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第九十四話 八重咆哮

①感想欄での指摘を踏まえて第九十一話~第九十三話を大幅に修正しました

②特に卍解を連想させるシーンは気をつけて変更してます(;´Д`)

例「平天大聖・牛王数珠丸」みたいな名乗りはカットしております

③ただ、心装→空装のシステムはそのままです。奥義の二段階アップはブリーチに限らず、この手の話のお約束ですので問題ない――はず



 その瞬間、俺の中に流れ込んできた魂の量は過去最大のものだった。


 閃耀せんようを喰らい、青竜刀と甲冑という二つの空装を喰らい、さらに肩口に深傷ふかでを負わせてゴズの魂を喰らった。びくんびくんと身体が震えたのは、つづけざまにレベルがあがったせいである。


 新たに湧き出てくる力を感じとり、自然と笑みが深くなる。


 クリムトのときはあえて致命傷を避けたが、ゴズに対してその手心は不要。このまま一息に心臓を断ち切って、ゴズの魂すべてを喰らってやる――そう考えたときだった。




 ガシッッと両の手首を掴まれる。


 青竜刀を手放したゴズの仕業だった。


 刀を振りぬこうとする力と、刀を押し戻そうとする力、二つの力がせめぎあう。


 この力比べは長く続かなかった。



「チィ!」



 みしりと両手の骨がきしみ、舌打ちがこぼれる。


 ゴズは刀を押し戻すだけでなく、そのまま俺の手首を握りつぶそうとしている。深傷ふかでを負ってなお相手の膂力は俺より強い。


 このままでは手首の骨が折れると判断した俺は、しかし、退こうとは思わなかった。


 相手の首に噛みついておきながら、簡単に牙をはずす獣は存在しない。


 腕の一本や二本砕けようとかまわない。ゴズの魂を喰らえば腕二本を失って余りある。


 なにより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



「ぬ……ぐッ!」



 手首を掴まれた俺が身体ごとゴズにぶつかっていくと、肩口に埋まった刀身が揺れてゴズの口から苦痛の声がこぼれた。


 そうだ、別に無理して力比べに勝つ必要はない。少し身体を揺らすだけでゴズには激痛が走るのだ。これを繰り返せば手首の拘束はゆるむ。ゆるめばさらに刀身を押し込むことができる。仮にその前に手首を砕かれたとしても、いくらでも回復できる。


 俺はゴズを喰らうことができる。


 御剣空はゴズ・シーマに勝つことができるのだ!


 その歓喜のままに、俺がさらに刀身を揺り動かそうとしたとき――――唐突に。何の前触れもなく、それは起きた。






『ルゥゥォォオオオオオオオォォォォオオオオオオオオオオオオオ!!』






 空が、大地が、人が、街が、大きく震えた。叫喚きょうかんに込められた迫力と憎悪に身体と心が激しくきしんだ。


 そして、今のが何だったのかを考えるよりも早く、次が来た。






『クオオオオオオオオオオォォォオオオオオオオオオオ!!』





「ぐぅぅぅッ!?」


「ぬぉぉッ!?」




 俺とゴズの口から同時に苦悶の声が漏れた。


 心臓が激しく脈打っている。湧き出る汗が止まらない。


 いったい何事だ。


 獣の咆哮? だが、ただの獣の声にここまで心をかき乱されるはずがない。


 イシュカの各所から沸き起こる悲鳴や絶叫が事の大きさを物語っている。これはもう大規模魔術の領域――そこまで考えたとき、さらに次が来た。





『ギィィィィイイイイイイィィィィイイイイイイイイイイイイ!!』





「くそ、なんなんだッ!?」



 俺はたまらずゴズから離れた。こんな状況では戦いも何もあったものではない。


 これはゴズも同感だったようで、両手を縛めていた拘束はすぐにほどけた。


 俺は困惑に顔を歪める。何とかしようにも、これが何の咆哮なのか、どこから聞こえてくるのかもわからない。手のうちようがないのだ。 


 と、そのときだった。



「……ご主人さま(マスター)!」



 聞き覚えのある声が耳朶を打った。その声は苦しげだったが、それでも震えてはいなかった。


 声が聞こえてきた方向に振り向いた俺は、そこにルナマリアの姿を見出して、思わず安堵の息を吐く。


 イシュカに戻ってきてから、ルナマリアの行方を気にかけてはいたのだ。ミロスラフはシールとスズメにしか言及しておらず、ルナマリアがどうなったのかはわからなかった。


 単純に家を留守にしていただけならいいのだが、クリムトの心装はその気になれば人ひとり灰にすることもできる。もしかして、という不安は拭えなかった。


 その不安が杞憂であったことは喜ばしい。俺は素直にそう思った。


 だが、ルナマリアに肩を貸しているギルドの受付嬢リデルの存在は素直に受け止められそうもない。


 本当に、何がどうなっているのだか。


 そんな俺の疑念にかまわず、ルナマリアは口早に告げてきた。



「竜です、ご主人さま(マスター)。この咆哮は竜です」


「竜……これが?」


「はい。ひとたび吼えれば、耳を貫き、頭蓋を穿うがち、魂を傷つける、それすなわち竜の咆哮ドラゴンロア。森の長老から聞いたことがあります」



 ルナマリアの声は真剣そのものだった。今しがたの咆哮を聞いた直後の俺に、エルフの賢者の話を否定する論拠はない。


 ましてや、今の俺は多頭竜であるヒュドラの毒に対処するために奔走している身。


 ヒュドラの毒がケール河に流れてきたのは、ヒュドラが復活したから。実に理にかなっている。


 問題は、ティティスの最深部にいるであろうヒュドラの咆哮が、遠く離れたイシュカにここまでの影響を与えることだ。


 そうこうしているうちに四度目の咆哮が鳴り響く。


 もはや、誰もが言葉もなく耐える他なかった。





 ――その後、竜の咆哮はさらに四度にわたってイシュカを襲った。


 この八重咆哮オクテット・ロアによって、イシュカの住人の二人にひとりが意識を刈り取られてしまう。赤子や老人、病人の中にはそのまま命を失ってしまった者もいた。


 かろうじて意識をつないだ者たちも、ある者は怯え、ある者は放心し、ある者は狂ったように叫喚をあげて駆け回り――半分以上が正気を失っている有様だった。


 人間ばかりでなく、家畜のほとんども死ぬか暴走し、混乱に拍車をかけている。


 イシュカはたった一日で――いや、八重咆哮オクテット・ロアが鳴り響いたたった数分で都市機能を喪失したのである。


 さらに、イシュカよりもティティスの森に近いスタンピード防衛線では、都市内よりもはるかに深刻な被害が発生していた。




 ……もはや、イシュカの運命が風前のともしびであることは、誰の目にも明らかであった。




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