26歳なら大丈夫
「お酒ってこんな事になっちゃうの…………?」
「いや、はっきり言ってこれは異常だ。俗に言う酒乱って奴だと思う」
人が変わったようなひよりんを見て、真冬ちゃんが戦々恐々としながら呟く。
18歳にしてお酒に対して悪感情を持たせる訳にもいかず、俺は人生の先輩としてひよりんをぶった切った。まあ実際酒乱だ、これは。
「わらしがしゅらん~? ちょっろそうま、あんらなまいきになっらわねー!」
ひよりんが机に突っ伏しながら呂律の回らない口で何か言っている。
ボリューム機能もぶっ壊れてしまったみたいでとても耳に響く。走って踊ってしながら歌うアイドル声優だけあって、声量が大きいのが仇になってるな…………。
「ちょっと蒼馬くん、これどうすんのよ」
「どうすんのって言われてもな…………何とか自宅にお帰り頂くしか……」
「あらしはかえんないわよ~!」
壁に張り付くヤモリだかイモリみたいに、テーブル一杯に両手を広げ張り付くひよりん。
そこには溌剌としたステージ上の八住ひよりの印象も、おっとりとしたお姉さんの支倉ひよりの印象も全くなく、居酒屋で管をまく中年男性にしか見えない。見た目と声がいいだけの中年男性がそこにいた。
「どうすっかなマジで…………」
スマホを見れば21時を過ぎている。静は22時から配信があるって言ってたし、真冬ちゃんも一人で帰らせる訳にはいかない時間だ。
「静、お前はとりあえず帰れ。配信あるんだろ?」
「ちょっ────私帰らせて何する気!? あんたファンの一線は越えないんじゃなかったの!?」
「越えねえよ。真冬ちゃん送ってかないといけないし」
「それなら大丈夫です。私、今日は泊まっていきますから」
「は?」
驚いて目を向けると、つーん、と澄ました顔の真冬ちゃんが綺麗に背筋を伸ばして椅子に座っていた。だからその真面目な顔で変な事言うのやめろ。面白くなるだろ。
「この状態のひよりさんとお兄ちゃんを二人きりになんて出来ません。私はお兄ちゃんはケダモノでは無いと信じていますけど、酔った人間は何をするか分かりませんから」
「いやまあ確かに今のひよりんさんは何すっか分からないけどさ…………泊まるのはまずいって。布団もないしさ」
「私は同じベッドでも構いませんよ?」
「俺が構うの!」
「昔は一緒にお風呂に入ったこともあったのに…………」
よよよ、と泣き真似をする真冬ちゃん。頼むから大学モードに戻ってくれ。今問題児はひとりで十分なんだって。
「お風呂っ!? 私だってまだ一緒に入ったこと無いのに!」
「まだって何だよ。つーかお前ん家、風呂まだ確認して無かったな。カビ生える前に一回見とくか」
確かエッテ様、前に放送で「気が付いたら3日風呂入ってない」とか言ってたことあった気がすんだよな…………。
流石に冬だったけど、今考えたらよくあれで清楚キャラやれてたよな。3日風呂入らない清楚系お姫様とか絶対いないだろ。とりあえず今は匂わないからちゃんと入ってるんだろうけど。下着も日数分脱ぎ捨てられてたし(良い子の皆は洗濯カゴにいれような)。
「そうやって私の下着見にこようとするんだから~、まったくこのエロ小僧は」
「一回ぶん殴っていいか?」
つんつんと脇腹をつついてくる静の手を払いのける。マジで問題児しかいねえこの空間。こんなはずじゃなかったんだが。
「とりあえず泊まるのはナシ。静は家に帰れ、沢山の人が待ってんだから。ひよりんさんは真冬ちゃん送り届けたあとに何とかする」
ひよりんは缶チューハイを握りしめたまま机に突っ伏して寝息を立てていた。
…………やるだけやって寝ちゃったよこの人。
年を取ってもこうはなるまい。俺は強く心に誓った。
因みにwikiによるとひよりんの年齢は26歳だ。ああいうのとか事務所のプロフィールって本当の情報が書いてあるんだろうか。機会があれば聞いてみるのもいいかもしれないな。
「はい、解散解散。初日くらいスマートに終わろうぜ」
既にスマートとはかけ離れている気もするが、きっと気のせいだ。
俺は手を打ち鳴らしながら静と真冬ちゃんを家から追い出した。ひよりんを放置することになるけど…………まあ大丈夫だろう。26歳だし。
◆
「なんかごめんね、バタバタしちゃって」
すっかり暗くなった道を真冬ちゃんと二人で歩く。
生温い梅雨時期の風が肌に張り付いて、何とも気持ち悪い。
「ううん、楽しかったよ。お兄ちゃんのお友達、愉快な人だったね」
「まあ、そうな…………まさかこんな事になるとは思わなかったが」
歩くたび、真冬ちゃんの
「真冬ちゃん、大学生活はどう?」
うちのマンションはそこそこ駅から近いし、真冬ちゃんは駅まででいいと言っていたので、二人で話せる時間はあまり長くない。俺は気になっていた事を聞くことにした。
「楽しいよ。仲のいい友達も出来たし。知らない男性から声を掛けられるのは、ちょっと嫌だけど」
「あー…………大変らしいな。噂はよく聞くよ」
俺に置き換えたら「女の子から声掛けられ過ぎて困っちゃうよ~あはは」って感じだろうか。なんて贅沢な悩みだと思いそうになるが、男性と女性では色々と違うんだろう。男性の方が力強いしな。俺が女性だったら恐怖を感じるのは、まあ分かる気がした。
「お兄ちゃんが彼氏になってくれたら、追い返せるんだけどな……?」
ちらっと横目で俺に視線を送ってくる真冬ちゃん。相変わらずの真顔で、本気なのか冗談なのか分かり辛い。
「え、えっとその…………それは…………」
「じょーだん。そこまで迷惑はかけられないし、自分で何とかするよ」
迷惑かと聞かれたらそうでもない気もするけど…………とにかく冗談で良かった。真冬ちゃんの冗談は心臓に悪いな。
「まあでも、しつこい人いたら俺の名前出していいから。困った事があったら言ってね。兄として出来る限りの事はするつもりだから」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
その後はたわいもない昔話なんかに花を咲かせていると、すぐ駅前に辿り着いた。
「あ、そういえばお兄ちゃん。お兄ちゃんの住んでる所って、ひとつ空き部屋なんだよね?」
「そうだけど、もしかして引っ越してくるつもりか? 結構高いぞ、あそこ」
「そうだよね…………実は今住んでる所があんまり治安良くないみたいなの。それで、どうしようかなって悩んでて」
「マジか。大丈夫なの?」
「今のところは何にもないんだけど…………駅も近いから道も明るいし。でもお兄ちゃんの住んでる所見たら、やっぱりこういう所の方がいいのかなあって」
「まあセキュリティは万全だからな、うち。俺としても真冬ちゃんが来てくれるなら嬉しいけど」
「…………そうなんだ。お兄ちゃん、嬉しいんだ」
「そりゃあ、仲のいい子が近くに越して来たらな。今日みたいに一緒にご飯も食べれるし」
今日は色々あったけど、蒼馬会は継続予定だ。ひよりんの酒だけ別途相談する必要があるがな。
「そっか…………ありがとう、お兄ちゃん。じゃあそろそろ行くね」
「うん、気を付けて。おやすみ」
「おやすみなさい」
真冬ちゃんは何度もこちらを振り向きながら、駅の改札に吸い込まれていった。
…………さて、帰るか。俺にはもう一仕事残ってるしな。