開幕
サミュエルは自分の向かい側で美味しそうに、ケーキを食べているセシルを見た。
セシルが報酬と引きかえに家族としての役割を果たすと言った時、どうなるのかと不安でいっぱいだった。
屋敷を出て行かないだけで、口をきいてくれないのではないか、社交では家族の振りをするがそれ以外はよそよそしくなるのではないかと思っていた。我々はそれだけの事をしたのだから。
だが、次の日の朝、食堂に現れたセシルは笑顔いっぱいにおはようと言ってくれた。その一言で構えていた自分も父も肩の力が抜けた。
行き場のない憤りをぶつけただけでセシルも実際はそんなことを考えていないのだとホッとした。
それからサミュエルはセシルを食事やお茶、買い物によく連れて行くようになった。アナベルを何度も街に遊びに連れて行ってやっていた罪滅ぼしだ。
そのころはセシルがアナベルを虐めていると思っていたから、誘うこともプレゼントを買ってやることもなかった。
付き合ってくれないかもと危惧していたが、「嬉しい、お兄様」といってくれた。それから頻回に街に誘うようになった。
こうして嬉しそうに街歩きを楽しみ、自分を兄だとまた慕ってくれるようになったセシルが大切で仕方がなく、これからはこの笑顔を守っていこうと改めて決心したのだった。
セシルはある貴族家のお茶会に連れて来られていた。
父の事業の取引先だ。関係者とその家族が参加しているパーティで、セシルは数人の令嬢と歓談していた。
「セシル様、大変でしたわね。偽物の姉のせいでお母様が心を痛められたとか」
「そうなのです・・・本当に両親も兄も大変つらい目に合いましたわ。」
「おまけにセシル様にいじめられたなど嘘ばかりだったとか。大丈夫でしたの?」
「はい。家族のおかげで私は大丈夫でしたわ。」
「シャリエ子爵もサミュエル様も本当にセシル様を大切にされていますものね。」
今も、シャリエ子爵とサミュエルは関係者と話しながらも、セシルの方を見ている。セシルが目を向けると二人は微笑み、サミュエルは軽く手をあげる。
「素敵なお兄様ですわね。」
幾人かの令嬢が頬を染める。
「ええ、それなのに婚約者がおらず私ばっかり連れ歩くので困っておりますわ。」
「まあ。そうなのですのね。」
こうして二人に連れられて社交するたびに、父や兄をほめておく。
どこかで縁がつながり、サミュエルに婚約者でもできればそれほど自分に構うことはなくなるだろう。
初めは、苦しくてたまらなかった。
虐げられてきた記憶がばっちりあるのに、何もなかった昔のように接することなどできるはずもなかった。
自分が泣いて訴えても、信じてくれず叱られる毎日。どんどん家族の輪から追いやられていく自分。
険しい顔が脳裏に焼き付いているのに、急に「間違っていた、ごめん」と言われても受け入れられない。
当初は、仮面家族としてほとんど無視をして屋敷に滞在するだけのつもりだった。対外的に必要な時だけ、親子らしく、兄弟らしくすればいいと考えていた。
しかし、そんな生活を二年していくのかと思うとそれはそれで自分もしんどい。
対象は父と兄だけではない、使用人だってそうなのだ。
屋敷の全員に怒りを向け、無視をする生活は自分だって苦しくなるはず。誰とも話せず、何か頼むことも、頼ることも出来なくなってしまう。
それにこの二年の間に家を出て行く準備を進めるにあたって、一人では何もできないはずだ。
どうせ二年間、ここで暮らさなければいけないのなら快適に過ごしたいと思ったセシルは覚悟を決めた。
家族として演じると宣言した翌朝。
本当は食堂に顔を出すのも嫌だった。ドアの前まで行き、こわばった顔のまま立ち尽くす。
(一笑顔、銀貨一枚! 楽しく過ごして、目指せ報酬アップ!)
頬を両手でもみほぐし、扉を開けて
「おはようございます。お父様、お兄様。」
笑顔を浮かべてそう言ったのだった。