静、太らない体質
「あー…………えっとだな…………」
少しだけ酔いが回った頭が、必死に正解を求めて高速回転を始める。けれどどれだけ頭を振り絞った所で真冬ちゃんを納得させられるだけの理由が思いつかず、俺は両手を上げた。
「まあ…………簡単に言うとダイエットしようと思ってな。ほら、蒼馬会の飯って結構高カロリーだろ? 太る前に運動を始めようと思って、それでひよりさんを誘ったんだよ」
事情を話すと言ったものの、流石にひよりんが太ったとは言えない。親しき仲にも礼儀あり……というよりは最低限のマナーだ。
真冬ちゃんは俺の回答がお気に召さなかったのか、氷のように冷たい視線を崩さない。俺は緊張を隠しながらビールで唇を湿らせた。全然酔えない。
「どうしてひよりさんだけなの? 蒼馬会のメニューが原因なら、私だって関係あると思うけれど。お兄ちゃんは私が太ってもいいの?」
「うっ…………ほ、ほら、真冬ちゃんは寧ろもう少し肉をつけた方がいいと思うんだよ。ダイエットなんか必要ないって」
「やっぱり私は太ってたんだ…………」
「いっ!?」
俺の発言は予想外の方向に飛び火した。横に目を向けると、ひよりんが沈痛な面持ちでテーブルに墜落していた。
「ち、ちちち違いますって! ひよりさんも痩せてますから!」
「ムホホ、大変だねえ」
必死にひよりんを元気づける俺を愉快そうに眺めながら、静がグラスに口をつける。なあ、見てるだけじゃなくて助けてくれないか?
…………と、いうよりだ。
「…………」
とあることが気になって、静の身体に視線をやる。顔の輪郭、頬の肉付き、二の腕、それから────。
「えっ、ちょっ、な、何なのさ! そんなに見つめないで欲しいんだけど!?」
何を勘違いしているのか、静は自分の身体を抱き締めるようなポーズで頬を赤く染めはじめた。可愛いが、今はそういう話をしたい訳じゃない。
「静、お前は大丈夫なのか? 正直、一番太りそうな生活してるのはお前だと思うんだが」
静の家の掃除を一手に引き受けている俺には、静がどういう生活を送っているのか筒抜けになっている。週に3回はハンバーガーを食べていることも、コンビニの大盛りスパゲッティをこよなく愛していることも、最近果実系のグミにハマッていることも全てお見通しなのだ。
「あとお前さ、全然疲れてないのにエナジードリンク飲むの止めたほうがいいぞ? 完全に栄養過多だから」
「うぐっ…………!」
静は痛い所をつかれたと言わんばかりに胸を押さえ、グラスに残っていたビールを思い切り飲み干した。
ジャンクフード。
不規則な生活。
間食。
運動不足。
以上の生活習慣病四天王に「飲酒」が加わり、更に盤石になりつつある林城静太った疑惑。果たしてその真相や如何に。
「いやマジで、結構普通に心配してるんだよ。場合によっちゃ蒼馬会の献立を見直す必要だってあるだろうしさ」
二十代でも平気で生活習慣病にかかる時代だからな。キッチンを任されている以上、静を健康な状態に保つのは俺の義務でもある。
だが静はそんな俺の心配などどこ吹く風、あっけらかんとした様子で唐揚げに箸を伸ばし、美味しそうに口に運ぶ。
「うーん、全然自覚症状はないんだよなあ……昔っから太らない体質っぽいんだよねー私」
────空気が凍りつく音が聞こえた。
◆
テーブルに墜落していたひよりんが、ゆらりと頭をもたげて鋭い視線を静に向ける。静は全く気が付かず、笑顔で唐揚げを頬張っている。
「『太らない体質』ねえ…………」
ひよりんがドスの効いた声を出しながらゆっくりと上体を起こす。声優だからなのか、それとも感情が籠もりすぎているのか、物凄い迫力があった。
…………そういえば、いつだか聞いたことがある。
女性に対して「太らない体質」は禁句だと。丁度それで悩んでいるひよりんにしてみれば、その発言は喧嘩を売っているようなものだったのかもしれない。
そして…………どうやらそれは真冬ちゃんも一緒だった。
「…………ああ、だから胸にも一切栄養がいっていないのね。合点がいったわ」
「なにおぅ!?」
言葉のナイフを突き刺された静が、眉を吊り上げて真冬ちゃんを睨む。
「…………う」
が、もはや法律で規制すべきな鋭さを携えた真冬ちゃんの眼光にやられ、行き場をなくした視線をは助けを求めるように俺の方にやってきた。
「そ、蒼馬くん、何だか二人が怖いんだけども……」
涙目で俺を見つめてくる静。その可愛さに思わず助けの手を差し伸べてしまいそうになるが、うっかりそちら側へ加勢すれば鬼神と化したひよりんと真冬ちゃんに煮て食われること必至。
「可愛い子には旅をさせよ」という諺もあることだし、ここは静に長い長い旅に出てもらうほかないだろう。
いつかまた会えることを信じて。
「蒼馬くぅん…………!」
「さってと、俺は二杯目何飲もっかな…………」
「ぐ、ぐええええええええええッ!!!」
わざとらしく視線を逸らす俺の視界の端で、二人の魔の手が今まさに静に届いていた。