しとどに濡れて
「蒼馬くん、そっち大丈夫? 濡れてない?」
「こっちは大丈夫だけど、そっちは?」
「私は大丈夫! それに濡れても、水も滴るいい女になるだけだしね」
「意味分からん…………」
静が持ってきた傘はビニール傘にしては比較的大きいタイプではあったんだが、いかんせんふたりで入るには小さくて、俺たちは少しずつ片方の肩を濡らし合いながら駅への道を歩いていた。
傘は静が持ってくれていたんだが、俺の方が身長が高いため静は傘を高い位置で保たねばならず、割と大変そうだった。
「傘、俺持つよ」
「でも…………」
「いいから。大変だろ持つの」
持ち手の空き部分を握ると、静は遠慮がちに手を離した。
「…………ありがと」
「いいって。折角来てもらったんだしこれくらいはやらんとな」
静が濡れないように微妙に傘の位置を寄せつつ歩いていると、雨の音に紛れ静の小さな息遣いが聞こえて来て、なんだか世界に俺達2人しかいないんじゃないかって錯覚に襲われた。
…………仕方ないだろ。相合傘初めてなんだよ。ちょっと柄にもなくドキドキしてるんだよ。
「…………」
ちらっと隣を盗み見ると、静は何やら思慮深げな顔をしていた。いつもみたいに騒いでくれれば、俺も変にドキドキしないで済むってのに。なんでこういう時ばかり真面目な顔をしてるんだよ。ほら、いつものように騒いで場を茶化してくれよ。
「────私さ」
「ん?」
歩行者用の信号がちょうど赤に変わり、足を止めた時だった。それまで黙っていた静が、視線を前方に向けたまま唐突に話し出した。
「そういえば…………男の子と相合傘するの、初めてかも」
「っ…………そうか」
相合傘だなんだと青春染みた事を考えているのは俺だけだと思っていたから、静の口からその言葉が出たことに面食らった。
「蒼馬くんは? 女の子と相合傘したこと、ある? 真冬ととか」
静は依然、視線を横断歩道の向こうに固定したままだ。視線の先には一体なにがあるんだろう。一体何を見ながらこんな事を話しているんだろう。その横顔は嘘みたいに清々しくて、焦っている様子は全く感じられない。俺は視界に映るものに意識を向ける余裕なんてないってのに。俺だけドキドキして、なんだかバカみたいだった。
相手は静だぞ?
何をドキドキすることがあるってんだ。
頭では分かってるのにな。
「…………ない。俺も今が初めてだ」
「そっか。じゃあ、初めて同士だね」
「…………」
絶対静じゃないだろお前。一体誰なんだ、真の姿を現せ。
俺はついに静に視線を向けるのも難しい精神状態になり、ただ無心で傘を伝い落ちる雨粒を注視していた。雨が降って空気は冷えているのに、静側の頬だけやたら熱かった。
「蒼馬くん、青になったよ?」
「…………おう」
…………俺はバーチャリアルの事務所の立地を初めて呪った。
お金あるんだからもっと駅近くに作ってくれ。
このままじゃ…………何かヤバいって。
◆
あーヤバいヤバいヤバい!
わたし今、蒼馬くんと相合傘しちゃってるよ!?
どうしよおおおお隣見れないんだけど!?
「…………」
…………待って待って、本当にヤバい。思った以上の破壊力。相合傘ってこんなに近くに蒼馬くんを感じるの!?
どうしようどうしよう、何か頭の中真っ白になってきちゃった。
「…………」
…………ダメ、落ち着きなさい林城静。あなたいつも焦ってポカするでしょう。今回ばかりは逃がせない、千載一遇のチャンスなんだから。まずは深呼吸。そして頭の中で念仏を唱えるのよ。
はんにゃーはらなんとかー。しょうけんなんとかー。なんとかぼさつー。
…………ふう、何とか落ち着いてきたかも。
とりあえず蒼馬くんをチラ見出来るくらいには落ち着いたから、早速横顔を盗み見る事にした。
「蒼馬くん、そっち大丈夫? 濡れてない?」
「こっちは大丈夫だけど、そっちは?」
「私は大丈夫! それに濡れても、水も滴るいい女になるだけだしね」
「意味分からん…………」
ホントに意味分からないこと言っちゃった。やっぱりまだ頭回ってないみたい。
私が持ってきた傘はやっぱり2人で入るには小さくて、本当はちょっと肩がはみ出していたんだけど、蒼馬くんが濡れるよりは私が濡れた方がマシだった。咄嗟に嘘をつけた自分を褒めてあげたい。
「傘、俺持つよ」
「でも…………」
「いいから。大変だろ持つの」
そう言うと、蒼馬くんが無理やり傘の持ち手を握ってきて、私は手を放してしまう。手が触れ合いそうになってびっくりしちゃったんだ。この前思いっきり握ったっていうのに。
「…………ありがと」
「いいって。折角来てもらったんだしこれくらいはやらんとな」
あの、一ついいですか?
…………蒼馬くん、かっこよすぎじゃない!?
え、なに、その男らしさ溢れる立ち回り!?
私をどうしちゃいたいの。本当に。
「…………」
私は胸から飛び出しそうな心臓を落ち着かせるため、必死に心を無にして歩くことにした。そうしないと鼓動が苦しいくらいだった。
「…………」
今蒼馬くんの顔を見たらおかしくなっちゃいそうで、必死に視線は前方で固定した。見てはいるけどなにも頭に入っていないような、そんな状態だった。
「…………」
私が押し黙っているからか、それとも私と話す事なんかないのか分からないけど、蒼馬くんも黙ったままだった。だから私たちは無言で駅までの道を歩いていた。
けれど、赤信号に捕まって、気まずさに耐えられなくなった私は無軌道に口を開いてしまった。
「────私さ」
「ん?」
蒼馬くんがびっくりしたように短い相槌を打つ。私、今から何言うんだろ。自分でも分からなかった。
「そういえば…………男の子と相合傘するの、初めてかも」
「っ…………そうか」
ちょーっ!?
何言ってるの私!?
確かに相合傘の事で頭一杯だったけど。無心になろうと思っても全然出来なかったけど!
でも、ホントに何言っちゃってるの!?
「蒼馬くんは? 女の子と相合傘したこと、ある? 真冬ととか」
ああもう…………私が私じゃないみたい。窮鼠猫を嚙むじゃないけど、あまりのロマンスに心が追い詰められ過ぎて、逆に何でも言える感じになっちゃったみたい。もうどうにでもなれ。私は、私じゃないみたいな私に全て任せることにした。どうせ今から軌道修正なんて出来ないんだ。
「…………ない。俺も今が初めてだ」
「そっか。じゃあ、初めて同士だね」
……………………。
…………え、これもしかして、キ、きききキスとかしちゃう流れ!?
え、どうしよう。流石に心の準備出来てないよ!?
嬉しいけど!
嬉しいけども!
そんな慌てる半分の私を尻目に、信号が青に変わった。
「蒼馬くん、青になったよ?」
「…………おう」
残った半分の冷静な私が、思ってもいない事を口にするのだった。