ルル
マルクはいつも通り、仕事が終わってから食堂に行った。
混み合い、賑わう店内で、席を見つけて座る。
「いらっしゃい。」
注文を取りに来たのはルルだった。
店内を見渡してもセシルの姿がない。
「シルは?」
「ちょっと具合が悪くて横になっているんですよ。」
「え!?」
思わずマルクは立ち上がって、二階に上がろうとした。
「騎士様、今日、店が閉まってから時間いただけますか?」
「シルに会わせてもらえるんですね?わかりました。」
そういうとルルはなんだか怖い笑顔を残して、いつものでよろしいですね、と去っていった。
食事を終え、ルルがサービスだと言って持ってきてくれたコーヒーを飲みながら閉店を待つ。
その間も、シルは大丈夫なのかと心配でたまらない。
一緒に暮らせば少しは安心できるかもしれない。前回の事も一緒にいれば防げたことだ。
シルの具合がよくなれば一緒に暮らそうと申し込もう。
そう決心すると、マルクは希望に胸が弾み早くシルに会いたいと時間がたつのをそわそわしながら待った。
「お待たせして申し訳ありません。」
ルルは最後の客を送り出した後、マルクの向かいに座った。
「いえ。ではセシルの所に・・・」
「私が騎士様に話があるんです。」
「ルルさんが?何でしょう?」
マルクは立ち上がりかけていたが、また椅子に座った。
「私は貴族様みたいに、遠回しな話は出来ないんでね。そのまま聞かせてもらいますよ。」
「え、ええ。」
ルルは、じっととマルクの目を見つめると
「匿っていた女の子に手を出したんですか?」
それを聞いた瞬間のマルクを見てルルは残念ながら本当であったのだと知った。
「・・・やっぱりそうなんですね。」
「な・・・なんで・・・誰が・・・」
額から汗を流し、動揺するマルクは何かに気がついたように
「もしかして・・・シルはそれを知って具合が!?」
ルルは黙って頷く。
「そんな・・・シルには一生知られないようにと・・・」
マルクは顔を両手で覆って、机に伏すようにうなだれる。
「・・・見損ないましたよ、騎士様。あれだけシルちゃんを好きだと言っておきながら。」
「違う!俺は騙されて・・・」
「騙された? 騙されたことと手を出すことは違いますよ。どんな事情があれ、恋人でも婚約者でもない相手に手を出すなんてありえないよ!それはあんたの責任だよ!」
その通りだった。
たとえ、セシルがひどい人間だと聞かされたとて、アナベルと関係を結ぶ理由など何もない。そしてそんなときに誘うようなそぶりを見せるアナベルに嫌悪感を抱くのがふつうだろう。
それをマルクは、一度はセシルに会いに行ってセシルを信用しようと決めたのにもかかわらず、騙されないでとアナベルに言われて再び心を揺らしてしまった。
アナベルは、セシルがどのようにサミュエルや子爵を誘惑したのか、サミュエルと抱き合いながら「マルクがいい隠れ蓑になる」と笑っていたことまで聞かされる。そんなはずはないと動揺しているマルクにアナベルは、「可哀そうなマルク様。お兄様とセシルに虚仮にされているなんて・・・私だけはマルク様の味方ですわ。信じられるのは私たち二人だけなのですわ。」涙ながらに縋りついてきた。
マルクはそんなはずはないと思いながら、サミュエルの耳元でセシルがマルクを馬鹿にして笑う姿を思い浮かべてしまう。そう言えば、サミュエルはセシルの事ばかり気にしていたではないか。
まさかまさか・・・頭がぐわんぐわんしてきて、もう冷静に物事を考えることが出来なかった。
「マルク様・・・助けて下さい。私を父と兄から・・・」
そう言ってアナベルは呆然としているマルクの顔すぐ近くまで顔を寄せてくる。涙にまみれた顔で
「お兄様に身を任せるような妹から・・・このままずっと虚仮にされ続けてよいのですか。二人を見返してやりましょう?」
そのひそひそと耳に届く艶めいた声、頬に当たる吐息・・・そして何より絶望感に襲われていたマルクは、セシルとサミュエルへの訳の分からない復讐心も手伝い、アナベルを押し倒したのだった。
匿っている間、自暴自棄なっていたマルクはアナベルと数度体を重ね、セシルに会いに行くことも、手紙で真実を問いただすこともしなかった。
もし、サミュエルが来てくれなかったら、自分はどうしたのだろうか・・・
だが、サミュエルから真実を聞いたとき、マルクは自分の馬鹿さ加減に絶望し、セシルへの後ろめたさと懺悔と愛しさとでおかしくなりそうだった。
すぐに、セシルに会いに行き、必死で取りすがったおかげでセシルは許してくれた。
「あなたとアナベルは結ばれる運命なの」と言われたときは心臓が止まりそうだった。
その通り、既にアナベルと・・・
必死でそんな運命などないと訴え、そんな運命などひっくり返してやると啖呵を切った。本当に愛しているのはセシルで、自分の運命の人はセシルなのだ。
これ以上傷つけないように絶対に知られてはいけないと思っていたのに。
「・・・シルは・・・なんと?」
「彼女は人から聞いた話などあんたみたいに鵜呑みをせず、あんたに確認すると言ってたよ。だけどあまりにもきつい話だからね、私がおせっかいを買って出たのさ。」
「・・・聞いたって・・・誰に?誰がシルに!?」
「そんなことは関係ない、事実だと判ればもう十分だよ。」
「・・・シルに・・・会わせてください。お願いします!」
「会ってどうする気なんだい?」
「それは・・・謝ります!愛してるのはシルだけなんだ!本当なんです!シルが・・・サミュエルや子爵と関係していると聞かされて・・・俺・・・絶望して・・・それでもうぐちゃぐちゃになって・・・」
「だからそんなのはあんたの責任だと言ったろ。恋人のシルちゃんを信じることなく、そんな女を信じたあんたを疑うよ。それにね、それを謝るのはこの間シルちゃんと話したときだよ。あの時なら、シルちゃんも悲しむだろうけどあんたの誠実さは伝わった。だが、他人から聞かされて、今更謝られたってあんたのどこを一体信じろと言うんだい!」
「・・・でも・・・それはシルを傷つけないためにと・・・」
ルルは眉間にしわを寄せると、
「・・・あんたの気持ちも分からなくはないけどね。でもシルちゃんの気持ちを考えてたらハイハイそうですかと許せることだと思うかい?悪いけど、今のシルちゃんには会わせられないね。」
「・・・そんな・・・」
「これ以上追い詰める気かい? 彼女が落ち着くのを待つことぐらいできるだろう。連絡するまで顔を見せないでやっておくれ。」
「・・・。わかりました。」
マルクは、ルルに深く頭を下げると
「シルの事、よろしくお願いします。」
そう言ってよろよろしながら扉を開けて出て行った。
ルルが階段につながるドアを開けると、そこには蹲っているシルがいた。
「・・・シルちゃん。聞いてたのかい?」
蹲ったまま、くぐもった声でセシルは
「ルルさん、ありがとう。ごめんね、いやな役目をしてもらって。・・・私の聞きたい事も言いたいことも全てルルさんがしてくれた。」
そう言い、体を震わせた。
ルルは蹲っているシルの身体を抱きしめて
「ごめんよ。辛いこと聞かせちゃったね。湾曲して話せないから・・・シルちゃんを傷つけてしまったよ。本当にごめんね。」
ルルも涙を落とし、苦しんでいるシルに寄りそったのだった。