第八十八話「森の雨・前編」
夕方。
生徒会室にて、アリエルは静かに作戦を考えていた。
多少の荒療治が必要とは思い、実際に寮を破壊までして偽装工作したというのに、失敗に終わるとは。
シルフィは神妙な顔で、アリエルの言葉を待っている。
「夜這いはしなかったのか?」
「できるわけないだろっ!」
ルークの言葉に、シルフィが怒鳴り返す。
かなり迷った挙句、最後にヘタれたのは内緒である。
怒鳴られたルークは、やれやれと肩をすくめた。
こうなることはわかっていた、とでも言わんばかりである。
「…………ルーク、どう思いますか?」
「どう?」
「ルーデウスの行動です」
アリエルは考える。
お膳立てはできていたはずである。
しかし、失敗した。
「偶然では、無いでしょうね」
「でしょうね」
こちらが偶然を装って発覚させようとしても、
必然を持って未然に防ごう、という意志が感じられた。
シルフィは鈍感だからだと言っていたが、そんな事はあるまい。
行動に意志が感じられる。
そもそも、あれほどの達人が、一晩中ベッドに上がったり降りたりしていて、起きない、声も掛けないなど、ありえない。
なぜ、何も言わなかったのか。
(やはり、私のせいでしょうか)
ルーデウスは、アリエルと敵対したくないと明言している。
理由はわからないが……。
もしかすると、彼の目には、アリエルが強大に映っているのかもしれない。
アリエルが、必要以上にルーデウスを警戒し、恐れていたように。
(私もルーデウス・グレイラットと敵対するつもりはありません。相思相愛ですね)
笑えない冗談を心の中で言って、アリエルはため息をつく。
「やはり、どうにかしてシルフィエットという人物の事を思い出してもらった方がいいですね」
「…………今更ですか? 向こうだって忘れているでしょう」
ルークの言葉に、アリエルも考える。
確かに、忘れている可能性は高いだろう。
シルフィとルーデウスが別れたのは八年前。
八年もあれば、人は人を忘れる事ができる。
少なくとも、この一年間で、シルフィはルーデウスの口から「シルフィ」という単語を聞いていないらしい。
となれば、シルフィエットという存在そのものを忘れている可能性が高い。
思い出させるには、どうするべきか。
アリエルは自分を例にして考えてみる。
自分とて、八年前につかえてくれていた侍女の名前を覚えているわけではない。
しかし、何人か覚えている者もいる。
例えば、リーリャ。
彼女は物心ついた頃にいなくなったが、目の前で自分のために戦ってくれた事はよく覚えている。
「シルフィ、何か彼との思い出はありませんか?」
「思い出?」
「そう、人は能力と思い出によって人を覚えます。だからこそ、貴族は事ある毎にパーティを開き、そこで人を紹介しあうのです。美辞麗句を重ね、難しいダンスを洗練された動きで踊り。少しでも印象に残るように……。貴族は多いので、ただ会っただけでは、すぐに忘れてしまいますからね」
シルフィの能力は記憶に残りやすい。
無詠唱魔術は、世界的に見ても行える人物は少ない。
シルフィやルーデウスぐらいの年齢で行える人物は、ほぼ皆無だろう。
しかし、それでもルーデウスは思い出さなかった。
なぜか。
これは、アリエル達のあずかり知らぬ事であるが、
一つは、彼が前世において、負け犬の人生を送ってきたからである。
自分ができるのだから、他の者でも簡単に辿り着けるだろうという意識があった。
一つは、ルイジェルド、キシリカ、オルステッド、バーディガーディといった存在のせいである。
こうした圧倒的強者との出会いは、この世界には自分より凄い人間がゴロゴロしているという認識を持たせる結果となった。
無詠唱の使い手ぐらいはそこそこいるだろう、と。
そして、アリエルの存在である。
そこらの一般人が無詠唱を使ったのならまだしも。
王女の護衛が無詠唱魔術を使う。
その事実が、彼の認識を誤らせた。
王女の護衛なら、それぐらいできるだろう、と。
「思い出……えっと、前にイジメられてたって話はしたよね」
「ええ、髪の色でイジメられていたと聞きました」
ちなみに。
シルフィは、自分の元の髪色が緑だとは告げていなかった。
緑であると知られれば、王女やルークからも奇怪な目で見られるかもしれない、そう思っていた。
信頼が無いわけではない。
ただ、彼女は怖かったのだ。
ゆえに、生まれた時から髪は白。
そう言い続けてきた。
一度ついた嘘は訂正しにくく、
幸いにして、白になった彼女の髪の色は、元の色に戻ることもなかった。
「その時に助けてもらったのがルディとの出会いで、ボクにとっては一番の思い出だよ」
「…………そうですね」
アリエルは考える。
シルフィを暴漢に襲わせ、それをルーデウスに助けさせる。
そんな作戦を。
一時期、ルークがよくやっていた手である。
ノウハウはある。
しかしながら問題がある。
シルフィは強い。
今はこんなザマであるが、いざ戦闘となれば判断は早く、的確である。
恐らく、そんじょそこらの暴漢であれば、瞬殺してしまうだろう。
ルーデウスも、『フィッツ』の強さに関しては、少なからず認めているはずだ。
そんなシルフィを追い詰められる手練れ。
いるだろうか。
……いる。
現在、荒事に強い冒険者クラン『サンダーボルト』がこの街に来ている。
いくらか金さえ積めば彼らを雇う事もできるだろう。
だが、彼らはルーデウスとは懇意という噂を聞いた。
『泥沼のルーデウス』と『
そこには、『竜道のエリナリーゼ』と、『クリフ・グリモル』もいたという話だ。
よって、クラン『サンダーボルト』に依頼するのは却下である。
また仮に、全然関係無さそうな冒険者に依頼したとしても。
おそらく、冒険者『泥沼のルーデウス』の顔は、恐らくアリエルが思っている以上に広い。
無関係な冒険者を選んだつもりでも、なんらかの経路で繋がりがある可能性がある。
となると、考えるまでもなく、話がややこしくなる。
もしかすると、人死も出るかもしれない。
アリエルも、こんな事で人死を出す気は無い。
冒険者ですらない、そこらのゴロツキに襲わせるのも一つの手である。
だがあまり弱い相手であると、それこそルーデウスがシルフィに対して失望する可能性もある。
それが「俺が守ってやる」という感情につながればいいが、頼りになる先輩として売ってきたシルフィである。
逆効果となる可能性が高い。
シルフィの株を落とすような事は極力避ける。
そういう方針で行く。
なら、暴漢に襲わせる案は却下だろう。
「他に、思い出はありませんか?」
「えぇと……もう一つあるよ」
シルフィは思い出しつつ、顔を赤くする。
「最初、ルディはボクの事を男だと思ってたんだけど、
魔術の練習をしてたら雨が降ってきてね。
ルディのお家でお風呂に入る事になったんだけど、
ルディが、その、無理やり脱がそうとして……」
そこまで言いかけて、シルフィはルークの方を見た。
ルークはその視線を受けて、黙って両手で耳を塞いだ。
彼は空気の読める男であった。
「そ、その、パンツを、引きずり降ろされて……。
そ、それで、その、見られちゃって、やっと、女の子だって、わかってもらえて」
それから、ルーデウスがしばらく落ち込んでいたと、シルフィは話す。
ちなみに、その後の話は、アリエルも以前聞いていた。
ゆえに、アリエルはなるほどと頷く。
ルーデウスが『フィッツ』の正体を暴かないのは、そうした過去があるからだろう。
シルフィの事は覚えていなくとも、
無理やり正体を暴けばロクな事がないと無意識下で思っている部分もあるのだろう。
同時に、これしかない、と考えた。
同じシチュエーションを作り出し、彼自身の手でシルフィを脱がすのだ。
「わかりました。では、それで行きましょう」
鶴の一声である。
「ルーク、耳から手をどけなさい。これから作戦を話します」
しかし、アリエルはそこで、ふと思い出した。
シルフィのヘタレ加減である。
これをどうにかしなければ、同じ結果に終わるだろう。
「その前に、一つ確認しておきます」
「は、はい」
「シルフィ、あなたはルーデウスと、どうなりたいのですか?」
聞かれ、シルフィは考える。
ルディとどうなりたいのか。
自分はどうしたいのか。
一緒になりたいと思う。
彼に好意を持っている。
ずっと好きだった。
具体的な妄想はずっとしてきた。
例えばそう。
ルディと結婚した後の生活の事。
想像に出てくる家は、ブエナ村でルディが住んでいた家だ。
あれぐらいの家に住んでいる。
ベッドは一緒。
朝起きると、ルディが隣に寝ている。
ルディはおはようと言ってキスをしてくれる。
ルディはすぐに着替えて、朝のトレーニングに行ってしまう。
階下に行って食事を作る。
朝食を作るのは妻の仕事だ。
朝食はそんなに豪勢じゃなくていい。
けれど、ルディはしっかり食べる人だから、量は多めにつくる。
朝食ができる頃、ルディが戻ってくる。
そして、ご飯を食べて、今日も美味しい……とは言わないかもしれない。
ただ、ルディは黙々と食べる、シルフィはそれをにこにこと見守る。
おかわりの声に、シルフィがよそってあげる。
朝食が終わったらルディはお仕事。
お弁当を持たせてあげて、見送る。
シルフィもまた、アリエル王女の所にいく。
ルディの両親のような共働きだ。
ルーデウスの仕事が何かは想定していないが、妄想ではそんなものは誤差の範囲である。
シルフィが仕事を終えて戻ってくると、玄関でルディと鉢合わせる。
ルディはシルフィを見つけると、苦笑しながら肩に積もった雪を払い、抱き寄せてくれる。
二人で家の中に入り、暖炉に火を付ける。
お湯の準備は、すぐに済むだろう。
身を清め、体を暖めたら食事の準備だ。
準備の間、ルディは暖炉の前で、人形でも作っているだろうか。
食事を一緒に取る。
朝食と違って、ルディは饒舌だ。
今日は仕事場で何があった、こんな事があった。
その全てがシルフィの想像も付かないような凄い出来事で、シルフィはくすくすと笑いながら、素直に凄いねと言う。
食事が終わったら、暖炉の前のソファでゆったりと過ごす。
シルフィはルディにぴったりと寄り添い、ルディの手は肩に回っている。
何かを喋る日もあるし、何も喋らない日もある。
ただ、しばらくして視線が絡み合い。
顔が近づいていく。
そして重なるシルエット。
ルディはシルフィを抱え上げると、暖炉の火を消して寝室へと入っていく。
(ルディはたまに下品になるから「子供の数は何人がいい?」なんて聞いてくるかもしれない。そしたらボクも下品になって「ルディったら、ボクに何人産ませたいの?」なんて聞き返して。ルディはくすりと笑って「たくさんかな」なんて言ってボクの衣服を脱がせて……。そしたらボクもくすって笑って「じゃあ、たくさんしてね」……なんて言っちゃって!)
「……なんて言っちゃって!」
「コホン」
「ハッ!」
アリエルの一言で、妄想は打ち切られた。
シルフィは真っ赤になった耳をいじくりながら、顔を伏せた。
アリエルはその様子を見て、静かに言った。
「その妄想……自分を他の女に置き換えてみてください」
妄想でルーデウスの妻役となっているのがナナホシになった。
シルフィは、隣の家の窓から、二人の情事を覗き見る役に。
ルディとナナホシはシルフィの視線に気づくと、フッと笑ってカーテンを閉めた。
「嫌でしょう?」
「い、いやです!」
「よろしい」
アリエルは重々しく頷き、言った。
「シルフィ、この作戦は、あなたの努力次第です」
「は、はい!」
アリエルは、これではまだ足りないかな、と考える。
そして、発破を掛ける。
「昨晩のようなヘタレた失敗は許しません。
もし同じ事を繰り返すというのであれば、私たちは二度と手伝いません。
いえ、それでは足りませんね。
アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラの名において、
以後、ルーデウス・グレイラットとの一切の接触を禁止します」
もちろん、方便である。
だがその言葉に、シルフィはごくりとつばを飲み込んだ。
アリエルはそれを確認し、一言、追加した。
「本気になりなさい」
「は、はい」
「よろしい」
アリエルは再度、重々しく頷いた。
そうして、彼女は作戦の概要を告げた。
--- シルフィ視点 ---
作戦は決行される。
時刻は昼休み。
食事の時間。
食堂の1階。
そこは冒険者上がりの生徒だとか、魔族の生徒でごった返していた。
貴族の人達は彼らを馬鹿にしている。
大抵は偏見だ。
偏見を、アリエル様はくだらないと言う。
400年前、その馬鹿にしている相手に追い詰められたのは一体どこの何族なのだ、と。
ルディを偏見の目で見ていたアリエル様が言っても、説得力はないけどね。
ルディは一階の一番奥のテーブルにいた。
そこで数人の相手と談笑している。
ルディ、ザノバ君、バーディ様。
端っこにはジュリちゃんもいて、コップを小さな手で包むように持ちながら三人をチラチラと見ている。
「つまりバーディ様のおっしゃる人形に必要な条件とは、いかなるものなのですか?」
「本物より可愛く、そして何より、見る者全てを魅了するエロスが必要であるな!」
「エロス! さすがバーディ様はご慧眼です。ささっ、もう一杯」
バーディ様は肌を赤黒い色に染めて、気持ちよさそうにお酒を飲んでいた。
ルディとザノバ君がニヤニヤと笑いながら、杯にお酒を継いでいる。
おかしい、この食堂にお酒は無いはずなのに。
購買まで行かないと売ってないはずなのに。
「時にバーディ様、もし僕がキシリカ様の人形を作るとしたら、どうなさいますか?
それはもう、とてもエロい奴です」
「我輩のフィアンセをか? しかし、貴様は完全体となったキシリカを知らなかろう」
「だからこそです。完全体になれば元には戻れないでしょう?
だからこそ、今の愛らしい姿を残して置かなければ」
「一理あるな。しかし奴は迂闊ゆえ、時にあっさり死ぬからな。今の姿は残さずとも良かろう」
「色んな年齢のキシリカ様を並べておけば、魔王城も華やかになるでしょう」
「貴様は人族、色んな年齢のキシリカを見る事は不可能であろう」
「そう、そこです。いろんな年齢のキシリカ様を同時に見るには、僕の人形製作技術を後世に伝える必要がある、そのためには、バーディ様の協力が、ですね、ゲヘヘ」
「フハハハハ!
貴様、それだけの力を持ちながら商人のような強請り方をするとは面白い!
その姿勢、買ってやろうではないか!
よかろう、よかろう、望みを言うがよい、金か、人か?」
「いえいえ、ただ、いざという時に後ろ盾になっていただければ……」
ルディがニチャっとした笑みで笑っている。
すごく悪い顔だ。
ルディは昔からあんまり笑わないけど、笑うとああいう顔になる。
昔から変わらない。
王宮にも、ああいう顔で笑う人がいた。
たしか、ダリウス上級大臣だ。
ボクらを追い詰めた、張本人だ。
許せない相手だ。
でも、ルディがそういう笑い方をするせいか、ボクは笑顔自体は大丈夫だった。
賢い人特有のものだと思っている。
ルディとザノバ君が土魔術を使った像を作るのに凝っている、というのは聞いている。
その良さというのはボクにはよくわからないけど、
極めて高度な事をやっているのはわかる。
製作途中の赤竜の像を見せてもらった時は、素直に凄いと思ったものだ。
炭鉱族を英才教育して、はては魔王様まで巻き込むらしい。
本格的な取り組みだ。
同じ無詠唱魔術の使い手としてボクも仲間に入れてもらいたいとは思うけど、アリエル様の護衛もあるし、無理な話だ。
「ルーデウス君」
「あ、フィッツ先輩」
ボクが声をかけると、ルディは嬉しそうな顔をしてくれた。
最近、ボクは変な行動ばっかり取っているのに、警戒してはいないらしい。
やっぱりルディは鈍感だ。
でも、警戒されていないのは信頼の証だよね。
嬉しい。
「どうしました?」
「えっと」
ザノバ君と魔王様の視線がボクに刺さってくる。
うーん……。
「ここじゃちょっと、場所を変えよう」
「わかりました。ではザノバ。話を進めておいてください」
「ハッ、後の細かい部分は余におまかせを」
ルディとザノバ君は仲がいいな。
羨ましい。
昔はボクがあのポジションだったんだけどなぁ。
羨ましい……。
そう思いつつ、ルディを食堂の外へと連れ出す。
人気のない所に移動して、本題を切り出した。
「で、なんですか?」
ルディの顔が真面目になっている。
キリッとした顔だ。
……やっぱりカッコイイなあ。
「えっと、実はね、折り入って頼みがあるんだ」
「わかりました。大船に乗ったつもりで任せてください」
ボクが何かを言う前に、ルディは胸をドンと叩いて請け負ってくれた。
「ちょっとまってよ、まだ内容を言ってないよ」
「よほどの事でなければ断ったりしません」
頼もしいなぁ……。
こんなルディを騙すのは気が引ける。
ただでさえ、正体を言い出せなくて心苦しいのに……。
「実はね、アリエル様、この間知り合いの貴族の所に泊まったって言ってたでしょ。
その人が雇ってる用心棒が、すっごく強い人だったらしくてね」
「そいつをぶちのめすんですか?」
「ち、違うよ!」
「そうですか。それはよかった。僕は争い事は苦手なもので」
争い事は苦手って、よく言うよ……。
もしかして今の、ルディなりの冗談だったのかな。
笑った方が良かったかな?
いやいや、今はそんなことより続きを話そう。
「アリエル様、その人の事で自慢されて、悔しかったんだって。
うちの『フィッツ』の方が凄いって、言い返したんだって」
「ほう、それで」
「相手の貴族が、『うちの用心棒は四人パーティで雹の森の奥まで入って、そこにしか生えない花を取ってきた』って言ったんだけど……」
すると、ルディはふと考えたように顎に手をやった。
「雹の森の奥地に生える花というと、フリーズフリンジドですね。
花びらが強壮剤になりますが、冬の間にしか咲かない事で有名です」
おお、さすがルディだ。
よく知ってる。
きちんと実在するものを調べておいてよかった。
「冬季の雹の森は危険ですが、A級以上の冒険者が四人なら、さほど自慢するほどでもありません。慎重に進めば、さしたる苦労もなく、花を取って戻ってこれるでしょう」
そう言うと、ルディは雹の森に出没する魔物の名前をつらつらと上げていった。
スノウホーネット、ホワイトクーガー、マスタードトゥレント……。
よくスラスラ出てくるなぁ。
全部覚えているんだろうか。
「えっと、それでね、アリエル様も引っ込みがつかなくなって、
『フィッツならもっと少ない人数で取ってこれる』って言っちゃったんだ」
「なるほど、そういう事ですか」
ルディは得心がいったように頷くと。
「知り合いの冒険者に言って、格安で譲ってもらいましょう。
それを自力で取ってきたといえば、向こうも信じるはずです」
と、言った。
「ちょっ! ルーデウス君、それはよくないよ!
ボクの力を見せなきゃいけない場面なんだよ!?」
「力といっても色々あるでしょう。人と人との繋がりも力です。
コネクションパワーです。
僕は冒険者連中には顔がきき、フィッツ先輩は僕に顔がきく。
フィッツ先輩のコネが、人と人との繋がりが、力となるのです。
人を使って物を手に入れる。それもまた力を見せる事になります」
き、詭弁だ。
いきなり何を言い出すんだ。
「それじゃダメだよ。バレたらアリエル様が恥をかいちゃうし」
「そうですか。では、取りに行きますか」
あっさりと、ルディは言った。
森に入るっていうのに、全然気負っていないらしい。
さすがだ。
と、思った次の言葉で、ボクは凍りついた。
「予定の開いている知り合いを集めますので、3日ほど待ってください。
10人ぐらいいれば十分でしょう。
ちょうど今、『ステップトリーダー』の面々がこの街にいますので、すぐ集まります」
いや、待って。
それはおかしい。
「いや、ちょっとまってルーデウス君!
アリエル様は『もっと少ない人数で』と言ったんだよ!?
10人も集めてどうするのさ!」
「安心してください。そいつらは『偶然にも僕らと同時期に森に入るだけ』です。
中には魔物の討伐依頼を受けていたり、素材集めに奔走する奴もいて、
道中の魔物を軒並み狩ってしまうかもしれませんが。
花を取ってくる奴はいません、フィッツ先輩ただ一人です」
う、うう~ん。
これが冒険者の知恵なんだろうか。
いや、ルディは何年も冒険者をやっていたって言うし、森の怖さをよく知っているんだ。
そこに素人のボクが入ると思ってるから、ちょっと心配になっているんだ。
うん、そうに違いない。
「そ、そんな人達いなくても、ボクとルーデウス君がいれば、余裕でしょ?」
「…………もしかして、フィッツ先輩はあれですか。僕に護衛を頼みたいんですか?」
最初からそう言って……は、いなかったか。
「うん! そう、そうだよ。ルーデウス君だけが頼りなんだ」
そう言うと、ルディは「ふむ」と一言つぶやいてから顎に手を当て。
しばらく考え、頷いた。
「フィッツ先輩には色々とお世話になってきました。頼られては嫌とはいえません。その依頼、謹んで受けさせていただきます」
「あ、ありがとうルーデウス君! 一人で森に入るのは不安だったんだ!」
色々と危ない所はあったが、とりあえず第一関門突破である。
でも、ボクからちょっと話を聞いただけで、よくこうもポンポンと案が出てくるなぁ。
ルディはやっぱ凄いや。
---
作戦は第二段階へと進んだ。
ボクとルディは雹の森へと入る。
雹の森は魔法都市シャリーアから北に3日ほど移動した場所にある。
森の切れ目がそのままバシェラントとの国境にあたる。
普通の旅装しかしてないボクに対して、ルディは重装備だった。
大きな背嚢に、万が一の時の非常食やら何やらが詰まっているらしい。
ルディの事だから手ぶらで行って戻って来れるものだと思ってた。
そう言うと、「森を舐めてはいけません。岩砲弾を見てから回避する魔物もいますからね」と返ってきた。
そんな馬鹿なと思って詳しく聞いてみると、
魔大陸の森にはそういった魔物がゴロゴロしているらしい。
冗談かと思ったけど、ルディの目は真剣だった。
雹の森は出没するとしても、せいぜいB級の魔物だ。
それぐらいなら、ボクだって対処できる。
と、思うんだけど……。
「ごめんね。なんか用意を全部任せちゃったみたいで」
「いえいえ、護衛の依頼と考えれば、当然の事でしょう」
そういう風にとらえているって事は、依頼料とか取られたりするんだろうか。
「えっと、依頼料とか、そういうの、払った方がいいのかな?」
「まさか。これは僕が善意でやっている事ですので、気にしないでください」
ルディは「善意で」という部分をやけに強調していた。
「別に、ボクだってルーデウス君に依頼料を払う事ぐらいできるんだからね」
少ないながらもアリエル様から給料はもらっている。
使うことがないから貯めてるんだ。
ルディを一人雇うぐらいはできるはずだ。
あ、でもルディは王級以上の実力はあるから、た、足りるかな?
「ふっ、僕は高いですよ」
「た、高いって、そりゃあそうかもしれない、けど……」
ルディのその言葉で、ボクは金額ではなく、奴隷市場の事を思い出してしまった。
頭の中では、裸のルディがお立ち台に登っていた。
ルディを、お金で、買う……。
下腹の辺りがきゅうっと何かを訴えてくる。
恥ずかしさで顔が熱くなるのがわかった。
「と、とにかく、先を急ごう!」
「はい」
ボクたちは、雹の森へと入っていく。
雹の森は、一見すると普通の森と一緒である。
背の高い木々が雪に埋もれた、どこにでもある森だ。
この森は定期的に雹が降る。
魔力的な異常のある土地なのだ。
この一帯だけ、雪を踏みしめると、ジャリジャリした音がする。
「花は崖に咲いています。そこまで雪を溶かしながら直線で移動しますので、周囲を警戒しつつ付いてきてください」
雪を溶かしながら。
ルディはなんて事ないように言いつつズンズン進んでいく。
ボクもやってみようとしたけど、ダメだ。
自分の周囲だけって事は、火魔術を応用してるんだろうけど、道を作るレベルで持続させるというのは難しい。
出来ない事はないだろうけど、魔力を使いすぎる。
ルディは魔力の使い方が贅沢だ。
肩のあたりまである雪を溶かしながら道を行く。
溶かした時の水蒸気で魔物に見つかるかも、と思ったけど、水蒸気はルディが片っ端から消していった。
どうやっているのかと聞くと、温度を調節すれば、雪を溶かすだけで水蒸気を出さずに済むらしい。
どれぐらい練習すれば、そんな事ができるんだろうか。
(そんな事より、作戦開始だ)
ボクは深呼吸を一つした時、ルディが手に持っている杖を指さした。
「その杖、この間持たせてもらったけど、凄いよね。色付きの魔石なんて王宮でしか見たことないよ」
「10歳の誕生日に、家庭教師をしていたお嬢様が贈ってくれたんですよ」
ルディはそう言うと、少しさびしそうな顔をした。
そういえば、家庭教師をしていたというお嬢様の事はあんまり聞いた事がない。
ルディもあまり話したがらないようだ。
情報によると、確かものすごい乱暴者だったって話だけど……。
いやな思い出でもあるのだろうか。
「その杖、ちょっと持ってみてもいいかな。
ボク、初心者用の杖しか持ってないから、そういうのに憧れてたんだ」
「そうなんですか。王女さまの護衛なら、もっといい杖も持たせてもらえそうなものですが」
「無詠唱魔術なんだから、杖はいらないだろうって、ケチだよね」
もちろん、ボクはアリエル様がケチだなんて思っていない。
この杖は、ルディからもらったものだから、大事にしているんだ。
どこにでもあるような杖だから、ルディは気付かないけどさ。
「どうぞ、握ってみてください。どうですか、太さの方は」
ルディはニチャっと笑いながら、そんな事を聞いてくる。
なんだろう。
何か面白い事でもあるのかな。
疑問に思いつつも、ボクは杖を握り締める。
ボクの手は小さいからか、少しばかり持ちにくく感じてしまう。
「太いね、両手で持つ事を想定してたのかな」
「……僕が成長した後の事を想定していたのでしょう」
「ふうん」
ルディは笑いながら、雪を溶かして進み始めた。
ボクは杖を持ったまま、それに続く。
よし、とりあえず作戦成功だ。
次は、と。
僕は、小指につけた指輪を口の近くまで寄せる。
そして、小さな声でキーワードを言い放った。
「赤の塔」
すると、指輪の宝石の色が、青から赤へと変化する。
この指輪は、アリエル様がいつも身に着けている魔道具だ。
キーワードを口にすると、色が変わる。
同時に、遠方にある対となる指輪の色も変化する。
それだけの魔道具だ。
あんまり遠いと効果が出ないけどね。
今回、もう片方の指輪は、予め森の外で待機させている者達の手にある。
(大丈夫かな……)
ボクはチラチラと空を見上げつつ、時を待つ。
不安とは裏腹に、にわかに空が曇り始めた。
よし。
うまくいってる。
「ん」
すぐにルディが気付いた。
空を見上げ、ぽつりとつぶやく。
「……雨雲か。珍しい」
北方大地の冬は滅多に雨が振らない。
それがゆえか、この辺りで使われている防寒具は、雨に弱い。
ボクらの着ているスノウヘッジホッグの毛皮で作られた防寒具は、雪を溶かす事無く落とすことができる。
ゆえに、防寒具としては非常に優れているのだが、
水を浸透させやすいという欠点がある。
一度水が浸透してしまえば、冬の冷たい風が吹いただけで、ガチガチに凍りついてしまうのだ。
「フィッツ先輩、雨が降りそうです」
冬の間に雨が降りそうになった場合は、その場で屋根等を作って凌ぐか、もしくは洞窟等で雨宿りするのが望ましいとされている。
魔術で避難所を作るより、洞窟の方が比較的安全と言われている。
ルディも土魔術は得意とはいえ、雨が止むまで魔術を使い続けるのは面倒だと考えるだろう。
だからボクは提案する。
「そうだね、地図を見るとこの先に……」
洞窟があるから雨宿りしよう。
と、言いかけた時、ルディは首を振った。
「いえ、すぐに散らしますので」
そう言って、手を上げたのだ。
(ヤバイ!)
ボクはその瞬間、失策に気付いた。
ルディは水聖級魔術師だ。
天候の操作などお手の物だ。
アリエル様は上級水魔術師を二人雇ったと言っていたけど、
ルディに掛かればあっという間に雲を散らされてしまうだろう。
どうする、どうする。
ここで雨が振らなければ計画はパーだ。
ボクは自分の両手の中にある杖に魔力を込めた。
凄い力を感じる。
こ、これならいけるかも。
「んん?」
ルディが手を上げながら首をかしげた。
恐らく、思い通りに雲が散って行かないので、不思議に思っているんだろう。
当然だ、今、ボクがそれを邪魔しているんだから。
ルディが本気を出していないせいか、はたまた杖のお陰か。
ボクの天候操作はルディと拮抗している。
となれば、森の外にいる上級魔術師の分だけ有利だ。
祈るような気持ちで杖に魔力を込め続ける。
空に広がる雨雲を助長させるように。
ルディに教わったように。
水分を集めて、雲にして、それを冷やして、落とす!
「んむ……」
ルディが眉を潜めた。
次の瞬間、冷たい雨が降り始めた。
「……申し訳ありませんフィッツ先輩、今日はちょっと調子が悪いようです」
少しばかりショックを受けたような顔で、ルディが言った。
「い、いいんだよ。ボクが杖を返してなかったせいだよ、多分」
「杖なんてなくても、あれぐらいの雨雲なら散らせるはずなんですがね。
最近、あんまり使ってなかったから、鈍ったのか……それとも……?」
ルディは、自分の掌を見つつ、ブツブツとぼやいていた。
あの雨雲が意図的なものだって事には、気付いたらしい。
でも、それを散らそうとして、さらに妨害なんてされるとは思っていなかっただろう。
「まあ、降ってきたものはしょうがありません。
確か、この先に洞窟があったから、そこで雨宿りしましょう」
「そ、そうだね!」
ルディの言葉に大きく頷いて、ボクたちは移動を再開した。
スノウヘッジホッグの毛皮が水分を吸って、あっというまにボクらの体温を奪っていく。
計画通りに。
「あそこですね」
そして、ボクらはびしょ濡れになりながらも、洞窟にたどり着いた。
奥行きが10メートルほどしか無い、小さな洞窟に。
目的地に。