合鍵を巡る何か
本作はラブコメ時空の為、基本的にシリアスはありません。
「…………つっかれた…………」
配信が終わるや否や、俺は椅子から飛び降りそのままベッドにダイブした。
タオルケットの柔らかな感触が頬を撫で、想像以上に疲労を伝えてくる身体は低反発スプリングに沈んでいく。
「配信してる時は緊張してる自覚なかったんだけどな…………」
チャット欄が悪ノリしていたのもあるけど、普段と同じ感じで話すことが出来たと思っていた。けれどそれはランナーズハイみたいなものだったらしく、どうやら身体が緊張を隠してくれていただけらしい。それが今、猛烈に吹き出してきている。
…………まあそりゃそうか。5万人だもんな。意識しないようにしてたけど、意識しない訳がないんだ。
「────お兄ちゃん」
頭上から声が聞こえてくる。
頭を動かすのすら億劫で確かめる事はしなかったけど、その呼び方をする人間は世界でひとりしかいない。
「…………真冬ちゃん?」
鍵は閉めていたはずだから合鍵を使って入ってきたんだろう。その事にすら気付かないほど疲れていた。
「お疲れモードみたいだね」
「思ったよりね…………」
本当はもっと色々、配信中に感じたこととか伝えたかったんだけど、口を動かす事も面倒でそれだけ言うに留まった。
「お疲れ様、お兄ちゃん」
キシ…………とスプリングが沈む感触が身体に伝わる。多分真冬ちゃんがベッドに座ったんだ。
「今日はもうこのまま寝ちゃう?」
平坦で、でもどこか優しさのこもった真冬ちゃんの声が眠気を加速させる。
「あー…………そうな…………寝る、かも…………」
「ふふっ…………おやすみ、お兄ちゃん」
頭を撫でられた気がした。
それについて何か反応することも出来ず、俺は意識を手放した。
◆
「いやー、蒼馬くんの初配信面白かったなあ。お姉ちゃんズは流石に草だよ」
自分が焚きつけた流れとはいえ、アンケート機能でどんどんヘンテコなタグに決まっていくのは痛快だった。早くもリスナーに愛されてたし、蒼馬くんは間違いなく人気VTuberになるなあ。
いや、もうなってるのかな?
1期生の中でひとりだけ登録者数20万人超えてたもんね。他の人はまだ10万人もいってなかった気がする。まだ男性VTuberファンが根付いていないバーチャリアル所属ってことを考えたら物凄い事だと思う。
「…………ちょっと様子見に行ってみようかな」
聞いてる感じだとあんまり緊張している風には見えなかったけど、初配信、それもいきなり5万人の前で喋ることになって緊張しない訳が無い。それは私が一番よく分かってる。
…………ここはひとつ、肩でも揉んであげましょうかね。
合法的に蒼馬くんに触れられるし。なーんてことは考えてないよ?
そうと決まれば話は早い。私はゲーミングチェアから飛び降りると、玄関に駆けだした。
────のだが。
「────え」
玄関のドアを開けた私はとっさに隠れる羽目になった。
何故って。
「どうして真冬が…………蒼馬くん家の合鍵を持ってるの…………?」
そこには────慣れた手つきで鍵を差し込む真冬がいた。
理解の追いつかない私を置き去りにして、真冬は蒼馬くん家に吸い込まれていく。
え。
待って。
どういうこと。
真冬と蒼馬くんが?
「これは…………尋問だあ!!!!」
私はエントランスに出ると、出来る限り眉を怖い感じにして真冬が出てくるのを待った。
…………腕も組んどいた方が、怖いかな?
◆
「…………蒼馬くん、可愛かったなあ」
配信ページを閉じて、グラスに残ったウイスキーをグイっと飲み干す。そして声は蒼馬くんなのに見た目は小学生の新人VTuberの事を思い出す。そうすると自然と笑みが漏れた。
「…………バレなかったよね…………?」
あんまりにも可愛くて、思わずお姉ちゃんって沢山送っちゃった。自分の中から湧き出てくる衝動を抑えられなくなっちゃった。でも、そのお陰か私たちは『お姉ちゃんズ』になることが出来た。これから沢山、蒼馬くんにお姉ちゃんって言って貰えるんだ。
「…………ふふっ」
どうやらお酒が入ると、私は甘えたがりになってしまうらしい。
そして、お姉ちゃんぶりたくなってしまうみたい。
なんというか、ほら。
私…………もう26だしね…………?
皆より…………一回りくらい年上。
蒼馬くんと静ちゃん、真冬ちゃんと同じノリで接するのは、なかなか難しかった。
でも蒼馬くんと二人きりだったら、そういう私の
蒼馬くんに甘えたい。
それと同時に、蒼馬くんに甘えられたい。
そういう想いがどんどん強くなる。
「好き…………なんだよね。これは…………」
恋って、何かきっかけがあると思ってた。
助けられたとか。
グイグイ迫られたとか。
女の子なら一度は夢見るシチュエーション。
そういうのが付き物だと思ってた。
「…………気が付かなったなあ」
でも、どうやら私の恋ってそういうものじゃないみたい。
気が付いたら────好きになっていた。
「…………お酒、付き合って貰おうかな」
無性に蒼馬くんの顔が見たくなった。
蒼馬くんのデビュー記念に、ちょっといいお酒を持っていこう。
私は棚からお気に入りのラム酒を取り出すと、蒼馬くんの家に向かった。
────のだけれど。
「え────ッ」
私の目に映ったのは、合鍵を使って蒼馬くんの家に入る真冬ちゃん。そして、それをじっと見守る静ちゃんの姿だった。
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