林城静は見た
もういっそ、酔って忘れられれば良かった。
けれど────昨日のビールは私から記憶を奪うには足りなかったようで。
目を覚ましても、私は昨日の痴態をはっきりと覚えていた。床に転がった時に頬で感じたフローリングの冷たさが、今もはっきりと思い出せる。
「…………どうしてあんなことしちゃったかなあ……」
布団の中に顔を埋めて自己嫌悪。でももうこれ何回目?
蒼馬くんにどれだけ迷惑をかければ気が済むの。昨日のメニューだって、きっと私に気を使ってくれたんだと思う。彼の優しさに甘えてばかりじゃ、いつか絶対嫌われる。その未来はきっとそう遠くない。
『俺はひよりん推しですから。推しが困っている時は力になりたいんです』
────そう言ってくれているうちが華。明日から、じゃない。今日から変わらなきゃ。
「…………よし!」
私はベッドから起きると、冷蔵庫の中からビールを全部取り出した。
蒼馬くんと静ちゃん、ビール飲むかな?
◆
「はーい、今開けますよっと…………え、ひよりんさん?」
朝食の準備をしていると、合鍵侵入が横行している我が家には珍しくインターホンが鳴った。ドアを開けるとひよりんがよろよろと段ボールを持って立っていた。慌てて受け取り話を聞くと、どうやら中身はビールらしい。暫くビールは封印するとのこと。
「それと……昨日はごめんなさい。昨日はっていうか昨日もっていうか……」
「気にしないで下さい。『推し』と飲めるのは俺も楽しいので。それに……もう慣れましたから」
「は、はは……」
ひよりんは顔を引き攣らせて乾いた笑い声を漏らす。引き攣っていても可愛いんだから美人って凄いなと思う。シラフのまともなひよりんと喋ってると実感するが、相変わらず宝石のような顔してるんだよな……。
「じゃあビールはありがたく頂きますね」
とりあえずひよりんが前向きになってくれたようでホッとしたな。昨日の感じを引き摺ってたらどうしようと思ってたんだ。
ドアから手を離し段ボールを廊下に置く。鍵を閉めようと振り向くと、ひよりんはドアを手で押さえて立っていた。まだ何か用があるんだろうか。
「どうしたんですか?」
「えっと、ちょっとお願いがあって……」
「お願い? 何でしょう」
『推し』からのお願いを断る選択肢は基本的にない。
「…………昨日、一緒にダイエット手伝ってくれるって言ってたじゃない……? 一人だとサボっちゃうかもしれないから、一緒に出来たらなあ、なんて思うんだけど……」
「ダイエットですか? いいですけど……何するんですか?」
「まだ決まってはないんだけどね? 朝のランニングとか、あとは輪っかフィットとかやろうかなって思ってるの」
「なるほど……」
輪っかフィットというのは最近流行っているフィットネスゲームだ。確かエッテ様も配信でやっていたことがあったっけ。あれは確か一人用だから手伝えないがランニングならお供出来そうだな。朝のランニングはすっきり目が覚めそうだし、俺にもいい効果がありそうだ。
…………だが、ここで問題が一つあった。
「勿論お手伝いさせて下さい。ただ、俺ランニングウェアとか持ってないんですよね。今度買いに行くので一緒にやるのはそれからでもいいですか?」
俺の言葉に、ひよりんはぱぁっと表情を綻ばせた。
「あ、丁度私も買いに行こうと思ってたの。良かったら…………一緒に買いに行かない?」
「あ、じゃあお願いします」
深く考えず俺は頷いた。ひよりんにお願いされたら首が縦に振られるよう遺伝子レベルで仕組まれているのかも。
「ええ。今週の土曜日って空いてるかしら?」
「その日は空いてます。大丈夫です」
「良かった。それじゃあ土曜日…………よろしくね?」
バタン。
去り際に華のような笑顔を残して、ひよりんはドアの向こうに消えていった。一人になり、思う。
「…………え、これ…………デートでは!?」
『推し』の声優と二人で出掛けるだと…………!?
「マジか……」
……ヤバい、緊張で吐きそうになってきた。
◆
「…………ほう……これは……」
そんな二人を見つめる存在がいた。そう、私だ。
コンビニに行こうとドアを開けたら、蒼馬くんとひよりんが喋ってたから咄嗟に玄関に隠れてしまった。でも気になるからちょっとだけドアを開けて隙間から観察すると、どうやら二人は土曜日に出かける話をしているみたいだった。
「これはまあ…………尾行っきゃないよね」
ポケットからスマホを引っこ抜き、ルインを起動。蒼馬会のルームからとある名前を探して個人メッセージを送る。
「真冬、アンタ土曜日ちょっと付き合いなさい。あと早く友達希望承認して」
毎回ルームから個人ページに飛ぶ私の手間もちょっとは考えてよね。
規則正しさが服を着て歩いてるような存在の真冬は既に起きていたみたいで(因みに私は今から寝るところだ)、すぐに既読が付いた。ポコッと音を立てて返信がくる。
「誰?」
はっ倒すぞ。