第九十一話 ゴズVS空(前)
クライアは
脳裏ではさかんに警鐘が鳴り響いている。対峙する空の実力を感じ取った本能が、はやく逃げろと懸命に訴えかけてくる。
その本能の叫びを、クライアは意思の力でねじ伏せた。
ここで逃げれば、空の攻撃は後方にいる弟にあたってしまう。なんとしても自分が止めなければならない。最悪の場合、身を挺して弟の盾になることも辞さぬ――クライアはそれだけの覚悟をしていた。
それが空の思惑どおりであるとわかっていても、それ以外の選択肢をとることはできなかったのである。
――そのクライアの前に小山のような人影があらわれる。
熟達した歩法は
移動に防御。優れた
当主直属の精鋭部隊、青林第一旗において三位を冠する剛武の
レベル『81』――ゴズ・シーマが空の前に立ちはだかった。
「――心装励起」
ゴズの口から低く重々しい声が発される。
応じて
特徴といえば、
とはいえ、それは心装そのものの強さを否定する要素ではない。
そのことを証明するように、ゴズはその場で心装を抜いた。
「
ゴズの抜刀と、
かつて、王都ホルスで第八
それを理解していたからこそ、クライアも決死の覚悟で攻撃を防ごうとしたのである。
いかにゴズとて直撃されればただでは済まない――そのはずだった。
だが、強大であるはずの一閃は、ゴズの身体に届くことなく霧散してしまう。
春に降る
それを確認したゴズは、淡々とした声で背後のクライアに話しかける。
「ここは任せよ。クリムトの手当てをしてやるがいい」
「……承知いたしました、
一瞬、クライアは何かをいいかけたが、すぐにそれを飲み込んで頭を下げた。
ちらと空に視線を向けてから、
かくて、ゴズと空の二人は正面から向かい合った。
◆◆◆
「ただいまの一撃、まことに見事でございました、若――いやさ、
「あっさりと打ち消しておいて、見事といわれてもな。皮肉か
わざとらしく言葉尻を真似てくる空の毒気に、ゴズはなんと返したものか迷うように唇を引き結んだ。
その姿を空は油断なく見据える。
空はかつての
先の一幕は、数珠丸の力が
もちろん、数珠丸のそれは何でもかんでも打ち消せる万能の力ではなく、上位の相手には通じない。
ただ、御剣家四卿のひとりであるゴズの実力は、他の八旗の隊長クラスに匹敵する。ゴズ相手に思うさま心装を振るえる者など数えるほどしかいない。
空とて例外ではない。数珠丸によって力を打ち消された時点で、彼我の力量差は明白になってしまった。その状況で「見事だ」と称されたところで、どうして喜ぶ気になれるだろう。
そう思う空に対し、ゴズは真剣な表情で言葉を重ねた。
「おためごかしを申したつもりはありませぬぞ。威と力に満ちた一刀でござった。
そこまで述べたゴズは、ここでかすかに眉根を寄せる。
「だからこそ、申さずにはおれませぬ。空殿、それだけの力を持っていながら、何故に
「それがどうした」
空はゴズの苦言を一蹴する。
はたから見ればどうだったかは知らないが、空にとってここまでの戦いは薄氷の上を歩くようなものだった。
相手はかつての
それと同時に、一対一で戦っている間、他の二人がスズメを狙って動くことがないように相手の動きを封じなければならなかった。
そのための最適解が先の戦闘だったのである。後悔はない。良心の痛みもない。
空が一つだけ危惧していたのは、最初からゴズが向かってくることだった。
ゴズのことだ、心装を抜いた時点で空の力量を見抜くだろう。ベルヒの姉弟が敗れる可能性にも思い至るはずだ。初手からゴズが動く可能性は低くなかった。
だが、空はかつての
結果はまさに予測どおりとなったわけだ。そのゴズが今になって何をいおうと耳を貸す必要はないはずだった。
平然とした空の様子を見て、ゴズは内心で苦りきった。
ここまでの会話を思い起こせば、自分の言葉が空にまったく届いていないことは明白である。
鬼ヶ島にいた頃、空との間にここまでの
庇護している鬼人や、他の仲間を傷つけられた怒りはあるだろう。
だが、一連の言動から感じられる空への違和感は、一時的な感情によってもたらされるものではない。もっと深く、人間としての本質部分で歪んでしまっている――ゴズにはそのように感じられた。
かつての空が持っていて、今の空が持っていないもの。
かつての空から感じられて、今の空からは感じられないもの。
それは何なのか。
ゴズはゆっくりと口を開いた。
「――
「ふん、試みに問おうか。それは何だ?」
「国を護り、民を守らんとする志。すなわち、護国救世の誇りでござる」
「………………」
「誇りなき剣は虚ろの穴に落ち行くのみ。御館様も、
「黙れ」
冬の井戸水よりも冷たい声がゴズの言葉をさえぎる。
夜のように
「島を追放されてから五年。地べたをはいずりながらここまで来た。確かに、かつて望んだ姿じゃない。母さんは失望しているかもしれないな。だが、それをお前にいわれる筋合いはないんだよ。五年前に俺を見限ったお前にな」
「空殿。この身は御剣家の司馬として、また幻想一刀流の先達として、御剣家の意向に従わない心装使いを罰する責務を帯びております。それがしの言葉を聞く耳もたぬとおっしゃるのであれば――やむをえませぬ。これよりは言葉でなく、剣でもって
「望むところだ。できるものならやってみろ、ゴズ・シーマ!」
空が叫ぶ。使い手の怒りに呼応するように、心装から黒い