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第95話 隣国の動乱と二人の姫

 渓谷の洞窟は、水精霊の勢力が強い。だが、火竜であるバニングが存在することで火精霊の勢力が強まって、精霊魔法で炎を起こすことができる状態となる。


 これを『拮抗』といい、ある圏内で特定の精霊の力が強いと、相反する属性の精霊の力が弱まる。精霊魔法の使い手は常に意識していなければならないことだ。


 スフィアが『暖熱球(ヒーターボール)』の魔法を使い、火精霊の生み出す熱で暖を取る。それを維持しながら気を失ったクリューネに魔力を分け与え、明かりの魔法まで維持しているところを見て、イリーナは驚嘆を隠さなかった。


「スフィアさんは、様々な魔法を使われるのですね……それも、いくつも同時に。私は水の精霊魔法しか適性がなく、習得できないのですが」

「お父さんと、お母さんたちがいっぱい魔法を使えるので、私もたくさん使えます。まねっこが上手なんです」

「い、いえ、もはや真似っこというものではありません、完璧に使いこなされていますし。お父様とお母様は、高名な魔法使いであらせられるのですか?」

「えっと、お父さんは目立たないようにしていますけど、お母さんたちはとっても有名です」

「そうなのですね……そのような卓越した使い手でありながら、奥ゆかしいお方なのですね。スフィアさんのお父様は、さぞ立派な賢者様なのでしょう」


(ふふっ……お父さん、賢者様だって。だいたいあってるかな?)


(何か、変な想像を膨らませられてる気がするんだが……)


 ジュリアスと一緒にいる時は、敵国に侵入してきたということで態度も強硬だったが、敵対していないとこんなものか――それとも、またスフィアの人を惹きつける魅力が功を奏しているのか。


「あの、イリーナさんはどうしてクリューネさんから逃げていたんですか?」

「……それは……申し訳ありません、エルセイン魔王国としては機密になりますので、民間人のスフィアさんに明かすわけには……」


(スフィアはこの火竜の乗り手で、アルベインの代表として騎竜戦に出る。クリューネを倒したことからも、この子の実力はわかるだろう。今日はこの渓谷に下見に来た……そこでエルセインの騎士たちが争っていたとなれば、事情を聞かないわけにはいかない。どうしても言えないなら、本意じゃないが、王都まで来てもらうことになるぞ)


「っ……わ、私は……ジュリアス陛下の望まれた騎竜戦を妨げることになれば、死をもって償うほかはありません。どうしても内情を話せというなら、今ここで……」


 イリーナは腰に帯びていた護身用の短刀に手をかける。しかしスフィアはその手を包み込むように握り、刃を抜かせなかった。


「命を粗末にしちゃだめです。命は、大切なものなんです。イリーナさんのお父さんとお母さんが悲しむようなことは、絶対だめです」


(……スフィア)


 驚くくらいに、強い意志の込められた声。スフィアはじっとイリーナの顔を見つめてから、いつものようにふっと無邪気に笑った。


「……思い切って、話してください。私にはすごいお父さんと、お母さんたちがいるんです。どんな大変なことだって、きっと解決できちゃいますよ」

「……私より、年下の女の子なのに……スフィアさんのように強くなれたら、私はどれだけ……」

「泣いちゃだめですよ、女の子は好きな人の前で泣くものなんです」

「す、好きな人……そのようなことは、私はこの年になってもまだ考えたことすら……スフィアさんには、そういった方はいらっしゃるのですか?」

「っ……え、えっと、それは……お父さんが聞いてないときならいいんですけど、今は恥ずかしいです。私、お父さんのために生まれてきたので……」


(……た、確かにそれは、俺がいないときに言ってくれないと……その、照れるな)


「あっ……ふぁぁっ、お父さんは聞いちゃだめ!」

「……ふふっ。私は父を早くに亡くして、母と二人でしたので……スフィアさんが羨ましいです。不思議な形ではありますが、ずっと一緒にいらっしゃるのですから」


 もう少しで自分の身体に戻れると思いたいのだが、現状はどうなっているのだろう。代わる代わるみんなの肌で温められている俺の身体は――心配でもあり、健全な精神を持つ若者としては、尽きせぬ関心は否めない。


「……ん……」

「あっ……お父さん、クリューネさんが起きるみたい。どうしよう、大丈夫かな?」


 見ると、イリーナのマントの上に寝かされていたクリューネが身じろぎをしている。布鎧は乾いているが、ぴっちりと体型が出てしまっていて、目に毒にもほどがある。


「身内の問題は、私にも責任があります。クリューネさんがスフィアさんに危害を加えないよう、私が監視しています」

「……お願いします」


(心配するな、クリューネは魔力が少ししかない。それで挑んできても、動きを封じる方策はある)


(うん、ありがとうお父さん)


 スフィアは緊張しながら、クリューネが起きるのを待つ。彼女はゆっくりと身体を起こすと、頬にかかる髪を後ろにかき上げ、その整った相貌を見せた。


「……なぜ、私を殺さなかったのです?」


 澄んだ響きを持つ声に似つかわしくない、拒絶の言葉。クリューネはイリーナを見やると、彼女が持っている短刀を見ながら言った。


「……クリューネさんこそ、どうして……どうして、ジュリアス陛下の黒竜に『スノゥリの毒酒』を飲ませたんですか……!」


 スノゥリの毒酒――アルベインでは滅多に手に入ることのない、凍土にのみ生息する樹木の魔物『スノゥリアード』の果実を使った酒。


 スノゥリアードは自衛のため、果実を奪おうとする者がやってくると、急速に果実の中に毒性のある成分を送り込む。それを阻止して果実を得ることができれば、甘くとろけるように柔らかい果肉を味わえるというが、毒を送り込まれた果実を食べた者は、魔力を暴走させて混乱を来たし、死に至る。


 その毒のある果実を(かも)し、酒にすると効能が変化する。性質の悪いことに、『じわじわと、ゆっくり暴走する』ようになるのだ。


 そんなものを、今から黒竜に飲ませればどうなるか――調整すれば、ちょうど騎竜戦の最中に黒竜が暴走する可能性がある。


(……魔王ジュリアスに、騎竜戦を挑むよう煽っておいて。それで、なぜ負けさせようとする?)


「……どこから、声が……この子のいる方向から……精霊……いえ……」

「この声は、お父さんの声です。お父さんの言うとおりなんですか? クリューネさんは、どうしてそんなこと……」

「……ジュリアス陛下は、新しく近衛騎士となったときから、クリューネさんをあんなに信頼なさっていた。貴女自身も、忠誠を誓うと言っていたのに……あれは、嘘だったんですか!?」


 イリーナに糾弾されても、クリューネは動じず、かすかに笑った。


「ジュリアス殿はなぜ私を信じたと思います? それは、六魔公も、民も、まだ若いジュリアス様よりも、あの方……ヴェルレーヌ様をお慕いしているからです。ジュリアス殿は誰よりも、自分を支持してくれる人を求めていたのです」

「っ……国王陛下をそのように呼ぶとは、無礼なっ!」

「イリーナさん、あなたもまた忠義心で、ヴェルレーヌ様の決定に従っているだけ。ヴェルレーヌ様を取り戻そうとジュリアス殿が動いたとき、安心したのではないですか? 『本当の魔王』が国に戻ってきてくれると」

「そ……そんなことはないっ! 私は近衛騎士……ジュリアス陛下を守ることこそが、私のっ……」


 最後まで言い切ることができず、イリーナは言葉を飲み込む。


 クリューネはただ、想像で語っているのではない。近衛騎士の一員となり、自分の目で見て感じたことを口にしている――だからこそイリーナは、否定しきれないのだろう。 


「彼は私よりは強い……ですが、彼の力では足りない。ヴェルレーヌ様のお力なくしては、私の国は……このまま滅びてしまう」

「滅びる……国が? クリューネさん、貴女は一体何を……」

「クリューネさんはダークエルフです。でも、エルセイン魔王国の人じゃない……そう、お父さんが言ってます」


 クリューネは否定しない。ただ微笑みを浮かべて、スフィアを――こちらを見てくる。


「……まさか……過去に私たちの国と分かれた、もう一つの魔族の国……」


 イリーナがつぶやく。クリューネは頷き、ここではないどこかを見る目をする。遠い祖国のことを想うかのように。


「そう……百年前にあなたたちの国と別れ、私たちは南の地に、新たな国を作りました。ようやく見つけた安住の地……初めは荒野でしたが、私たちにとってはそれで十分だった」


(……ラトクリス魔王国に、何があった?)


 西方の隣国ベルベキアに、ラトクリス魔王国が脅威を与えている。安易に干渉することはできないと思っていた問題に、思いがけないところでぶつかる――これも巡り合わせかと感じながら、クリューネの答えを待つ。


「……ラトクリスは、数人の人間によって攻め入られ……彼らによって、支配されています。元は、アルベイン王国の冒険者であった人々によって」


 なぜ、ラトクリスが突如としてベルベキアを脅かし、貢物を求めたのか。


 それが、全て繋がった――ラトクリスの王位を簒奪した人間が、暴政を振るっていたのだ。


 ラトクリスの魔王はSランクの力を持つとヴェルレーヌが言っていた。それは同時に、SSランクの冒険者ならば、数人で国の実権を握ることも不可能ではないことを意味する。


「……なぜ……最初から、ラトクリスからの正式な救援要請として、ジュリアス陛下に申し入れをしなかったんですか……?」

「……彼では、力が足りていないからです。私はヴェルレーヌ様に会わなければという一心でエルセインを目指した……なのに、玉座に座っていたのは、頼りない少年だった。ヴェルレーヌ様の弟……彼が強いことはわかります。けれど、ヴェルレーヌ様よりは弱い。弱い王をその気にさせて臣従し、ヴェルレーヌ様がいないままでのうのうとしていたあなたたちも、私は認めない……憎んでいると言ってもいい」

「っ……あ、あなたに……何もかも秘密にしていたあなたに、どうしてそこまで言われなければいけないんですか! 私は……私たちは、クリューネさんを仲間だと思っていたのに……っ!」


 クリューネの目的は、自分の国を救うこと。国を奪ったSSランクの冒険者たちが、具体的にどんな行いをしているかは分からない――俺の情報網は、国の外までは及ばない。しかしそれは、俺の理想を現実にするには不十分だったのだと悟る。


(お父さん……クリューネさんは、ヴェルレーヌお母さんのことを知ってて、助けてもらおうとしてたんだね)


(ああ。だが、少し遠回りなやり方をしすぎたな)


 クリューネはヴェルレーヌでなければ、自分たちの国を救うことはできないと思っていた。だからこそ、ジュリアスを介して、アルベインからヴェルレーヌを返還させるように要請させたのだ。


「……クリューネさん、驚かないで聞いてくれますか?」

「……あなたもその若さで、よくそんな力を身につけられたものだと思います。ですが、ヴェルレーヌ様ほどでは……」


 どうもクリューネの中では、ヴェルレーヌが神格化されているようだ。幼少の頃にでも魔王として振る舞うヴェルレーヌに会ったとしたら、それは感銘を受けるのだろうが――魔王にふさわしい装備をしたヴェルレーヌは、今思い出しても、魔王国の頂点に立つだけの風格がある。


(お父さん、言ってもいい?)


(ああ、いいぞ。どういう反応になるか、ちょっと怖いが……馬鹿にしてるのか、って怒って攻撃してくるかもしれない)


(そうかな……クリューネさん、ほんとは優しい人なのに、無理して強がってるように見える。きっと、お話しすれば分かってくれるよ)


 スフィアにそう言われると、本当にそうなると思えるのが不思議だ。


 しかし、それはそうかと思う。なにせ、クリューネの尊敬するヴェルレーヌの魔力を、スフィアは内包しているのだから。


「私は……ヴェルレーヌお母さんの、娘なんです」

「……っ!?」

「……ヴェルレーヌ前魔王様の……む、娘……姫様であらせられますか……っ!?」


 クリューネは驚きのあまりに口を押さえ、イリーナは目を見開いている。それはそうだろう、アルベインにいるヴェルレーヌに既にこの年頃の娘がいるなどと、にわかに信じられるわけがない――まだ、俺のギルドにやってきて一年も経っていないのに。


「……もし、ヴェルお母さんに会ったことがあって、その魔力を覚えているのなら。クリューネさんには、わかってもらえる……と思いますっ」


 最後は勢いに任せて、スフィアはクリューネの前に出る。クリューネは何かに気がついたように自分の胸に手を当てる――そう、そこにスフィアが触れて、クリューネに魔力を分け与えたのだ。


「……私は……私は、なぜ……ヴェルレーヌ様の……お嬢様から、お力を頂いたことにも、気付かずに……っ」


 クリューネの瞳に涙が浮かび、頬を幾筋も伝い落ちる。彼女はスフィアの手を握り、敬うように捧げ持ちながら、肩を震わせて泣き始める。


「ほ、本当に……姫様……っ、も、申し訳ありません、これまで全く気づくことができなかった非礼、ご容赦くださいっ……!」

「い、いえ、私、お姫様じゃないです。ヴェルお母さんも、それは違うって言うと思います」

「いいえ……あなたはヴェルレーヌ様の力を受け継ぐ貴き姫。そうとは知らず敵対したこと、どうか、どうかお許しください……っ」


(……クリューネ。本当の名前を教えてくれるか? あの実力なら、ただの一魔族ってわけじゃないんだろう)


「……このお声は、スフィア姫のお父君……つまり、ヴェルレーヌ様の……」


(い、いや……そういうわけじゃないが、ヴェルレーヌのことはよく知ってる)


 イリーナとクリューネの、俺に対する態度が一気に軟化する――それどころか、尊敬の目に変わる。


 ヴェルレーヌが魔王としてどれだけ慕われていたか、時折確かめさせられる。彼女たちからヴェルレーヌを奪ってしまったことを、申し訳なくも思うが、同時に誇らしくも思う。


 ここまで人望のある魔王が、俺の元に留まろうとしてくれている。やはり完全な形で、ヴェルレーヌがこれからもギルドに居られるように、全力を尽くさなくてはならない。


(……お父さん、大好き。お父さんが元に戻ったら、ぎゅってしていい?)


(そ、それはまあ、構わないというかだな……ほどほどに頼む)


(お父さんったら、そういうふうだからお母さんたちに可愛いって言われちゃうんだよ?)


 何も言い返せないので、何も言わない。スフィアが素性を明かしただけで、イリーナとクリューネはすっかり心服してしまっている――受け継いだ魔力は、これ以上ない親子の繋がりを証明してくれたわけだ。


「ヴェルレーヌ様と、精神体の身で姫様をもうけられるなんて……このイリーナ=ビュフォン、(よわい)十七にして世界の広さを知りました」


 やはり勘違いをされているが、訂正が難しいのでとりあえず放置しておく。

 スフィアはクリューネの涙をハンカチで拭く。クリューネは赤い目をしたまま、初めて少女らしい微笑みを見せた。


「……私の本当の名は、メルメア=ラトクリス……ラトクリス魔王国の、王女です。偽りの名を名乗り、ジュリアス陛下に不敬を働き……本当に、申し訳ありません」


(……本物の姫じゃないか。そうか……それでヴェルレーヌを知ってたんだな)


 メルメアは素直に頷く。最初の頑なさが嘘のようで、スフィアも思わず顔をほころばせていた。



 エルセイン魔王国と分かれた、もう一つの魔王国。その王女がヴェルレーヌに助けを求めるために、エルセインに潜り込んだ。


 アルベインの冒険者に王位を奪われたままでは、ラトクリス魔王国は本当に滅ぶことになる。


 スノゥリの毒酒を飲んだ黒竜、助けを求める王女メルメア。解決すべき問題は増える一方だが、決して全て解決できないわけではない。


 クリューネからは、もう少し詳しく話を聞く必要がある。信頼を得た今は、彼女から隠すこと無く全てを聞くことができるはずだ。



※お読みいただきありがとうございます!

 次回は明後日に更新させていただきます。

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