライブに参加することしか出来なくて、やれることと言ったらグッズを買って少しでも売上に貢献することくらいだった。
でも、今は違う。
今の俺はひよりんの生活の一部を支えている。直接ザニマスというコンテンツを、そして推しであるひよりんを支えることが出来る。
俺に出来る事なら何でもしたい。そういう気持ちだった。
「何でも…………してくれるの?」
ひよりんはビールの入ったグラスを両手で持って、口元を隠すようにしながら聞いてくる。俺の答えは勿論一つだった。
「勿論です! 何でも言って下さい!」
「うふふ…………ありがとう。それじゃあ、早速お願いしちゃおっかな…………?」
そう言って、ひよりんは怪しく微笑んだ。何故だか凄く嫌な予感がした。
◆
「蒼馬くん、もう少し強く押しても大丈夫よ?」
「は、はい…………!」
俺の目に映っているのは、白く輝くひよりんのうなじ。どうしてロングヘアーのひよりんのうなじが見えているのかといえば、それはひよりんが長い髪をゴムで纏めてポニーテールにしているからで、『推し』のポニーテールといえば万病に効く薬だと万葉集だか新古今和歌集にも書いてある。
とりあえず何が言いたいかというと、俺は今、全ての病気が完治したくらいの感動と興奮を覚えていた。
「蒼馬くん? もうちょっと強くお願い出来るかしら?」
「こ、ここ、こうですか…………?」
只でさえ平静を保つのが難しいそんな状態で、俺はさらなる困難に身を投じていた。食事を終えたひよりんは俺を自宅に招待すると、おもむろにリビングにヨガマットを敷き始めたのだ。そしてその上に座ると、ひよりんは俺にストレッチを手伝ってと頼んできた。そうして、今に至る。
「そうそう、いい感じよ。私、結構柔らかいでしょう? こうやって胸だって床につくんだから」
「むっ、胸!? そ、そうですね、柔らかいと思います!」
胸は柔らかいに決まっている。ましてはひよりんなら猶更だ。俺が何度酔っぱらったひよりんからその双丘を押し付けられたと思っている。 忘れたくても忘れられないんだ、あの感触は。
「そのまま押さえててね」
「わ、分かりました」
気が付けば、ひよりんは両足を広げ、ぺたっと胸とお腹をマットにつけていた。凄い、めちゃくちゃ柔らかいなあ、ひよりん。女性は男性より柔らかいっていうけど、これは相当なものだろう。きっと静なんか俺より身体硬いと思うし。
「…………ゴクリ」
俺はひよりんに言われるがままひよりんの背中を両手で押していて、薄いスポーツウェアの下に感じるブラの感触や、その更に下から響く心臓の鼓動がダイレクトに伝わってきた。そのどれもが俺の心を乱そうとして、さっきから頭がおかしくなりそうだった。俺は何故「何でも言って下さい」なんて言ってしまったんだろうか。
「ありがとう、もう大丈夫よ」
ひよりんのそんな一言にも、ビクッと身体が反応してしまう。五感を始めとする全身の器官が限りなく鋭敏になっていた。そしてその全てが、物凄い濃度でひよりんを感じとっている。
手を離すと、バネのようにひよりんの上体が起き上がってくる。あと数分でもこうしていたら俺はひよりんを好きになっていただろう。いや、今も好きなんだけどさ。
「次は…………太もものストレッチをお願い出来るかしら。私の足を押さえてて欲しいの」
「足、ですか?」
「あ、もしかして……嫌、かな…………?」
しゅん、と悲しい表情を浮かべるひよりん。
「そうよね…………こんなおばさんの足なんて嫌よね…………触りたくないわよね……」
「いやいやいやいや! ひよりさん待ってください! 俺は一言もそんなこと言ってないですって、ライブの時だってめっちゃ足見てましたもん俺! 」
足えっろ、って思ってましたもん俺!
「えっ、あっ…………そ、そうなの…………?」
かぁっと顔を真っ赤に染めるひよりんの姿に、俺は自らの失言を悟った。
「それはそれで恥ずかしいな…………あはは…………」
「あ、あはは…………」
どうする事も出来ず、俺は乾いた笑いを零した。誰か殺してくれ。穴があったら埋めてくれ。
「ええ…………えっと…………どうしよぉ…………?」
ひよりんは体育座りの状態で、守るように両足を抱き抱えた。そして視線だけを俺に送ってくる。
「えっと…………蒼馬くんは…………触りたい、ってことでいいの…………? …………私の、足」
「…………う」
蛇に睨まれた蛙のように────いや、これは魔性のサキュバスだ、そうに違いない。サキュバスの視線に射貫かれ、俺の身体は完全に固まってしまった。そして頭だけがオーバーヒート気味に回答を計算し始める。
…………勿論、否定するべきだ。足を触りたいだなんて、それを認めたら俺は『推し』をそういう目で見る変態だと思われてしまうし、それは俺の意思とも反している。
俺はひよりんの足なんて触りたくないんだよ。本当は触りたいけど、触ったらどうにかなってしまいそうなんだ。俺は健全な大学生だから。
「……えっと」
だけど……否定したらどうなるか、予想できない俺ではない。
ひよりんは常日頃から蒼馬会で自分だけ年齢が離れていることを気にしているようで、今だって自分の事をおばさんだと卑下していた。俺からすれば魅力的なお姉さんでしかないんだが、とにかくひよりんは異様に自己評価が低く、自分に自信がないみたいだった。
もし俺がやっぱり触りたくないです、なんて言った日には、ひよりんは地の底まで落ち込んでしまうかもしれない 。
──『推し』を悲しませるなんてことは、絶対にあってはならない。