第八十九話「森の雨・後編」
何かあるとは思っていた。
俺を雇ったフィッツ先輩の様子はおかしかった。
異変もあった。
雨が降るにしても、雲の動きが早すぎた気がする。
冬に通り雨が降ることなんて殆ど無いのだ。
誰かが魔術を使っていた可能性がある。
いや、しかし雨を振らせて何をしようというのだ。
妨害だろうか。
誰が。
例のアリエル王女が泊まったという貴族のか?
何のために?
アリエルを暗殺でもしようとしているのか?
そのためにフィッツ先輩が邪魔だとか。
いや、それなら降らせるのは雨じゃなく、もっと別のモノの方がいいだろう、槍とか。
フィッツ先輩はこれに気づいているのだろうか。
気づいていなさそうだが、彼女は妙に落ち着いている。
これぐらいの妨害は想定内という事だろうか。
いや、なら、最初に妨害があると言うよな。
あるいは、彼女が俺を暗殺したいのだろうか。
それなら先日、俺の部屋に来た時にやってるか。
どうなっているのやら。
悩みつつも、俺は濡れた服を乾かすべく、焚き火の準備をする。
こんな事もあろうかと、焚き火用の薪は用意してあった。
火魔術で焚き火を維持することは可能だが、薪があったほうが楽だ。
魔物が現れた時には、火を起こしなおさないといけないしな。
夜なら、明かりも失われる。
薪を設置し、火を付ける。
火が安定したのを確認した後、防寒具を脱いだ。
防寒具は濡れそぼり、外側は凍りついていた。
防寒具の下には、いつもの鼠色のローブを着ていたわけだが、こっちもぐっしょりだ。
感触からいくと、パンツまで浸透している。
とりあえずパンツは換えがあるからいいとして、防寒具とローブを先に乾かす事にする。
風魔術と水魔術を駆使して、瞬間的に脱水する。
ただ、水分を全て飛ばすほどやると生地が痛むため、程々にしておく。
土魔術で物干し台を作り、そこに干した。
ローブの下に着ていた服も同様。
下着姿になって、体を温めるべく、火に当たる。
まだ寒い。
土魔術で壁を作り、洞窟の入り口を塞ぐ。
完全に塞ぐと一酸化炭素中毒になりかねないので、天井の方に隙間を作っておく。
さて、パンツはどうしようか。
さすがにフィッツ先輩の前で脱ぎ去るわけにもいくまい。
と、ふと彼女を見ると。
「うぅ……」
フィッツ先輩は自分の肩を抱きつつ、ガタガタと震えていた。
防寒具は脱いでいるが、その下のマント等は身につけたままである。
あのままだと風邪を引いてしまう。
「乾か……」
乾かした方がいいのではないですか。
と言いかけて、俺は口をつぐんだ。
フィッツ先輩は少年のような見た目をしているが、女性だ。
しかも、正体を隠している。
俺の前で脱ぐわけにはいかない。
しかし、このままだと良くない。
どうしたものか。
うーむ。
「フィッツ先輩」
「なっ、何かな!?」
やや大きな声で返事が返ってくる。
フィッツ先輩も、今の状況に気づいているらしい。
脱がなければいけないが、脱ぐわけにはいかない、そんな状況に。
ゆえに、警戒を露わにしているのだ。
これはいかん。
俺が空気を読むとしよう。
「昔、知り合いの少女から、長耳族は別の種族に肌を見られる事を禁忌とする、という話を聞き及んでいます。
僕は後ろを向いて目を瞑りますので、その間に魔術を使って服を乾かしてください」
「えっ!?」
フィッツ先輩の驚いた声。
そうだろう。そんな禁忌の話など聞いたこともない。
もしそんな禁忌があるとするなら、エリナリーゼはまさに禁忌そのものだ。歩く禁忌だ。
しかし、俺がそうして間違った知識を持っていると知れば、フィッツ先輩も好都合と考えるはずだ。
俺はゆっくりと後ろを向いて、目を閉じた。
そして耳をすませた。
せいぜい、フィッツ先輩が背後でストリップをしていることを想像しつつ、音だけ楽しませてもらおうと。
「…………」
「……」
しかし、一向に、音はしない。
濡れているとはいえ、衣類を脱ぐのに、そして無詠唱魔術を用いて乾かすのに、多少の音はするはずだ。
おかしい。
もしかすると、フィッツ先輩は音をさせずに着替えることができるのだろうか。
そういえば、小学校時代、服の上から水着に着替えていた女子がいた。器用なものだった。
俺の小学校時代には、更衣室というものがなかったのだ。
男女共に教室で着替えていた。
思えば素晴らしい時代だった。
インターネットが普及した後、当時の着替えの方法をネットで見つけて、なるほどと思ったものだ。
そうした特殊な着替えの方法には興味がある。
学術的な興味だ。
そう、これは学術だ。
知的好奇心だよ。
決してエロい目的じゃあ、ないんだ。
もしフィッツ先輩が服を脱いでいなかったら、凍えてしまうからな。
そう思って、そぉ~っと後ろを振り返った。
フィッツ先輩とバッチリ目があった。
サングラス越しなのに、なぜか目があうのがわかる。
俺は目を逸らさなかった。
フィッツ先輩が、真っ青な顔をしていたからだ。
「フィッツ先輩!」
彼女は、真っ青な顔で両肩を抱いて、震えていた。
外目からでも、フィッツ先輩の体温は完全に奪われているのがわかった。
北方大地の冬の森の気温は、恐らく氷点下を下回る。
そんな中を歩いてきたのだ、体温はすぐに失われてしまう。
現に、俺だって寒いのだ。
洞窟内はいくらか温度を上げつつあるが、
濡れた服を着たままでは、冷水に浸かっているようなものだ。
風邪どころではすまない。
「せめて着替えてください。
なんでしたら個室でも作りましょうか?
いや、俺が、俺が洞窟から出て行く、そうしましょう。それがいい」
「待ってよ」
洞窟の外に出ようとした俺を、フィッツ先輩は引き止めた。
彼女は震えながら、俺を見ていた。
そして、震えながら立つと、俺の方まで、ゆっくりと歩いてきた。
じっと、俺を見あげる。
「…………」
「……」
震えながら、じっと。
何かを言いたい事でもあるかのように。
なんだ。
フィッツ先輩は何が言いたいんだ。
いや、何がしたいんだ。
「か、風邪、引きますよ……?」
「うん。そ、そうだね」
震えた声で、答えを返す。
俺は混乱していた。
フィッツ先輩の考えが読めなかった。
「服、脱がないと、危ないですよ。
体温が下がると、人は死ぬんですから……」
「うん……死んじゃうね、このままだと……」
フィッツ先輩は、そう言いつつも、決して服を脱ごうとしない。
ああいや、目の前で脱がれても困るんだ。
俺は知らない、フィッツ先輩は男だ。
決して女なんかじゃない、そういうことになってる。
俺は目を閉じていなければ。
「自分じゃ脱げないんだ。脱がせてよ」
…………。
………。
……。
何を言ってるんだコイツは。
「……自分で脱げないんなら、僕が脱がせるしかありませんね」
……何を言ってるんだ俺は。
ああ、いかん。
手が勝手にフィッツ先輩の方に伸びていく。
まず、肩に触れた。
冷たい。
そして、細い。
間違いなく、女の肩であった。
細く、折れてしまいそうな肩だった。
そして俺は男だ。
男と女。
みだりに肌を見せるべきではないというのは、この世界でも同様の常識である。
「じ、実はですね、僕はフィッツ先輩が女だと知ってるんですよ」
「うん。でも、脱がせてくれないと、ボク、死んじゃうかもしれないね」
「お、おう」
どういうことだ。
考えが読めない。
フィッツ先輩は何を企んでいるんだ。
もしかして、美人局か。
脱がせたら、どこからか怖い人がやってきて、貴様はアスラ王国の極秘事項を知ったと淡々と伝え、実験室のようなところにつれていかれて解剖とかされるのだろうか。
今まさに、フィッツ先輩を解剖しようとしている俺が言うことじゃないが。
手が勝手に動いて、フィッツ先輩の上着を脱がせた。
分厚い生地で作られた前あわせの上着を脱がすと、濡れそぼった白いシャツが現れた。
白いシャツである。
白という布地は、多少分厚くとも、透ける。
俺の視界にフィッツ先輩の下着が入ってくる。
胸を包むのはブラジャーではない。
肩まではなく、胸の上から臍ぐらいまで覆うような下着だ。
なんだったっけか、名前は思い出せない。
意外と大人だ。
包まれた貧しくも清らかなものは、さほど大人ではないが。
しかし、こうして、水に濡れて張り付いているのを見ると、確かにあるのだ。
男が求めてやまない二つの胸部緩衝材が。
「フィッツ先輩……」
「どうしたの、ルディ」
ルディと、そんな懐かしい愛称で呼ばれ。
俺の中で、何かが呼び起こされようとしていた。
この状況は、どこかで、どこかで味わったことがある。
「し、失礼します」
「うん」
フィッツ先輩の顔は真っ赤だった。
耳まで真っ赤だ。
この赤く染まる耳も、どこかで見たことはなかったか。
白いシャツを脱がすと、真っ白な肌が現れた。
細くて折れてしまいそうな肩。
筋肉も脂肪も足りなくて、どこまでも細い首筋。
そんなものを間近に見て、手で触れて。
最近情けない我が剣も、儀典において捧げられる騎士剣のように、上へと向いていた。
フィッツ先輩には、何かがある。
俺を奮い立たせる何かがある。
何かわからない。
ただ、今すぐ押し倒してしまいたくなるような興奮がある。
「はぁ……はぁ……」
俺はその興奮に押されるように、フィッツ先輩のベルトに手を掛けた。
カチャカチャと音を立ててベルトをゆるめ、ズボンの裾に手を掛けて。
ふと、何かを思い出した。
そういえば、昔、こんなことがあった。
五歳か、六歳の頃だったか。
こんなことがあった。
ずり下げたズボンの下からは、純白のパンツが現れた。
あのときとは違い、パンツと一緒に下げたわけではない。
しかし、水で濡れた下着は、やはりその下のものを透けさせていた。
もしかして、不毛地帯なのではないだろうか。
「……ごくっ」
フィッツ先輩は、無言でズボンから足を引き抜き、俺の前に座り込んだ。
いわゆる、女の子すわりという奴で。
俺はその真正面に正座した。
洞窟の床はゴツゴツとしていて、脛が痛い。
「ルディ」
フィッツ先輩の視線が、やや下のほうへと送られているのがわかる。
先ほど設営されたばかりのテントである。
やはりフィッツ先輩の体は、俺のテント設営に多大なる貢献をしてくれる。
「まだ、一つ残ってるよ」
一つという言葉。
俺はそれが、パンツではないとわかっていた。
ここまでくれば、わかっていた。
サングラスに手を掛けた。
「……」
取り去る。
すると、そこには、やはり。
見覚えのある顔があった。
かつて、成長したら美少年になるだろうと思っていた顔があった。
この顔と一緒にいれば、俺もおこぼれに預かれるだろうと、そう思っていた綺麗な顔が。
そして、その顔は、当時想像していたよりも、ずっと可憐だった。
幼さの残るものの、可憐としかいいようのない顔だった。
凛とした目に、高い鼻、薄い唇。
長耳族の遺伝子の力か。
エリナリーゼにも似ているが、しかし、ハーフやクォーター特有の、親しみやすさがあった。
「あの、フィッツ先輩」
「なに、ルディ」
そうして、顔を真っ赤にしながら首をかしげて聞くしぐさは、以前のまま。
どうして、俺は今の今まで、気づかなかったのだろうか。
髪、そうだ。
髪の色が違うのだ。
彼女の髪の色は緑だったはず。
今は真っ白だ。
いや、髪の色なんていくらでも変えられる。
脱色なんてそう難しいことじゃないのだ。
「もしかして、フィッツ先輩の本名は、シルフィエットというのではないでしょうか」
「…………うん」
フィッツ先輩は、いや、シルフィは。
はにかんで、笑って、頷いた。
「うん……うん……」
その笑顔が、みるみるうちに、泣き顔へと変わっていった。
それが完全な泣き顔へと変わる前に、彼女は俺に抱きついてきた。
「やっと、言えた……」
ポツリとそう言うシルフィの肌は、冷たかった。
---
しばらく時間が経った。
俺は戸惑いを隠せなかったが、しかし全てに得心がいった気分にもなっていた。
「うっ……ぐすっ……」
シルフィは、抱きつきながら、ぐすぐすと泣いていた。
あの時と似ていた。
彼女は相変わらず泣き虫だ。
そして、相変わらず柔らかい。
細くて、脂肪なんてぜんぜんないように見えるのに、抱きしめると、柔らかい。
これはもしかすると柔軟剤を使っているのかもしれん。
「ぼ、ボク、ずっと、ずっと待ってたんだよ。ブエナ村で、ずっと、頑張ってたんだよ」
俺が家庭教師に行ってからの、シルフィの頑張りようはパウロから聞いている。
俺は黙って、彼女の頭をなでた。
すると、シルフィは、さらにギュっと俺に抱きついてくる。
そして、顔を上げる。
涙と鼻水でベタベタになった顔だ。
俺はそれを見て、何を言えばいいのかわからない。
「……」
ただ、シルフィは違った。
彼女は俺の目を見て、口を開いた。
「昔から、ずっと、好きでした……」
俺はポカンとした顔になったのを自覚した。
「ルディが好きでした。今はもっと好きです。
もう離れないでください。ずっと一緒にいたいです」
頭の中が真っ白になった。
シルフィに好きと言われて、驚いている自分がいた。
シルフィは昔から俺にべったりだった。
俺がそういう風に仕向けたとも言える。
しかし、今は違う。
少なくともこの一年間。
俺はフィッツ先輩を見てきた。
尊敬できる人物として、見てきた。
少なくとも、フィッツ先輩は誰にも依存せずに立っていた。
あるいは、まだ俺が植えつけた依存性は残っているのかもしれない。
しかし、少なくとも、俺は、フィッツ先輩を頼りにしていた。
知識があり、俺のためにアレコレと考えてくれる人を頼りにしていた。
『無言のフィッツ』となれば、アリエル王女の信頼の厚い人物である。
俺は今。
そんな相手に告白された。
胸が熱くなった。
混乱の極地にあり、シルフィ=フィッツ先輩という事も落ち着いてはいないが。
踊りだしたくなるほど嬉しい気持ちでいっぱいになった。
その瞬間、ふとエリスの事を思い出した。
そういえば、彼女には好きだといっただろうか。
家族になろうとは言った。
しかし、それは彼女から言い出したことだった。
俺のほうから、彼女に何か言っただろうか。
俺は、フィッツ先輩の事を、いやシルフィの事をどう思っているのか。
そこをもっと考えなければいけない。
しかしここで言わなければ。
またいなくなってしまうかもしれない。
「俺も、好きです」
と。
俺はシルフィの肩をつかんで、引き離した。
抵抗されたが、弱弱しいものだった。
シルフィは涙と鼻水で、ひどい顔になっている。
俺はその頭をそっと撫でて、顔を寄せた。
「ん……」
シルフィの唇は柔らかかった。
鼻水でちょっとねちょっとしていたけど、それは関係ないことだった。
キスを終えると、シルフィは泣き止んでいた。
赤い顔で、ぽーっとした表情で俺を見ていた。
「……」
俺は言葉を失っていた。
すでに言葉はいらなかった。
愛を言葉にして確かめ合ったのなら。
次はアレだ。
我ながら現金な事だとは思うが、二年間で押さえつけられていたモノは爆発寸前だった。
シルフィも抵抗しなかった。
俺が用意した野営用の毛布の下に、なすがままコロンと横になった。
もしかすると、最初から彼女はそのつもりだったのだろうか。
この依頼も、誰もいないところで自分の正体を明かすために。
いや、無粋な考えはやめよう。
今はとにかく、以前のような失敗をしないようにしなければならない。
「……シルフィ、初めてだよね?」
「え? あ、うん。はい。初めてです……ダメ、かな?」
「ダメじゃないです」
むしろいいです。
が、しかし。
しかしだ、ここで失敗すれば、以前のような事になってしまうかもしれない。
エリスのような事は、もうゴメンだ。
ここは、失敗できない。
失敗できないのだ。
俺は慎重に、慎重にシルフィに手を伸ばした。
「…………」
「……あの、ルディ?」
気づけば、テントは倒れていた。
---
一時間ぐらい経った。
雨はやんでいた。
長い間抱き合っていたせいか、体は温まっていた。
服ももうすぐ完全に乾きそうだったが、俺は泣きそうだった。
肝心な時に役に立たなかった自分にショックを受けていた。
このショックは、いつ何時味わってもきついものだった。
今回のは、娼館で買った女や、行きずりの冒険者ではない。
特にきついものがあった。
シルフィもショックを受けているらしい。
それでも、シルフィのほうがショックは少なかったらしい。
ちょっとおどけたようすで、苦笑いしつつ、自分の体を卑下していた。
「ルディのせいじゃないよ。ボクは、ほら、胸も小さいし、魅力ないし……」
「いえ、シルフィの体は魅力的です。
申し訳ありません。三年前からこうなんです」
「る、ルディ……」
俺は、自分のことを話した。
全てを話した。
三年前に初体験を迎えて、そこから、役に立たなくなったこと。
そして、それを治す方法を探すために、魔法大学にきたこと。
結局見つからず、今日を迎えた事。
「シルフィには、恥を掻かせてしまいました。申し訳ありません」
土下座した。
シルフィの体に問題があるわけではない。
むしろ大興奮だ。
確かに胸は小さいが、すらっとした手足に、細い腰。
バランスが悪いわけじゃない。
少女というイメージをそのまま抜き出したような体は、俺のストライクゾーンど真ん中である。
そもそも、この三年間で、俺を立たせたのはシルフィだけなのだ。
その彼女に、不満などあるはずもない。
ただ、俺が臆病なだけなのだ。
「る、ルディ、そんなこと言わないでよ。恥なんかじゃないから、元に戻ってよ」
シルフィが情けない声を出していた。
俺は俺で情けない気分になってくる。
「僕も元に戻りたいのは山々ですが、しかし、こればかりはどうにもならず」
「そうじゃなくて、口調、敬語はやめてよ」
シルフィが、またポロリと涙を流した。
俺は慌てて、その涙をぬぐった。
「ごめん。ちょっと気が動転して」
申し訳なさでいっぱいである。
どうにも、ここ最近、敬語ばかり使っていた。
だからか、流れで使ってしまう。
「……でも、今まで敬語だったんだし、別にいいだろ?」
「いいけど……ルディの敬語って、なんか聞いてると距離感を感じるんだよ」
そうなのか。
初耳だ。
もしかすると、エリスやルイジェルドも、そんな風に感じていたのだろうか。
あるいは、ザノバも……そういえば、あいつにはあんまり敬語つかってないな。
「これからは、敬語禁止だよ」
「はい」
「また敬語」
「それぐらいは、いいだろ?」
「ふふ……そうだね」
そんな会話で、なんとなく、雰囲気はよくなった。
しかし、敬語をやめるなんて久しぶりだな。
思えば、この世界にきてから、ずっと敬語で話していた気がする。
それから、俺たちはどちらがしゃべるということもなく、二人で寄り添ってすわっていた。
焚き火のパチパチと燃える音を聞きながら。
互いに下着姿で。
ちょっと首をめぐらせれば、シルフィの鎖骨が見下ろせる。
ややダボついた彼女の下着は上から見ると、桜色の綺麗な何かがチラチラと見える。
そんな位置で。
そんな中、ふと、俺は口を開いた。
聞くべきことがあった。
「そういえば、シルフィはどうして男装……いや、転移の後に何があったんだ?」
アリエル王女の護衛をしている理由。
髪を白く染めている理由。
正体を隠していた理由。
聞いてもいいのかわからなかったが。
尋ねてはおくべきだろう。
「うん、えっと、何から話そうかな……」
シルフィは、ポツポツと、話し始めた。
ブエナ村での修行から始まって。
ゼニスやリーリャから、俺の居場所を聞き出そうとして、逆に治癒魔術や礼儀作法を仕込まれたこと。
俺のためにペンダントを作ったこと。
「てことは、このペンダントはシルフィのお手製だったのか」
「そのペンダント、どうして持ってるの?」
ペンダントは服の中に隠していた。
エリナリーゼとお揃いだとからかわれるのも嫌だったからな。
服を脱いだ今は露わになっている。
「リーリャが持ってたんだ。でも、シルフィの事は一言も言わなかったな」
「きっと、ボクが死んでるかもしれないと思って、黙ってたんだよ」
「なるほど」
リーリャなりに気を使ったのかもしれない。
死人の遺品と聞いて、良いか悪いかは、判断が分かれるところだろうが。
「えっと、続き話していいかな?」
「ごめんごめん、どうぞ」
転移が起きた後の事は、まさに波乱万丈としか言いようがなかった。
上空に放り出されて、落ちて、魔物がいて。
王女様を偶然にも救って、それで護衛となって。
いつの間にか髪も真っ白になっていて。
価値観の違いすぎる場所で胃が痛くなるような生活を送って。
政権争いで暗殺者に狙われて、王都を追われて。
旅慣れない者たちだけで旅をして、時には騙され、窮地に陥って。
そして、魔法大学で再起を図っている途中。
俺が現れた。
「変装してたから仕方がなかったとはいえ、『はじめまして』って言われてショックだったんだからね」
「ごめん。でも、シルフィだって、もっと早めに言ってくれれば、俺だってわかったさ」
「あ……そ、そうだよね……ご、ごめん、ボクが、言わないのが、悪かったんだよね……ごめん、なさい……」
シルフィは大粒の涙をボロボロとこぼした。
この一件に関しては、彼女もいろいろ思い悩んでいたのだろう。
決して悪意があって言わなかったわけではないのは、今の話で俺にもわかった。
責めるつもりはない。
「俺の方こそ、一年も気付けなくて、申し訳なかった」
まあ、話を聞く限り、正体は隠していたようだし、
シルフィは俺が彼女を完全に忘れていると思っていたそうだ。
俺が忘れているとなれば、単に正体を言いふらされる結果になったかもしれない。
俺は元々ボレアスの人間だし、敵である可能性もあった。
言わないのが正解だろう。
そして、俺はこの一年で、シルフィを探すような素振りは見せなかったと思う。
自分を心配すらしていなかったと思われては、言い出せないのも仕方あるまい。
そう、仕方なかったんだ。
いろんな状況が邪魔をした。
結局はこうして、正体も明かしたんだし、いいと思うがな。
俺は彼女の肩を抱いた。
シルフィは俺の肩に頭を預けてきた。
肩が冷たい、もっと密着して暖めなければ。
「それで、ボク、勇気出せなくて、でも、心のどこかで、今のこの関係のままでもいいかなって思ったんだ」
「まあ、悪くない関係でしたからね」
最近になって、焦りが出てきたのだそうだ。
俺の周囲に美少女が集まりだして。
どうにかしないと、取られると思ったのだそうだ。
俺はEDな状態だったので、その心配はなかったが。
いや、例えばナナホシあたりが治療薬とか出したら、彼女に感謝し、最終的にはなびいていたかもしれないが。
そして、シルフィはあれこれと作戦を行った。
この間泊まりにきたのも、その一環だったらしい。
俺が鈍感すぎて失敗に終わったらしいが。
「ルディは本当に鈍感だよね」
「返す言葉もございませぬ」
昔は、鈍感系になろうと心に誓ったもんだが。
もう鈍感系主人公を笑えない。
意外と、他の事情があれこれと混じると、向けられている好意には気づかないものだ。
性欲がもう少し絡んでいればわかろうもんだが……。
案外、鈍感系主人公の諸兄らもEDなのかもしれん。
「で、俺は今回、見事にその作戦に引っかかったというわけか」
「ご、ごめんね、なんか騙すみたいな形になっちゃって」
「いや、俺はこれぐらいやらないとダメだっただろ」
あのままだと、ずっとフィッツ先輩を男だということにし続けていただろう。
そもそも、シルフィの事だって思い出していたか怪しい。
「そういえば、この事を、アリエル王女は?」
「知ってるよ。むしろ、アリエル様が作戦を考えてくれたんだ」
「そうですか」
俺の心配も杞憂だったか。
シルフィの独断だったなら、やはり知らない事にしておいた方がいいかと思ったが。
とはいえ、やはり『フィッツ』は『フィッツ』で存在していた方がいいのだろう。
「でも、アリエル様、かなり悩んでたよ。
ルーデウス・グレイラットの目的がしれません。奴は何を考えているのでしょうか、って。
まさか、その、あれの治療のために来ていたとは思ってなかったみたいだけど」
そういう噂はあるが、信じなかったそうだ。
事実は小説より奇なり。
「しかし、となれば俺も、アリエル王女の傘下に入ったほうがいいのかな?」
政権争いなんてものは極力かかわりたくないが。
しかし、シルフィに力を貸してくれといわれれば、微力ながら力を貸そう。
「ボクとしては力を貸してほしいと思うけど、
ルディ、アスラ王国には関わりあいになりたくないんでしょ?
だったら、無理はしなくてもいいよ」
シルフィはそういって、はにかみ笑いをした。
サングラスをつけていないと、可愛さが百倍増しである。
となれば、俺の股間もヒートアップだ。
たまらなくなって、彼女の耳をなめた。
「ひゃあ!?」
「あ、失礼」
彼女が驚きの声をあげると、すぐに股間はクールダウンした。
どうにも、コントロールできない。
しかし、やはり反応があると安心するな。
順調に回復していると言えよう。
シルフィのおかげだ。
「ありがとう、シルフィ」
「え? 何が……?」
シルフィは、首をかしげていた。
最後までは出来なかったが、今はこれでいい。
そう思えた。