良い子は真似しないでください
お酒の力と、居酒屋というちょっとした非日常感も手伝ってか、蒼馬会初めての外食は意外にも平和に進んでいた。ひよりんももう何杯飲んだかは数え切れないが、何とか酒乱モードにならずに耐えている。いつもなら間違いなく暴れ始める酒量なんだが……ひよりんも内に潜む獣と戦っているのかもしれないな。
「う~…………ヒック……そーまぁ、どこ~?」
…………嘘だ。やっぱりそろそろダメなのかもしれない。
ひよりんは個室を仕切っている暖簾から首を出し、通路に声を投げかけ始めた。
俺は隣ですよ、ひよりさん。
「はいはい、何ですかひよりさん」
経験上、声だけでは気が付かないことを俺は知っている。遠慮がちに肩を掴むと、ひよりんは俺に気が付いて顔を綻ばせた。
「そーま、どこいってらの~?」
「俺はずっとここにいましたよ」
「そっかぁ、へへへ」
ひよりんは特に俺に用があった訳ではなかったらしく、俺の服をちょんと掴んだまま、にこにこと俺を眺めている。頭がゆらゆらと揺れてまるでメトロノームみたいだ。ソーラーで動くこういう置物あるよな。
「えっ…………あの女、ちょっと距離近くない? 少しばかり私より胸がデカいからって調子乗りおって」
「少しではないと思うけれど。まあその他は同意」
対面では静と真冬ちゃんが俺たちを見ながらこそこそと何かを話している。見てるくらいなら助けてくれないか?
「なるほど……酔えば蒼馬くんに合法的にくっつけると。真冬…………悪いわね。私もあっちに行くわ」
「くっ…………未成年者飲酒禁止法が憎い……!」
「じゃあね真冬────うおおおおおおおおお!」
「!?」
静は急に雄たけびをあげると、ハイボールを勢いよく胃に流し込み始めた。大ジョッキがみるみるうちに空になっていく。
「し、静!? 一体どうしたんだ!?」
「よ~~し、もういっぱいいくぞ~!」
静はメガハイボールを注文すると、到着するや否や何かに急かされるように口を付けた。一体こいつは何をやってるんだ。
「ぶえぇ……んぐっ、んぐっ…………」
「おい静、お前──」
「そーま、どこみてるの?」
静の一気飲みを止めたい所だったが、俺には俺でやらなければいけないことがあった。
「ひよりさん、近い、近いですって」
ひよりんは俺の頬を両手で挟むと、ぐいっと自分の方へ向き直らせてくる。熱の籠った吐息が鼻先をくすぐり、花のような甘い匂いとアルコール臭がないまぜになって俺の鼻腔を直撃した。ビー玉みたいに澄んだひよりんの瞳が目の前に現れ、俺は吸い込まれそうになる。
…………ダメだダメだ、ここで吸い込まれたら俺は大切な何かを失ってしまいそうな気がする。
例えば…………真冬ちゃんからの信頼とか。
「真冬ちゃん、ひよりんは俺が何とかするから静をお願いしていいか?」
「…………分かった」
俺を冷めた目で見ていた真冬ちゃんに指示を飛ばし、俺たちの酔っ払い介護が始まった。
◆
「うーん……」
ひよりんが俺の膝の上で寝息を立てている。抱き着いたりキスされそうになった時はどうなることかと思ったが、何とか落ち着かせることが出来て本当に良かった。本当に、色々な物を失いかけた。
「真冬ちゃん、そろそろ帰ろっか。そっちは大丈夫?」
対岸に目を向けると、どうやら静は大丈夫そうではなかった。ずり落ちるように背もたれに全体重を預け、辛そうに顔をしかめている。
「ダメかも。お水も飲んでくれないし」
「う~…………うう……しぬ…………」
「死ぬなら外にして。ほら、立てる?」
「うう……むり…………はこんで…………」
「無理よ。置いていかれるのと自分で歩くのどっちがいいの」
「…………あるく……」
静は辛そうにしながらも、テーブルの下に沈んだ身体をのそのそと引き上げ始める。真冬ちゃんは口では辛辣にしながらも手伝ってあげていた。
…………真冬ちゃん、やっぱり優しい子なんだよな。ぱっと見の印象で勘違いされがちだけど。
「う……ぐわんぐわんする…………」
「やれば出来るじゃない。ほら、行くわよ」
まるで亀のように遅々とした動きで何とか立ち上がることに成功した静は、辛そうに目をつぶっている。真冬ちゃんはそんな静の手を引いて店の外に出ていった。
…………静と真冬ちゃん、少し仲良くなったのかな。何となくそんな気がする。
「よし、俺達も行くか。ひよりさん、起きれますかー?」
「…………」
「ダメそうだな、こりゃ」
身体を揺らしてみても、ひよりんは全く起きる気配がない。この人、酒飲んで寝ると全然起きないんだよな…………。
「…………おぶっていくしかないか」
膝枕している人間をおぶるには、色々な所を触る必要がある。
「…………」
…………出来れば俺だって勘弁願いたいんだぞ?
や、本当に勘弁願いたいかと言われればそんなことはなく、少なくともこういう形は勘弁願いたいというだけなんだが、色々と柔らかいひよりんに手を触れることは俺の理性を著しく刺激する。理性が本能に負けないように、心を鋼鉄でコーティングする必要があった。
「…………ふぅー…………よし、オッケー」
大きく深呼吸して、作業に取り掛かる。こういうのはもう一気にやってしまった方が良いんだ。
まずは肩を掴んで、ひよりんを背もたれに座らせる。そうしたらテーブルと太ももの隙間を抜けるように通路に出て────ここからが問題だ。
まずはひよりんを立たせないといけない。
「変な所触っちゃったら本当にごめんなさい」
俺はひよりんを抱きかかえるように、脇の下に両手を差し入れる。そのままひよりんの身体をがっちりホールドすると、テーブルから抜き取るように横にずらしながら自分の身体に思い切り押し付ける。
まるでプリンが潰れるような感触が胸に襲い掛かり────頭を振って何もかもを追い出す。
ひよりんの身体を思い切り引き上げ、まずは抱っこの体勢。抱っこというか、抱き合っているようにしか見えないか。
「ひよりさん、一瞬だけ立っててくださいね」
「んー…………?」
俺に体重を預けてくるひよりんを上手いこと壁に挟みながら、素早く身体を反転する。プリンの感触が胸から腕、腕から背中に移動する。壁と背中でひよりんを挟むような形になれば、あとは普通におんぶするだけだ。
…………唯一の救いは、ひよりんがスカートを履いていたことだ。これが生足が出るような服装だったらきっと俺は無理だっただろう。
「ありがとうございましたー!」
何とか会計を済ませた俺は、店の外に出た。
「う~……まだつかない……?」
「ええ。移動してないもの」
店先では真冬ちゃんに手を繋がれた静が、まるで鎖に繋がれた猛獣のようにうろうろよたよたと回っていた。
…………本当、一体こいつは何がしたかったんだろうな。