最近の家電はマジで凄い
「…………なんだよぉ、もー」
心の中がざわざわして落ち着かない。
壁一枚隔てた自分の世界。玄関の扉に背中を預けて、私はつい甘えた声を出してしまう。
心がささくれだっている原因は分かっている。
いや、まだそうだと決まったわけではないんだけど…………もうあとは自分が認めるか否かというところまでは来ているみたいだった。
「…………デレデレしちゃってさ。私というものがあるっていうのに」
思い出すまでもなく脳裏に焼き付いているのは…………蒼馬くんの緩み切った顔。
推しの声優だか何だか知らないけど、私推しって話はどこにいっちゃったの。これじゃ一人で喜んでた私がバカみたいじゃん。
…………好きな人に「推しだ」って言われて、嬉しかったのに。
「…………あ」
自分の中ではまだ保留中ってことにしてたのに、心は既に私の気持ちを分かっているらしかった。
「はあぁぁぁ…………流石にチョロいよね私…………」
ただ荷ほどきを手伝ってくれただけだっていうのに。
中学生も驚きのチョロさ。消しゴムを拾ってくれただけで恋に落ちてしまうラブコメの主人公か私は。
「…………」
まだ会って2日なのに、好きだなんて言ったら重いかな?
急ぎすぎ?
でも強力なライバルの出現に私の乙女アラートはビカビカの赤色点灯。ぼーっとしてたら蒼馬くんは私の事なんか見てくれなくなっちゃう。それは嫌だ。
「…………ふう」
いやいや、落ち着け私。
まだ好きだと決まった訳じゃない。
確かに?
蒼馬くんの事を考えるだけで胸が高鳴っちゃうし?
ルインの返信が来るたびに頬が緩みそうになるし?
ああもうなんだか隣に蒼馬くんが住んでるってだけで飛び跳ねたくなるほどテンションあがるけど?
まだ好きだと決まった訳じゃない。
そうだよね。うん、そうなんだよ。
都会は冷たいってさんざん言われてた所に不意打ち気味に優しくされて、乙女心にクリティカルしちゃったなんて、そんなことないんだから。
…………よしよし、大丈夫。胸のドキドキが収まってきた。顔はまだ暑いけど、とにかく頭にかかってた心地の良い靄みたいなのは晴れてきた。どうしちゃってたんだろう私。なんだかおかしかったよね。
「…………?」
ポン、とスマホがルインの着信を告げる。
VTuberっていう仕事柄知り合い以上友達未満みたいな人が多くて、私のスマホは割と忙しいんだけど、それでもここ2日はルイン=蒼馬くんって思っちゃうくらいには頻繁にやり取りしていた。
何故だか跳ねる心臓を抑えて、私はルインを開いた。
『さっきはごめん! ついテンションあがっちゃったけど、エッテ様も推しだから!』
「…………はぅ」
あーーーーーーーーもう!
こんなので喜ぶな私!
ときめくな胸!
さっきぞんざいに扱われたの、忘れたわけじゃないでしょ。こんなルイン一つで機嫌が直ると思ったら大間違いなんだから。これはもう罰ゲームだよ、うん。丁度家電も買い揃えようと思っていたし。合法的に二人で出かけられるし。罰ゲームだからね。私がそうしたいって訳じゃないんだよ?
『とても傷付きました。罰として買い物に付き合いなさい』
送信ボタンを押すとメッセージは私の元を離れていく。私はまんじりもせず返信が来るのを待った。
ほどなくして返信が返ってくる。
「…………えへ」
…………どうしよう、ルインの音が鳴るだけで嬉しくなる身体にされちゃった。
責任取ってよね、ホント。
◆
「で、何を買いに行くんだ?」
「んー、マストは電子レンジかな。実家にいる時は気付かなかったけど、必需品だね、あれ」
「まあそうな。寧ろよく電子レンジ無しで一週間生活したな」
玄関を開けると、肩だしシースルーなサマーニットにデニムパンツという健康的な出で立ちの静が立っていた。それなりに存在感のある胸が小さめのニットで強調されていて、俺的には不健康と言わざるを得ない。隣人に欲情するようになったら日々の生活が大変すぎるからな。
女の子と休日に待ち合わせ、という男子大学生なら垂涎のシチュエーションだが、こと俺たちに限っては何の感慨もない。何故ならドアを開けたその場所が待ち合わせ場所だからだ。隣に美少女が住んでいることは果たして幸か不幸か。まあ考えるまでもなく幸だ。
それにしても、軽いノリで誘われたからてっきり小物類を揃えに行くのかと思っていたけど、まさかの家電か。荷物持ちくらいなら引き受けてやろうかと思ったが電子レンジは流石に配達になると思うからお役御免かもな。
「なあ」
「ん?」
「俺、家電とかそんな詳しくないぞ? 着いて行っても役に立つとは思えないが」
いやまあ勿論、静と出かけられるのは楽しみなんだけどな?
それはそれとして、ただ着いて行くだけってのも居心地がよくない。荷物持ちだとか役目を与えられた方が気楽だ。だってそれが無かったら、なんかデートみたいじゃないか。こちとら極力その事を意識してしまわないようにしてるってのに。
「…………む~」
俺の言葉を聞いて、静が頬を膨らませてジト目で俺を睨んでくる。
「なにさ、蒼馬くんは私と出掛けるのが嫌っていうの?」
「いや別に…………そういう訳じゃないけどさ」
本当にそういう訳じゃないけどさ。その証拠に大学行くときはつけないヘアワックスとかつけちゃってるけどさ。「楽しみ!」ってアピールするのもなんか童貞臭いじゃん。童貞だけどさ。
「そもそもね、これは罰ゲームなの。蒼馬くんは黙って私に着いてくればいいんだよ。わかった?」
「…………おう。了解」
「よし、じゃあしゅっぱーつ!」
元気よく歩き出す静の背中を、俺は頬の裏側を舌でつつきながら追いかけた。
◆
「沢山あってどれ買ったらいいか分からないよ~~~~!」
家電量販店の電子レンジコーナーで静は両手で頭を抱えて叫んだ。
頭を抱える、って表現があるがそれを現実で見たのはもしかしたら初めてかもしれない。直情的なボディランゲージが静の特徴だなというのは、俺が静と知り合ったこの一週間で発見したことだ。エッテ様の清楚な印象はそこにはまったくない。
「あんさ、静はどういう機能が欲しいの」
今ドキの家電は進化していて、電子レンジといえど温めるだけが仕事ではない。
パンを焼いたり魚を蒸したり、センサーで満遍なく温められたり人工知能でレシピを提案してくれたり様々だ。高いやつになると水蒸気だけで肉とか焼けるらしい。どうなってんだ。
俺が一人暮らしする時、つまり二年前に調べた時ですらそれだったから今はもっと進化しているかもしれないな。何にせよ家電はしっかり吟味して選ぶべきだ。決して見た目だけで選んだりしてはいけない。お兄さんとの約束だ。
「機能? 電子レンジって温めるだけじゃないの?」
静は横に並んだ俺に顔を向けきょとんとした。
「いや、全然違うぞ。はっきり言って時代は電子レンジだけで料理が出来る所まで来てると言っていい」
「ふうん。まあでも私は温められればいいかな」
そう言うと静は電子レンジに向き直った。
静は家電にあまり頓着がないのか、並べられた電子レンジの前をゆっくりと歩いてはいるものの視線はきょろきょろと忙しなく、詳しく性能を確認していないのは明らかだった。
「うーん、もうこれでいいかな」
「どれだ?」
「これ。この小っちゃいやつ」
いつの間にか電子レンジコーナーの端っこまで行っていた静に追いついてみると、静が指さしていたのは明らかに料理に興味のない新大学生男子が買うような、温めるだけの小さな単一機能電子レンジだった。お値段なんと6000円。6月だし、きっと新生活応援セットかなんかで売れなかった余りだろう。
「…………静、これマジで温めることしか出来ないぞ。ワット変更もないし」
「いいよそれで。沢山機能ついてても持て余しちゃいそうだし。料理する気もないし」
「ん? 料理しないのか?」
こう言ったら偏見かもしれないが…………静は料理上手なものだと思ってた。今風のお洒落な女の子だし、映える料理でも作ってSNSにアップしてそうな印象があった。
「しないというか…………出来ない? ほら、私実家暮らしだったから」
「実家暮らしでも料理出来る人沢山いると思うけど。俺は実家でも料理してたぞ」
「うそっ!? …………蒼馬くん料理出来るの?」
「まあ人並みには。一応毎日自炊してるし」
「…………?」
会話が不自然に途切れ、不審に思い静に視線を向けると、静は何だか熱の籠った瞳で俺を見つめていた。
「…………なんだよ」
「はっ!? ごめんなんでもないなんでもない!」
静は顔を赤くして電子レンジの方を向き直ってしまった。
「とにかくっ、電子レンジはこれにする。買ってくるからちょっと待ってて」
そう言うと静は店員を探して歩いて行ってしまった。
何なんだ、一体。
◆
「────それでね、お母さんがしつっこいの。一人暮らしするなら一通り家事を覚えなさいって」
「普通の意見だなそれは」
「でもさ、東京だったらユーバーイーツもあるし、それ以前に普通にコンビニとかスーパーの総菜とかある訳でしょ? 料理出来なくてもいいと思うけどなあ」
「家事は料理だけじゃないからな」
空に赤みが差し始めた夕方。
俺たちは両手に買い物袋を持って帰路についていた。
…………結局あの後も雑貨屋や生活用品店をはしごし、静はこれでもかというくらい色々なものを買っていた。初めての一人暮らしでついついテンションがあがって買いすぎてしまう気持ちはよく分かる。そしてその大半は3日後には埃を被ってるってことも。
「静お前さ、洗濯とかちゃんとやってるか? 今の時期は溜めるとヤバいぞ」
「ウッ…………」
軽い気持ちで聞いた俺の質問に、静は胸を抑えて呻くジェスチャーをする。
え…………もしかしてやってないのか?
「お前、まさか引っ越してから一度もやってないとか…………言わないよな?」
「あは、あははははは…………」
静は現実から目を逸らすように天を見上げた。空はいつの間にか茜色に染まっている。梅雨時期には珍しい気持ちのいい空模様だ。
「静、笑い事じゃないぞ。1週間前の下着がどれだけ雑菌の温床になってると思ってる。もう想像しただけで…………ブルッ」
無数に増殖し衣服を覆いつくす菌類を想像して思わず体が震えた。
「ちょっと! 乙女の下着を想像しないでよ! エッチ、ヘンタイ!」
「乙女の下着は雑菌まみれにならねーから。いやもうちょっとマジで、今日このままお前の家行くわ」
「はッ!? なんでよ!?」
俺の提案に静はあからさまに拒絶の意を示す。直情的な感情表現が静の特徴だ。
「どっちにしろお前ひとりじゃ電子レンジ設置出来ないだろ。あれ夕方届けてくれるって言ってたぞ。ついでに色々やべーもんがないかチェックさせて貰うわ」
「いやいやいやいや、どうして蒼馬くんにうちのチェックをされないといけないのさ」
「お隣からバイオハザード引き起こされても困るんだよ。異臭とかな」
「酷ッ!? 流石にそこまで酷くはないよ!?」
「現在進行形でお前ん家の洗濯カゴでは雑菌が爆発的に増えていってるけどな」
そうこう言っているうちに俺たちの住むマンション────くくりで言えば十分高級マンションに入る────に到着した。
あーだこーだ言って俺を家に入れまいとする静を華麗に無視してエレベータに乗ると、観念したのかすごすごと静も乗ってきた。そのまま静の家の玄関前でじーっと静に視線を送ると「マジで引かないでね」と念を押した静がゆっくりと玄関の扉を開けた。
…………マジで引かないでって、いったい何が出てくるんだよ。