お兄ちゃん♪
「予定とか大丈夫だったの?」
「うん。今日は帰るだけだったから」
「そか。ごめんね、買い物に付き合わせちゃって」
「ううん、蒼馬お兄ちゃんと話したかったから」
「…………え?」
お、おおお、お兄ちゃん!?
真冬ちゃん、今あなた俺のこと『お兄ちゃん』って呼びませんでした!?
「…………ダメ?」
こてん、と首を傾げて上目遣いに俺を見る真冬ちゃんを前に、俺は首をコクコク縦に振ることしか出来なかった。
「い、いや。全然、ダメジャナイ」
「良かった。2人きりの時はお兄ちゃんって呼ばせてね」
「ウ、ウン」
自宅最寄りのスーパーの精肉コーナーを2人で歩きながら、俺の頭は真っ白になる。
あれなんで精肉コーナーいるんだっけ。
何買いに来たんだっけ。
マジで分からん。
「お兄ちゃん、鶏肉買いに来たんじゃないの? 通り過ぎちゃったよ」
「あ、ああ、ああそうだった。鶏肉だ。すまんぼーっとしてた」
「まったくもう、しっかりしてよね」
「ごめん…………」
俺がしっかり出来ないのは真冬ちゃん…………あなたのせいなんですけど!?
「もも肉が安いって言ってたよね。これでいい?」
「あ、うん、これこれ。ありがとう真冬ちゃん」
真冬ちゃんが持ってきてくれたもも肉を籠にいれながら…………ふと考える。
女の子だったらもも肉よりむね肉の方が良かったりするのかな。
…………むね肉の方がヘルシーなんだよな。つーか皆どれくらい食べるのか分かんないや。
「真冬ちゃんってどれくらい食べるの? これくらいの唐揚げだとして」
指である程度の大きさを示し、真冬ちゃんに見せる。
「えっと…………うーん、5個くらいかなあ。でもお兄ちゃんの作ってくれたご飯ならいくらでも食べられちゃうかも」
「そ、そっか」
ダメだ…………人が変わったように甘えてくる真冬ちゃんに、脳みそがかき乱されそうだ。心臓も壊れたみたいにうるさい。
静まってくれ、マジで。
とりあえず真冬ちゃんが5個くらいだとして、静はあのゴミの量を見るに普通に食べるはずだろ。ポヤングもめっちゃ勢いよく完食してたし。俺と同じくらい食べると考えて良さそうだ。
ひよりんは…………どうなんだろう。酒飲みっぽいから、割と食べるのかな?
唐揚げだったら結構売れそうな気もする。
俺が作る唐揚げは女の子でも一口で食べられるくらいの小さめサイズだし、30個くらいあっても大丈夫かな。余ったら明日の朝食べればいいし。
「真冬ちゃん、もも肉もう1パック取ってもらってもいい?」
「うん、分かった…………何だか楽しいね、こういうの」
「…………そうだな」
大学では決して見せないような笑顔の真冬ちゃんに、困惑しながらも何とか笑顔を返しながら、俺たちは買い物を続けた。
◆
「…………お邪魔します」
「いらっしゃい。適当に寛いでくれればいいから」
真冬ちゃんはキョロキョロとリビングを見渡したあと、中央に鎮座している4人掛けのテーブルに座った。
「これ、なんで4人掛けなの? お兄ちゃん、一人暮らしなんだよね?」
「あーそれな…………両親が置いてったんだよ。頻繁に様子見に来る予定だったんだろ。心配すんなって強く言ったら来なくなったけど」
「ふふ。お母さん、元気?」
真冬ちゃんは昔を思い出すように柔らかい笑顔を浮かべた。
「元気元気。元気すぎて困るくらい。めっちゃ過保護だし。このマンションも親に決められたんだよね。セキュリティがしっかりしてるからってさ。俺はもっと大学が近い所が良かったんだけど」
高い家賃のせいでご近所付き合いもほとんどなかったしな。最近まで。
「ここ、立派なマンションだよね。びっくりしちゃった」
「一人暮らしの大学生なんてワンルームで十分だっつったんだけどな。おかげで広すぎて持て余してるよ」
なんせ2LDKだ。夫婦と子供まで住めるぞ。彼女が出来る予定も子供を作る予定もないけれども。
「そうなんだ…………お友達って2人だっけ?」
「そ。隣とお向かいさん。斜め前は空き戸だから」
「ふうん…………」
背中に真冬ちゃんの声を受けながら唐揚げの準備を進める。といってもやることは単純だ。
一口大に切ったもも肉をボウルに入れ、そこに塩、コショウ、醤油、ニンニク、酒、ごま油などを入れていく。少し違うのは卵の代わりにマヨネーズを入れる事くらいか。
テレビで料理人がマヨネーズいれてて、「これだ!」って思ったんだよな。
これは唐揚げあるあるだと思うんだけど、よくある唐揚げのレシピだと『卵 2分の1』って書いてあって「いやいや残りの半分どないすんねん」ってなるんだよな。その問題がマヨネーズに変えることで解決した。あれは革命だったな。
そしたらあとは揉んで漬けて、片栗粉とコーンスターチを混ぜたものにまぶして揚げるだけだ。
マジで簡単。唐揚げは油の処理が面倒なくらいしかデメリットが無くて、俺は割とよく作る。
「うーん。食ってる最中に第二陣が揚がるようにした方がいいか。女の子なら食べるスピードもそんな速くないだろうし」
頭の中でタイムラインを組み立てつつ、作業を続ける。時計を確認したら19時丁度。まだ割と余裕があるな。
「真冬ちゃん暇してない?」
「ひゃいっ! …………ごほん。大丈夫」
振り返ってリビングに戻ると、俺の背中を見ていたっぽい真冬ちゃんは急に話しかけられてびっくりしたのか、素っ頓狂な声をあげて身体を強張らせた。
エプロンを外しながら真冬ちゃんの隣に腰を下ろす。真冬ちゃんがちらっとテーブルに置いたエプロンを盗み見た。男のエプロン姿が珍しいのかな。
「ごめんね、折角来てくれたのに放置しちゃって」
「私こそ、手伝えなくてごめんなさい」
家に帰る道すがら聞いてみたんだが、真冬ちゃんも料理が得意ではないらしい。自炊したいと思ってはいるものの、大学生活がバタバタしてあまり出来ていないのが現状とのこと。
いやー分かる分かる。自炊するぞーって意気込んだはいいものの、最初の数か月は全然手に着かないんだよな。料理はいいんだが洗い物が面倒でさ。慣れてくると時短出来るから苦じゃなくなるんだが。
「ひとりで作るの慣れてるから気にしないで。自分が作った料理の意見が聞けるだけで貴重だからさ」
因みに蒼馬会のルインで『後輩ひとり連れてっていいか』と聞いたら2人とも快く了承してくれた。
女だって言ったら静から個別ルインで『随分おモテになりますねえ』と意味の分からないメッセージが来たけど、そういえばあれ返信してないな。
「…………? 来たのかな、まだはえーけど」
今からでも適当に返信しとこうか、とスマホを取り出したのと同じタイミングでインターホンが鳴る。カメラに映っているのはそわそわとウェーブがかった茶髪の毛先を気にしている静の姿だった。
「お隣さんきたっぽい。ちょっと開けてくるね」
「うん、分かった」
リビングを出て玄関の鍵を開けると、しゅばっと毛先から手を降ろした静が立っていた。めっちゃ身だしなみ気をつけてたのカメラで丸見えだったけど、伝えた方がいいんだろうか。
静は俺の顔を見るなり、むかつく煽り顔を浮かべた。
「随分おモテになりますねえ?」
「お前に食わせる唐揚げはねえよ」
バタン。
扉を閉じると、外からバンバンと扉を叩く音と振動が響いてくる。
「おい、開けろー! 諭吉払っただろ! 唐揚げ食わせろよー! 頼むよ~~…………!」
「愉快な人だね」
いつの間にか玄関にやってきていた真冬ちゃんが玄関を向いてぼそっと呟いた。
うん、俺もそう思う。