オトナの余裕
ひよりんの服を一通り買い終え、俺たちはメンズコーナーにやってきた。広いフロアには誰もが知ってる有名ブランドから聞いたこともない新興ブランドまで幅広いブランドがスペースを作っていて、何だか見ているだけで腹筋が引き締まる。
買うものは決まっているのでちゃっちゃと選んでしまおうと思っていたのだが、到着するなりひよりんがこんなことを言い出した。
「蒼馬くんの服は私が選んであげるわね」
そんな訳で俺はひよりんに連れられるがまま、メンズコーナーを右往左往することになった。ひよりんはあてどなく彷徨っているのではなく何か目当てのものがあるようで、しきりに辺りを見回している。
「あっ」
ひよりんが駆け出し、何かを手に取る。それは何の変哲もないスポーツ用のパーカーだった。反応を見るにどうやらこれを探していたらしいが、特別良さそうなものにも見えない。手に取ってみてもその印象は変わらなかった。ブランドだって聞いたことがないところ。声優の間でひっそりと流行っていたりするブランドなんだろうか……?
「うーん、サイズは大丈夫かなあ」
ひよりんは持っていた黄色いパーカーを俺に押し付けると、肩のラインを合わせて真剣な眼差しで袖や裾を確認していく。丁度ひよりんが俺の胸の中に飛び込んでくるような格好になり、俺は心臓がむず痒くなった。さらさらとした髪からは華のような甘い匂いが香ってきて、もし俺が虫だったらひよりんにくっつくだろうなと意味分からないことが頭の中に浮かぶ。
「…………うん、大丈夫そうね。これにしましょう」
持っていたカゴにパーカーを入れるひよりん。俺は慌てて口を挟んだ。黄色は特に好きな色じゃない。
「あの、俺はこっちの水色の方が────」
「何か言った?」
「あっ、いや、何でもないです……」
威圧感マシマシの笑顔をこっちに向けるひよりんに気圧され、俺は秒で引き下がる。どうしてそんなに黄色がいいのかは分からないが、まあひよりん的にこの色が一番似合うと思ったんだろう。推しの声優に服を選んで貰えたというのであれば、文句をつける気も失せるというものだった。
「よし、あとはインナーも必要ね…………蒼馬くん、インナー持ってないわよね?」
「そうですね。それも買おうと思ってます」
「了解。じゃあ行きましょう?」
ひよりんは上機嫌な様子で、手に持っているカゴを軽く揺らしながら歩きだした。その様子を見て少しほっとする自分がいた。気の利いた会話とか全く出来ていなかったから、もしかしてつまらないんじゃないかと不安だったんだ。
…………因みにカゴは持とうと思ったのだが頑なに拒否された。女性物の服が入ってるから恥ずかしかったのかもしれない。普段あれだけ密着しておいて何を今更とも思うが、シラフのひよりんと酔ったひよりんは別人だと考えたほうがいいんだろうな。その方が俺も色々な憧れを捨てずに済む。
「…………」
ひよりんの背中を見つめるわけにもいかず、逃げるように視線はぷらぷらと揺れるカゴへ。一番上は、勿論今入れたばかりの俺の黄色いパーカー。その下にはひよりんのコンプレッションウェアやらハーフパンツやら。更にその下には最初に選んだひよりんのレモンイエローのパーカー。丁度黄色で黒を挟むような形になって、まるで虎みたいな配色だった。
「ん…………?」
────違和感。
違和感がないのが、逆に違和感だった。虎みたいな配色だと感じたのは、二枚の黄色が同じ色のように見えたからだ。でもそれはおかしい。一口に黄色と言っても、様々な種類があるはずだ。それなのにカゴに入っている二枚は全く同じ色をしているように思えた。
まるで同じ物みたいに。
◆
「…………マジかよ」
呟きを口の中で噛み殺す。
幸か不幸か俺の感じた違和感はバッチリ当たっていた。レジに立っている若い女性が、二枚のパーカーを見てほっこりとした笑みを浮かべているのがその何よりの証拠だった。
「お揃い! カップルさんですか?」
レジにて広げられた二枚の黄色いパーカーは胸の膨らみがあるかないか以外全く同じデザインをしていて、そのせいで俺たちはカップルだと思われていた。俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになり、レジ横の「袋1枚3円」というポップに視線を落とした。店員の顔もひよりんの顔も見れる気がしない。俺とカップルだと思われるなんて冗談でも嫌だろうから。
しかし、ひよりんの口から出たのは衝撃的な言葉。
「そうなの。一緒に走ろうと思って」
「!?」
「いいですねえ、素敵です」
「うふふ、ありがとう」
スルー出来ない状況に思わず顔を上げひよりんの顔を見てしまう。ひよりんは平然とした様子でレジにクレジットカードを置いていた。今目の前で行われた会話で頭がいっぱいになりながら、慌てて財布を取り出す。
「ひよりんさん、お金────」
慌ててお札を差し出すと、ひよりんはそれを手で制して大人の余裕あふれるおっとりとした表情で首を横に振った。まるで年下彼氏と付き合っている社会人女性のような雰囲気を纏っている。
「ここはお姉ちゃんに任せて。いつもお世話になっているお礼だから」
「あ、いや、でも…………」
簡単に引き下がる事が出来ず、俺の手は行き場をなくして宙を彷徨う。綺麗に奢られるのも礼儀だというのは分かっているんだが、今日の会計は俺の中で「奢られてもいい範囲」を完全に超えていた。なにせ買ったのはパーカーだけではない。インナーやランニングシューズなど、諸々合わせてとっくに五桁に到達しているのだ。
「お会計はカードでよろしいですか?」
「ええ、お願いします」
「お預かりしまーす」
淀みなく進んでいくやり取りを、俺は無様にお札を握りしめて眺めることしか出来なかった。身体はまるで石になったかのように動かず、お金をひよりんに押し付けることも財布に戻すことも出来ない。俺が立ち尽くしているとひよりんがこちらに視線を向け、言った。
「私、普段蒼馬くんに恥ずかしい姿を見せてばかりでしょう。だから…………たまには格好つけさせて? 今回だって私に付き合って貰ってる訳だし、これで蒼馬くんにお財布を出させるなんて私が耐えられないわ」
「…………分かりました」
確かに逆の立場なら、俺もきっと奢りたくなるだろう。勿論俺は俺の立場として奢って貰うのは申し訳ない気持ちでいっぱいなんだが、ここは俺が引き下がった方がいいのは流石に理解出来た。
「そういうことなら…………ありがとうございます、ひよりんさん」
「ええ。その代わりちゃーんと付き合って貰うからね?」
俺は頭を下げた。ゆっくりと顔を上げると、店員が頬を赤く染めているのが目に入った。
…………恥ずかしい姿って、そういうのじゃないから!