作戦名は「先手必勝!」 虐げられるとか本当に無理なので、早めに回避します!
「あれ?」
鏡の中で驚きに目を見張る少女。なんなら美少女と言い換えてもいいほどの可愛らしい容姿。
背中の真ん中くらいまで伸びたさらさらの銀の髪。
サファイアのような透き通った青い瞳。
陶器のようになめらかで白い肌。
さくらんぼのように艶やかなピンクの唇。
――それが自分だという強烈な違和感。
(いや、私ってこんな顔じゃなかったよね!? ていうか子供になってる!?)
頭の中に、色んな記憶が次々に現れては消えていく。
(昨日、仕事帰りに会社の人たちと飲んで、家に帰ってお風呂にも入らずにベッドに直行して)
手足が冷たくなり、冷汗が出てきた。心臓があり得ない速さで動いている。呼吸が苦しい。
(なんでこんな所にいるの? ていうか、別人になってる!? なんでなんでなんで――!?)
※※※
「お嬢様、ご気分はいかがですか?」
メイドのマリーが心配そうに声をかけてきた。ベッドの中から、できるだけ元気に見えるように笑顔で答える。
「もう大丈夫。心配かけてごめんなさい」
「鏡台の前で突然お倒れになったんですよ。本当にびっくりしました」
マリーはいまだに心配そうな表情を崩さない。
今から数時間前。
私は自分が何故か別人になっていることに気づき、混乱のあまり気を失った。
私は20代会社員だった自分の記憶をしっかり持っている。
だが、目が覚めてから徐々に、今の自分――マリーがお嬢様と呼ぶ少女――の記憶も蘇ってきた。
目の前の10代後半くらいの少女がマリーという名前で、私にいつも優しいメイドであることも。
――エリザベス・バートン。子爵令嬢。8歳。それが今の私だ。
三ヶ月前に母親を病気で亡くしたばかり。父親は外に愛人を作り、滅多に屋敷には戻ってこない。
「あれ?」
またもや、何やら新しい記憶が蘇ってきた。いや、記憶というより、情報と言ったほうがいいかもしれない。
――母の死から半年後、父が愛人と、エリザベスと二ヶ月しか年の変わらない娘を連れてくる。
愛人は正妻に迎え入れられ、連れ子は子爵令嬢となる。
義母と義妹は子爵家で我が物顔にふるまい、エリザベスに辛く当たる。
エリザベスをかばった使用人達は全員解雇される。
新しく来た使用人達は 義母や義妹と一緒になってエリザベスを虐げる。
父はそれを見て見ぬふりするだけ。
12歳で隣の領の伯爵令息と婚約するが、18歳の時に義妹の嘘に騙された婚約者から婚約破棄され、外聞を気にした父親に国境近くの修道院行きを命じられる。
修道院への道すがら、国境の森でエリザベスは、倒れている美しい青年を見つけた――
(ん? 何これ、聞き覚えのある話というか、読んだことがある話というか)
――助けた青年は、実は隣国の王太子で、第二王子を産んだ側妃に命を狙われ、国境の森まで逃げてきたのだった。
二人は互いの境遇を語り合ううちに恋に落ち、共に生きていくことを誓い合う。
その後、側妃の差し向ける追っ手を撒きながら、国境の森を抜け、なんとか王都に辿り着く。
王子の忠実な家臣の手引きで王宮に入り込んだ二人は、貴族が居並ぶ大広間で、側妃の悪行を白日の下にさらし――
(これ、知ってる! ていうか読んだことある! タイトル忘れちゃったけど、読んだ覚えがある!)
どうやら私は、ただ生まれ変わっただけではなく、前世で読んだ小説――ありきたりな展開であまり面白くなかったため、タイトルすら忘れてる――の中に生まれ変わってしまったらしい。
(情報が多すぎる!! しかもどんどん頭に浮かんでくる!)
またもや動悸が激しくなる。
脳がキャパオーバーになっているせいだろうか。
息が苦しい。目が霞んできた。
あ、また、
――本日二度目のブラックアウト。
※※※
前世の私は、切り替えの早さが自慢というか持ち味というか特技だった。
それはそれ。これはこれ。起きてしまったことは仕方がない。
何が起きてもそういうスタンスで乗り越えてきた。
だが、今回のこれは、そんな気持ち一つで乗り越えられるような部類の困難ではない。
できるだけ冷静になろうと努力してはいるが、少し落ち着くと新たな記憶が頭に浮かび、情報の多さに脳がショートし、体が悲鳴を上げ意識を手放す、の繰り返し。
そんな状態が三日ほど続いた。
何度も気を失う私にマリーがその都度、「お嬢様!!」と絶叫。
医者が呼ばれたが、見立ては「特に悪いところはございません。母君を亡くされた心労でお倒れになったのでしょう」だった。
マリーを始め、執事やメイドなど使用人たちがとても心配してくれるのでなんだか申し訳ない。
それにしても。娘が体調を崩しているというのに、父親は一向に帰って来る気配がない。
小説のストーリー通り、父から愛されていないことを思い知らされる。
と同時に、このままだとドアマットヒロインまっしぐらだと気付く。
(どうにかしなきゃ!)
ようやく気持ちを切り替え、今後の対策を考えることにしたが。
今の自分は8歳、いったいどうしたらいいのか。
当然、この屋敷を出て自分一人で暮らすことは不可能だろう。
だからといって、このまま何もしないでいると、小説のエリザベスと同じような悲惨な目にあってしまう。
今思えば、あの小説は、ありきたりなストーリーすぎてあまり面白くなかった。
では何故読んでいたかというと、大好きなイラストレーターがイラストを担当していたからだ。
特にヒーローである王子のビジュアルが好みだった。
もう、読んでいたというか、眺めていたに近い。
ハッピーエンドではあったが、そこに至るまでの主人公エリザベスの人生は悲惨なものだった。
典型的なドアマットヒロイン。
悲惨すぎて読んでいて嫌になり、王子と出会うまでのストーリーは適当に読み飛ばした。
今にして思えば、もっとちゃんと読んでおけばよかった。
(それにしても、ヒロインかー。このままいくと、あの王子様と恋人同士になれるんだよね? あの王子は本当にかっこよかった。少し癖のある金髪、エメラルドのような緑の瞳で)
前世で見た表紙のすぐ次の頁のカラーイラストを思いだす。
大きな木の根元に倒れている王子を、ヒロインが助け起こし、膝枕をするシーン。
目を閉じ、ぐったりと横たわる王子は、眠れる森の美女ならぬ眠れる森の王子といった感じで、儚げでとても美しかった。
それにしても。
王子のビジュアルはこんなに鮮明に思い出せるのに、なぜか性格はどんなだったか思い出せない。
(なんか、出会ったときはひねくれていた気がする。あ、思い出した。暗殺されかかったショックでかなり荒んでた王子にヒロインが優しく寄り添うんだった)
よくあるストーリー。まあ、小説として読んでる分にはとくに問題なし。
だが、それが自分のこととなると話が違ってくる。
どんなに最後に幸せになろうとも、そこに至るまでが悲惨すぎるのだ。
王子にはちょっと会ってみたいけど、それまでの月日を耐えられる自信は全くない。
(そういえば、あの王子、暗殺されかかったことがトラウマで、ヒロインのことを疑って何度も試すようなことしてたんだよね。すごい暴言吐いてたっけ)
小説の中のヒロインは周りから虐げられすぎて、王子のきつい言葉にも全然ひるんでなかったが、今のエリザベス、つまり私は違う。
感じ悪い言葉を投げかけられてるのに、優しく接するなんてできる自信がない。
(こうなったら、小説のストーリーを何とか変えて、どうにか穏やかに暮らせないだろうか)
それから私は、今後どうするべきか考えた。
考えすぎて何回も倒れ、そのたびにマリーが「お嬢様!!」と叫んでいた。
この姿になってから、脳をフル回転させるとすぐに倒れてしまう。
子供の脳ではキャパオーバーなんだろうか。
だが、なんとか対策を考えないと。
そうやって苦労して考えたのち、ひとつアイデアが浮かんだ。
失敗したとき、どうリカバリーしたらいいかわからない危うい作戦だけど、他に良い案は浮かばなかった。
(もうこれしかない。もう他の作戦を考えている時間もないし……)
そして、私はついにその作戦を実行に移す。
名付けて「先手必勝! お母さまが夢枕に立った!作戦」だ。
※※※
午後のお茶の時間より、少しあとのこの時間は、仕事が一段落した使用人たちが控室で休憩をとっている。
私はその時間を狙って、控室に押し掛けた。
「あら? どうされましたお嬢様? ご用がおありでしたら、お部屋まで伺いましたのに」
「……夢をみたの」
私はできるだけ怯えた表情を作って言った。
「お昼寝してたら、夢にお母さまが出てきて……」
「まあ、奥様が夢に、ですか?」
マリーを始め、控室で休んでいた数名のメイド達が同情するような顔になる。
「お母さまがね、『ああ、可哀想なエリザベス』って仰るの。『もうすぐあなたのお父様は、新しいお母さまと妹を連れてくるでしょう』って」
執事のマーカスの表情がサッと変わる。心当たりがあるんだろう。
マーカスは40代くらいで、茶色の髪に茶色の瞳の穏やかな男性だ。
彼は私と母に優しかった記憶がある。
マリー達は驚いているようだから、愛人のことは初めて聞く話なのかもしれない。
「お母さまは泣きながら『新しいお母さまの名前はドロシー。妹の名前はキャサリン。あなたとは二ヶ月違いで生まれた、お父様の本当の娘よ』って仰ったの」
マーカスはもう、眉間に皺が寄った状態だ。
メイドたちも顔つきが険しい。
「私、お母さまに言ったの。『わかりました、その方達と、仲良くするよう頑張ります』って。そうしたらお母さまが、ますます泣かれるの。『ああ、エリザベスはこんなに心の綺麗な子なのに!』って」
それから私は、「できるだけ頑張って母親の言ったことを伝えようとする健気な8歳児」のふりをして、その後の未来を語っていった。
――愛人と連れ子は屋敷に来るなりエリザベスに辛く当たる。それを諫めたマーカスやマリー、エリザベスをかばった使用人は紹介状も渡さずに即日解雇。父親である子爵はそれを黙認。新しく雇い入れた使用人たちも一緒になってエリザベスを虐げる。つらい毎日を送るエリザベスの心の支えは12歳のときに婚約する伯爵令息のマシューだけ。だが、そのマシューは、姉に虐められているという連れ子の嘘に騙され、18歳で婚約破棄を告げてくる。そして新たに連れ子と婚約を結ぶ。体裁を気にした父親によってエリザベスは家を追われ、病気療養のためという名目で修道院に送られることになる。
震える声で、目に今にもこぼれそうなくらい涙を溜めて。
途中で、原作にはないエピソードもちょこちょこ織り交ぜつつ、あの小説のストーリーを「お母さまが仰ったこと」として話した。
「そんなひどいこと……」
「お嬢様がそんな目に遭うだなんて……」
使用人たちが口々に言う。
「『いいこと、エリザベス。このお話はお父様にしてはだめよ。頑張って、執事のマーカスかメイドのマリーに伝えなさい。彼らはこのままだと紹介状も貰えずに即日解雇になってしまうのよ。だから、この話を伝えたら、きっとあなたの力になってくれるわ』」
執事もマリーも真っ青だ。
転職の際、紹介状が無い者を雇う貴族家はほとんどない。
だからこそ、紹介状を出さない解雇というのは、使用人たちにとっては死活問題でなおかつ大変な屈辱なのだ。
そして、こんな難しい事情を知っている8歳児など、普通では考えられない。
この話をすることで、「お母さまが告げた言葉である」という話に信憑性を持たせる作戦だ。
「『エリザベス。フォークナーのおじいさまを頼りなさい。お父様に内緒で連絡するの。ああ、もちろんあなた一人では無理でしょうから、マーカスにお願いして詳しいことを伝えてもらうのよ。おじいさまはきっとあなたを助けてくれるわ。おじいさまもおばあさまも、あなたはあまり会ったことがないから知らないでしょうけど、本当に優しい方たちなのよ。きっと良いように取り計らって下さるわ。使用人達もおじいさまがフォークナーのお屋敷で雇ってくれるでしょう。彼らは本当によく仕えてくれたから、不幸になってほしくないの』」
「ああ、奥様!」
「なんてお優しい……」
マーカスは涙ぐんでいるし、マリーにいたってはハンカチを出してきて、しきりに涙をぬぐい始めた。
「お母さまは最後に『私の可愛いエリザベス。どうか、どうか幸せになってちょうだい。お空の上からいつでも見守っていますからね』って仰ったの」
そう言いつつ、こらえきれなくなったように涙を流す。
このタイミングで涙をこぼすために、ずっと瞬きを我慢していた。
頑張った甲斐があって、最高のタイミングで涙を流せた。よし!
「ああ、お嬢様!」
マリーが私に抱き着いてきて、わんわん声を上げて泣きだした。
見れば周りのメイド達も泣いている。
皆の反応にちょっと申し訳ないような気持になる。
(あー、ちょっと話を作りすぎちゃったかな。でもこのくらい言っておかないと、信じてもらえなかったら大変だもの)
「夢だったけど、私にはただの夢だとは思えないの。お母さまが、私を心配して夢に出てきてくださったんだと思うの」
「……お嬢様」
マーカスが、目を真っ赤にして言う。
「奥様は……マーガレット様は、大変お優しい方でした。私ども使用人のことまで心配して頂けるとは……実に奥様らしい……」
一同すすり泣きながら頷く。
「奥様……」「お優しい方だったのに……」
「お嬢様、夢の中の奥様が仰ったことは、本当のことでございましょう。ご主人様は、確かにドロシー様とキャサリン様をこの屋敷に迎え入れる準備をなさっておいでです」
マーカスの言葉を聞いた使用人たちが、驚いて顔をこわばらせる。
「ドロシーとキャサリンですって!」
「エリザベス様が仰ったお名前と同じだわ」
「このままだと、奥様の仰る通りのことが起きてしまうかもしれません。……せっかく、奥様がお嬢様に夢で警告してくださったのです。できるだけ早急に、フォークナー伯爵にこのことをお伝えせねば」
「マーカス……私のお話を信じてくれるのね、ありがとう」
「もちろんですとも」
「お嬢様、良かったですね! 私も、できるだけお力になれるよう頑張ります!」
マリーはもう泣きすぎて顔が大変なことになっている。
周りの使用人たちも、泣きながら口々に「私も!」と声を上げる。
(よし! そろそろ仕上げだ!)
エリザベスは自分で言うのもなんだが、美少女だ。
大好きなイラストレーターが渾身の力を込めて描いた(であろう)ビジュアルなのだから。
だから、今こそ、この容姿を最大限に利用する時!
組んだ手を口元に寄せ、ポロポロと涙をこぼしながら唇を震わせ、上目遣いでみんなを見上げる。
「みんな、私の話を信じてくれてありがとう! みんな大好き!」
マーカスを始め、マリーやメイド達が顔を赤くして胸を押さえている。
どうやら作戦は上手くいきそうだ。
※※※
その後すぐにマーカスが動いてくれた。
あれよあれよという間に、祖父のフォークナー伯爵が私を迎えに来てくれたのだ。
「みんなと一緒じゃないと嫌。私だけおじいさまとおばあさまのところに行くだなんてできない」
泣きながらそう言うと、祖父が優しい声でうなずく。
「心配しなくていい。もちろん、お前に良くしてくれていた使用人たちも一緒に連れていく。ここに置いていったら、せっかく夢にまで出てきたマーガレットが浮かばれない」
「おじいさま! ありがとうございます!」
最近、息をするように自然と身についた「儚げな天使の笑顔」を発動すると、祖父だけでなく、まわりにいたマーカスやマリーも頬を染めて胸を押さえる。
(とりあえず、ドアマットヒロインは回避できたかな? いや、まだ油断しない方がいいかも)
生まれ変わってつまらない小説のドアマットヒロインに生まれ変わったけれど、今のところなんとか悲惨な未来は回避できつつある。
ヒーローである隣国の王子はちょっとだけ見てみたかったけど、そのために何年も辛い思いをするのは嫌だ。
最近、自分が8歳児であることを忘れそうになり慌てる。
さっきもマリー達が「お嬢様はなんだか雰囲気が変わったみたい」「色々とお辛いことがあったからかしら」「大人びたことを仰ることがあるわよね」とか噂してたもの。
気を付けないと、変わった子供だと気味悪がられるかもしれない。
何がきっかけで、虐げられる生活に逆戻りするかわからないんだから。
とにかくこの先も、「先手必勝!」を肝に銘じ、穏やかな生活を送っていけるよう頑張らなきゃ!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。