念願の入居者
お節介焼きで生活スキル高めの主人公と変人ヒロインたちのラブコメです。
徐々に甘くなっていく予定です。
チュンチュン。チュンチュン。
チュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュン。
「…………うっさ」
俺の一日はアホみたいにうるさいスズメの鳴き声で起こされる所から始まる。休日だってのにロクに寝かせてくれやしない。
時計を確認したら6時丁度。俺はジジイかっつーの。
「起きるか…………」
腰巻きみたいになっていたタオルケットを跳ね除けてベッドから起き上がる。そのまま流れるようにキッチンに向かい、冷蔵庫の中身を物色する。
「お、卵残ってるじゃん。昨日使い切ったと思ってた」
朝飯は大事だ。
どこかで見たアンケート結果では朝飯を食べない人が多いらしいが、俺から言わせればそれはありえない。
午前中の集中力は低下するし、昼飯を食べるときに血糖値が爆上がりするし、調べたところによると脳卒中のリスクも上がるらしい。
もしオートファジー的なダイエットをするにしても朝食は抜かない方がいいだろう。
オートファジーと言えば俺の好きなVTuberが、あまりにも生活リズムがバラバラだっていうんで『セルフオートファジーwww』とか言われてたな。気が付いたら一日何も食べてないとかザラにあるらしい。皆は笑ってたけどマジで心配だ。いつか身体壊すんじゃないかとヒヤヒヤする。
エッテ様、何となく病弱なイメージあるしな。
冷蔵庫から卵とベーコンを拝借し、キッチンに立つ。
フライパンを十分に熱したら油を引き、まずはベーコンを投入、遅れて卵を割り入れる。
一人暮らし始めたての頃はあたふたしたものだけど、今となっては慣れたものだ。あっという間に今日の朝食が完成した。
一人暮らしを始める前は「面倒だろう」と思っていた自炊は蓋を開けてみれば案外楽しくて、俺は余程の事が無い限りは自炊している。大学の友人に言ったらめちゃくちゃ驚かれたっけ。自炊の方が食費安上がりだと思うんだけどな。
出来上がったベーコンエッグを真っ白な皿に乗せると、リビングに移動し、どう見てもひとり暮らしには不相応な四人掛けのテーブルの端っこに置く。
そうしたらまたキッチンに戻り、お茶碗にご飯をよそい、またリビングに戻ってテーブルに着席する。リビングとキッチンを往復しなければならないのがなんとも面倒くさくて嫌になる。
「いただきます」
親が借りたこの無駄に広いマンションは、はっきり言って生活するには不便だ。
『一人暮らしは危険だから』と持ち前のお節介を発揮した結晶であるこのマンションは、間取りが2LDKでセキュリティもガチガチだった。そのせいか家賃は相場よりもかなり高く、住人は少ない。俺の住んでいる階も4戸あるが埋まっているのは俺が住んでいる所だけだ。
隣に美少女が住んでいた、みたいな展開はどうやら現実にはないらしい。
「ごちそうさま」
速やかに朝食を済ませ、そのまま食器を洗う。
…………思うに、洗い物が面倒だと感じる理由は食器を溜めるからだ。その都度洗う習慣を身に着けてしまえば何ということはないんだが、どういう訳か世の中には流し台を魔境に変貌させる人が多い。
「…………うっし」
洗い物を済ませると、やることがなくなった。
時計を見ると6時20分。都心とはいえ流石に店も殆ど開いてないから外に行く選択肢は無し。大学の課題も終わっているし…………
「…………テキトーにエッテ様の切り抜きでも見るか」
9時になればテレビでドレキュアが放送するから、それまで暇を潰せればいい。
俺はささっとホットコーヒーを用意すると、さっきまで朝食を食べていたテーブルにノートパソコンを持ってきて、ミーチューブを開く。
お気に入りから『エッテ様切り抜きchannel【公認】』を選んで適当に動画をクリックすると、スピーカーから慣れ親しんだ落ち着いた声が流れ始めた。
動画のタイトルは『火傷しながら激辛焼きそばに勝利するエッテ様』。俺が丁度見れなかった二日前の放送だ。アーカイブもまだ見てないんだよな。
『今日は激辛ポヤングを食べてみたいと思いますよー。何か今流行っているじゃないですか。この前ゼリアちゃんが泣きながら食べてたのを見たんだけど、あれめっちゃ面白くて。やろっかなーと思ってコンビニで買ってきちゃった』
あー最近流行ってるよな、激辛インスタント焼きそば。他の配信者の切り抜きをいくつか見たけど洒落にならない辛さらしい。エッテ様胃腸弱そうなイメージあるんだが大丈夫なのか?
コメント:『いいね』
コメント:『激辛?』
コメント:『超激辛じゃなくて?』
『超激辛? 私が買ってきたやつは激辛って書いてあるんだけど…………違うのかな?』
コメント:『もいっこ上がある』
コメント:『ゼリアが食べてたのは超激辛』
コメント:『それそんな辛くないよ』
『ありゃ。まあ私辛いのそんなに得意じゃないし、まずはここからってことで。全然辛くなかったら後日超激辛にもチャレンジするかも。じゃあちょっと作ってくるね』
コメント:『了解です』
コメント:『俺もポヤング食おうかな』
コメント:『エッテ様じゃ激辛すら無理そう』
アンリエッタ、通称エッテ様はVTuber事務所『バーチャリアル』所属のVTuberだ。
登録者数は60万人で、バーチャリアル内では中堅くらいの規模。
落ち着いた声とマイペースな話し方が特徴で、彼女の睡眠導入雑談枠はその内正式に睡眠障害への効能が認可されるらしい。もちろん嘘だが、それくらい聴いていると落ち着くのは確かだ。
そして俺はそんなエッテ様が『推し』だった。
特に理由がある訳じゃない。偶々オススメに出て来た動画で知って、いつの間にかよく観るようになっていた。今では立派な睡眠導入剤だ。
『ただいまー。なんかうまく湯切り出来なくて親指火傷しちゃったかも。という訳で親指冷やしながら食べるね。食べてる音入っちゃうから不快な人はミュート推奨!』
コメント:『火傷大丈夫!?』
コメント:『ポヤングはいいから親指冷やして』
コメント:『咀嚼音をおかずにご飯食べます』
『コップにこおり水入れて指突っ込んでるから火傷は大丈夫だよー。心配してくれてありがとね。じゃあいただきまーす』
ずるずる。
ずるずるずるずる。
控えめな啜る音がスピーカーから流れる。
コメント:『咀嚼音助かる』
コメント:『咀嚼音丁度切らしてた』
コメント:『辛く無さげ?』
『…………っふうー、今の所はねーあんまり辛くないかも。…………あーでも辛いなあ! 喉が結構ゴホッ! 喉に、結構、ゴホッ!、くるねー』
コメント:『キツそう』
コメント:『無理しないでね』
コメント:『苦しそうなエッテ様……ハアハア』
コメント欄に幾人かの変態がいるようだったが、エッテ様は無事焼きそばを完食した。
『ごちそうさまー。激辛はねーやっぱりあんまり辛くなかったかな。近いうち超激辛チャレンジするね。ちょっと引っ越しで二日ほど配信出来ないから、引っ越し記念配信でやるかも。それじゃあ、またねー』
その切り抜き動画はそこで終了した。
「…………アち」
俺はホットコーヒーに口をつけながら次の切り抜きが再生されるのを待った。
◆
『八住ひより』という声優を知っているだろうか。
俺は二年前、彼女をアイドル育成系ソシャゲで知った。
俺はそのゲームの大ファンでライブにも全通しているんだが、ファーストライブで見た彼女が本当に綺麗で凛々しくて、すっかりファンになってしまった。
後からwikiを見て知ったんだが、彼女はそれまでは小さな役しか貰えていなかったみたいで、そのソシャゲが初のメインキャラらしかった。
それなのに今や色んなソシャゲやアニメにも出るようになって、今クールからついに日曜朝の長寿アニメ『ドレキュア』のメインキャラに抜擢された。飛ぶ鳥を落とす勢いの超人気アイドル声優だ。
「ひよりんがドレキュアに…………感慨深いなあ」
画面の向こうでは八住ひよりが声を当てているヒロイン、【
エンディングの「風祭つかさ 八住ひより」という文字に満足すると、俺はテレビを切り玄関に足を運んだ。
というのも、何だか隣がうるさい。
隣は空きのはずなんだが…………もしかして誰か引っ越してくるのか?
俺は気になって巣穴から顔を出すプレーリードッグよろしく玄関から顔を出した。すると、奥の方で丁度引っ越し業者と思われる数人がエレベーターに乗り込むのが見えた。手前の空き戸だった所に視線を戻すと、玄関口から白いワンピースを着た女性が「ありがとうございましたー!」と頭を下げていた。
やはり隣に誰か入るらしい。それもどうやら若い女性。
このままバレないように顔を引っ込めるのもなんだか冷めた都会行儀に思えて、俺は隣人に声をかけることにした。
「こんにちは」
「きゃっ!?」
背後から声を掛けられてびっくりしたのか女性は大きな悲鳴を上げた。
女性が胸に手を当てながら振り返る。ウェーブががった茶色い髪がふわっと揺れ、美少女が現れた。
「はぁー…………びっくりした…………」
「ごめんなさい、そんなびっくりするとは思わなくて」
「い、いえ。私もぼーっとしてたから。初めまして、隣に越してきた林城と申します」
林城と名乗ったその女性は、さっきと同じように深々と頭を下げてきた。
「初めまして、天童といいます。年齢ハタチ、職業大学生です」
出会い方を少しミスったと感じた俺は、この場に充満している不審者空気を少しでも消そうと、年齢と所属を合わせて名乗った。俺は真っ当な人間なんですよ。
「あ、同い年!」
林城さんは驚いた様子で俺を指さすようにした。
…………同い年?
マジか。凄い偶然だな。
面倒だし向こうもフレンドリーな人っぽいし、タメ語でいいかもう。
「うそ、そっちもハタチ? 大学生?」
「…………んにゃ、在宅ワーク的な? フリーで働いてるんだー」
「フリー? なんか凄そう」
「んにゃ、全然だよ、そんなそんな」
んにゃ、というのがどうやら彼女の口癖らしい。顔の前でパタパタと手を振る彼女を見て────俺はとある事に気が付いた。左右に動く彼女の右手を指差す。
「────それ、どうしたの?」
「? …………ああこれ、ちょっと火傷しちゃったんだよね。中々治らなくってさー」
彼女は顔を仰ぐように右手を動かす。
彼女の右手の親指に大きめの絆創膏が貼られていたのだ。てっきり今日の引っ越し作業で出来た傷だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「ふうん…………じゃあ荷解き大変じゃない?」
「いやー、本当そうなんだよー…………今日中に色々セットしちゃいたいんだけど、厳しいかなーってちょっとブルー中なのよなあ」
そう言って林城さんはがっくりと肩を落とした。
「手伝おうか?」
「…………え?」
気が付けば俺はそう申し出ていた。
「俺、今日は一日中暇だし。見られたくないものとか多いだろうけど、例えば重い物だけとかさ」
俺の申し出に、林城さんは「ううん……」だの「でも……」だの呟きながら悩んでいた。頭を抱えながら首を左右に振っている。さっきから思っていたが随分ボディランゲージが激しい人らしい。
断る方が自然な申し出かとも思ったが、結論はすぐ出たようだった。
俺の方を向き直ると、林城さんはがばっと頭を下げた。彼女が頭を下げるのを見るのは早くも三度目だ。
「それじゃあ…………申し訳ないんだけど、お願いしていいかな?」
◇
『推し』と仲良くなりたい────そう思う人もいるだろう。
手の届かない存在に憧れ、想い、恋慕し、近しい存在になりたいと強く願う。
気持ちは分かる。ただこれだけは知っていて欲しい。
夜空に輝く星が、実は宇宙のゴミでしかないように────『推し』という存在もまた、近付けば見えてしまうものもあるってことを。
俺はその事を────『エッテ様』から、そして『八住ひより』から、学ぶことになる。