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マルクの後悔

 あくる朝、まだ店を開ける前にシャリエ子爵がやって来た。

「・・・セシル、久しぶりだな。元気だったか?」

「シャリエ子爵様、ご無沙汰しております。幸せに暮らしておりますわ。」

「・・・そうか、良かった。ルル殿、セシルの事をお願いします。」

 平民に頭を下げる子爵を見てルルもセシルも驚いた。

「せっかく穏やかに暮らしていたのに、またこんなことに巻き込んで申し訳なかった。あれは夜のうちに捕らえた。マルク殿にも近づいていたようだが、もう二度と日の目を見られない様にする。また改めて来てもいいだろうか。」

 セシルはこくっと頷いた。

「ありがとう、セシル。何かあればいつでも来なさい。」

 それだけ言うとシャリエ子爵は帰っていった。


「シルちゃんの・・・元家族はシルちゃんの事を本当に思っているようで安心したよ。ぶん殴らなきゃならない人間が減って良かったよ。」

「ルルさん・・・」

「許せないことをした彼らを許す必要はないよ。けど、少なくとも誠意のある対応でシルちゃんを守ろうとしていることは評価できる。そのことがシルちゃんの心を守ってくれるんだからね。」

「はい・・・」

 セシルはどこか軽い気持ちで開店の準備を始めた。


 その日の昼、すごい勢いで店に飛び込んできたのはマルクだった。

「シル!」

 しかし、お昼時で店は大忙しの時間。

 ズキンと痛む胸はおいといて、とても迷惑だった。

「昨日の事なんだけど・・・」

「騎士様、お食事ですか? 違うのなら混んでおりますのでご遠慮していただけると助かります。」

 無理ににこりと笑顔を浮かべてセシルは、仕事に戻った。


 注文を取り、料理を運び、テーブルを片付ける・・・忙しくて話す暇など一切ない。入り口近くで立ち尽くすマルクに、ルルが

「騎士様、すいませんねえ。他のお客さんの邪魔なので出直していただけますか?」

と声をかける。

「あ・・・いや・・・食事を・・・させてもらう。」

「ありがとうございます、ではこちらのお席でお願いしますね。何にしましょ?」

 セシルが注文を取りに来てくれるかと思ったが、ルルがそのまま注文を聞き、厨房に戻っていった。


 マルクはもの言いたげにセシルを見たが、話しかける暇がないのは一目瞭然だった。

 料理を運んできたのもルルで、マルクは仕方がなく食事を始めた。

 食事が終わったころ、混雑していた店も少しゆとりをとり戻していた。

「あの、シルは?」

 しばらく居座っていたマルクが、店を見渡したがシルの姿がなかった。

「シルちゃんには買い出しに行ってもらってます。食事が終わったならお帰り下さいませ、騎士様も仕事中ですよね。」

「・・・仕事の事は大丈夫です。シルと話がしたくて。待たせてもらえますか?」

 ルルは溜息をついて

「なぜ今なんですか?」

「え?」

「騎士様はある女性からシルちゃんの事を何か聞かされたのですか?それで店に来なかったんですか?」

「なぜそれを・・・」

「やっぱり。何を言われたのか知らないけどなぜすぐに来なかったんですか?シルちゃんを信じなかった?」

「・・・いえ。少し・・・頭を冷やしたくて・・・」

「すぐにシルちゃんに会いに来て話し合うべきだったと私は思いますけどね。部外者の私が口を出すことではないけど、シルちゃんは大事な従業員であり、私の娘同然なんです。」

「・・・少し動揺してしまって・・・会いに来れませんでした。」

「ある貴族様が解決してくださいましたが、それがなければこのままシルちゃんに会わずにいようと思っていたんじゃないですか?」

「そんなことはない!でも・・・でも・・・」


 マルクは信じきれなかった自分を責めていた。

 サミュエルが連れて来ていたアナベルが偽物で子爵家を追い出されたと聞いた時は非常に驚いた。サミュエルも可愛がっていたし、本当に仲が良かったから。

 それが、先日再会したアナベルに、それらがすべて虚偽で実際は本当の娘なのにセシルたちに追い出されたと聞かされたのだ。


 セシルに色仕掛けで惑わされたシャリエ子爵とサミュエルはアナベルを実の子ではないということにして追い出したのだと。

 アナベルはセシルからずっといじめられており、階段からも突き落とされ殺されかけたこともあると涙ながらに訴えた。幽閉先から逃げてきたというアナベルがあまりにも可哀想で、見回り担当区域の空き家にアナベルをかくまった。

 セシルに話を聞かなくてはならないと思って会いに行ったが、サミュエルや子爵と関係しているのかと聞くこともできず、そのまま店を後にした。

 一度はセシルを信じたマルクだったが、「騙されないで」と再び、セシルの悪行とサミュエルや子爵との関係を詳細に聞かされ衝撃を受けたマルクは、悩んで苦しんで会いに行くことが出来なかったのだ。


 だが、昨夜、屋敷にサミュエルが尋ねてきて、自分の家の恥になることだがと数年前の事情を打ち明けられた。

 実際殺されかけたのはセシル、そしてそんなセシルを信じず冷遇してきた自分たちと家族でいる事を拒否してセシルは家を出て暮らしているのだと聞かされた。本来ならアナベルと母を犯罪者として届け出なければならなかったが、醜聞になることとやはり誘拐されていた娘が可哀想で領地で生活させていたという。

 それが、マルクとセシルが婚約したという話を聞いて、恨みつらみでセシルを傷つけるために領地を抜け出したのだろうとサミュエルは言った。

 その脱走の手口は、使用人を体で篭絡するという、下劣で低俗な方法だった。




「シルに謝りたいのです。シルは私がアナベルといる所を見たと聞いて・・・傷つけてしまった。」

「そりゃ傷ついたってもんじゃないだろう。親兄弟から信じてもらえず虐げられてきて。やっと自分で幸せな人生を掴んだと思ったら騎士様にも信じてもらえず・・・」

「信じてなかったわけじゃない!ただ・・・心の整理をつけてからと・・・」

「それを信じてなかったと言うんですよ!ま、そう言って許しを請うんだね。悪いけど、お客さんがいる所ではやめておくれ。シルちゃんが可哀想だ。」

「はい・・・すいません。今日の夜、伺っても?」

「シルちゃんに聞いとくよ。シルちゃんが嫌なら扉は開けない。」

「わかりました。ご迷惑をおかけしてしまいすいません。また夜に伺いますので。」

 肩を落としてマルクは帰っていった。



 その夜、扉を開けてもらえないと思っていたマルクは閉店した店に迎え入れられた。

 ホッとしてシルにありがとうと伝えようと顔を見て、浮かれた気持ちがスッと冷えてしまった。

 シルは見たこともない表情のない顔でマルクを見ていた。

「・・・今日は、時間をとってくれてありがとう。その・・・昨日までのことを謝りたかったんだ。申し訳なかった。」

「何の謝罪ですか?」

 硬く、冷たいセシルの声がマルクの心を刺す。


「・・・アナベルに騙されて、しばらくお店に来なかった事。彼女をかくまったこと。」

「仕方がありません。アナベルは人を惑わすのが上手なので。今日、お会いすると決めたのは今後の事をはっきりしておかなくてはいけないからです。」

「・・・今後の事って・・・」

 嫌な予感にマルクは冷や汗をかく。

「婚約の解消です。」

 恐れていた最悪の言葉がシルの口から放たれた。

「そんな!悪かった、本当に申し訳なかった!でも別にアナベルの事をどうと思っていたわけじゃなくて・・・」

「そんなことはもうどうでもいいです。あなた達は・・・運命だから。あなたとお付き合いをした自分が馬鹿だっただけですから。」

 わかっていて、マルクと付き合いを続けてしまった。そして一緒に過ごすうちに、マルクに惹かれるようになった。

 もうゲームは終了し、大丈夫だろうとマルクとともに生きようと思ってしまった浅はかな自分のせいだ。


 ゲームの中のアナベルはマルクと結婚した。

 しかしこの世界のアナベルは罪を犯した以上、マルクと結ばれる未来はないと思っていた。だから気を抜いてしまっていた。

 だがその罪は公にされなかったがため、このように王都に出てきてマルクと会うことが出来てしまったのだ。


 あの日から悩んで苦しんで泣いて・・・出した結論。


「何言ってるんだ!? アナベルなんて・・・俺と何の関係もない!」

「その関係のないあの子の言うことを信じたのでしょう?」

「っ・・・君を信じなかったわけじゃない!ただ・・・心の整理の時間が欲しかった。」

「そう・・・」

 マルクはセシルよりアナベルを信じたから心の整理が必要だったのだ、ということに気がついていない。


「あの子は昔よくサミュエルと一緒に遊びに来てたんだ。あんな優しい子が泣いて訴えてくるから・・・嘘だと思えなくて。サミュエルに真実を聞いた時もすぐにはそんな事信じられなくて・・・」

「ふふ、同じこと言うのですね。みんな、私よりアナベルを信じるのですよ。」

 自虐的に、寂しげな顔をしてセシルは笑った。


「ごめっ・・・そんなんじゃ・・・」

「・・・・マルク様。あなたとアナベルは誰にも逆らうことが出来ない運命の相手だったのです、それなのに割り込んだ私が悪いのです。今、限りで婚約もなかった事にしてください。」

「俺はシルを愛してる!あの子にいろいろ言われて・・・俺だって悩んで!でもやっぱりシルの事を好きで・・・だからすぐには来れなかったんだ!」

「私がシャリエ子爵様やサミュエル様を誘惑して、アナベルとその母を追いだしたのと泣きつかれたのでしょう?」

「それはっ!」

 青ざめたマルクの顔を見るとやはりアナベルはマルクにそう言ってセシルを貶め、自分が被害者だと言っていたのだろう。

 そのやり口は、ゲームのセシルがアナベルを嵌めるときに周りに言いふらしたあくどい噂。だからきっとそう言われたのだろうと予想したのだが、その通りだったようだ。


「あなたは万が一にでもそうかもしれないと思ったからこそ、すぐに私に確かめに来なかった。」

 ぐっとこぶしを握り締めるマルクを見る。

 性悪なアナベルに騙され、マルクは被害者で悪くないのはわかっている。でも深く傷ついたセシルは笑って何もなかった事には出来なかった。

 それにこの先、ずっと心配して過ごさなければならない。

 いつ裏切られるのか、虐げられるのか・・・ 


「・・・それに、私は平民として生きてゆくつもりです。マルク様のご両親は期待されているようですが、私はシャリエ子爵家とは何の関係もありませんのでご期待に沿えません。ですから・・・」

「だから俺も家を出る。平民でいい。二人で幸せになりたい。セシルにもう辛い思いをさせないと誓うから。」

「マルク様と私が出会ったのが間違いだったんですよ。マルク様はアナベルと結ばれるはずだったのに・・・いま、シャリエ子爵様に頼めば婚約を認めてくれるのではないですか? 彼らもアナベルの扱いに困ってるでしょうから。」

「なぜそんなことを言うんだ!シルはもう俺の事嫌いになったのか? 俺が悪かったけど、俺だって騙されて・・・」

「わかってます。悪いのはアナベルでマルク様は巻き込まれただけだと。でもマルク様の運命の人は私ではなかった。これは決められた定なのです」

「シル・・・」

 頑なにマルクとアナベルが運命だと言い張るシルに困り果てた。

「シル、シル・・・許してほしい。お願いだ、信用してもらえるために何でもする。」

「・・・。マルク様の気持ちは嬉しいです。でも・・・私は強くない。苦しいのです。私のわがままです。マルク様の側にいるのが怖い。」

「・・・シル・・・」

 涙を流すシルに、マルクも涙を浮かべる。


「シル。運命だというなら・・・そんな運命など変えて見せる。・・・一年、いや半年でいいからチャンスをくれないか?君の不安や恐怖除くことが出来なければ・・・諦める・・・努力をするから。頼む‼」

「・・・。」



 ほんとうに? この呪縛をマルクは打ち破ってくれる?

 信じて裏切られたらどうする? どんなにあがいても決められた結末から逃れられないかもしれないのに?

 でも・・・シャリエ子爵親子は今回、セシルを助けようと動いてくれた。サミュエルなど必死で駆け付けてくれた。

 この世界にもセシルが幸せになるルートは用意されているのだろうか。



 セシルは悩みながらも一縷の望みをかけて承諾したのだった。


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