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幕間 鬼ヶ島にて



 強力な魔獣、妖怪が跋扈ばっこする鬼ヶ島において、人々が安心して暮らせる場所は一箇所しか存在しない。


 幻想一刀流の創始者にして初代剣聖が築いた要塞都市、名を柊都しゅうとという。


 柊都を天頂から俯瞰ふかんすると、綺麗な七芒星ななぼうせいを形づくっている。


 いわゆる星型要塞であり、この七つの防御郭を外敵から守護するのが青林八旗に課せられた二つの絶対任務のうちの一つであった。



 七つの郭を守るのは第二旗から第八旗までの七部隊。当主みずから率いる第一旗は柊都の中心に展開している。


 彼らは七つの郭の後詰ごづめであると同時に、もう一つの絶対任務を遂行する役割を帯びていた。


 すなわち、柊都中央に存在する鬼門、ここからあふれ出る魔物を押しとどめる役割である。




 外から押し寄せる脅威と、内からあふれ出る脅威。建設以来三百余年、柊都は絶えず二つの脅威にさらされ続けてきた。


 それは他の都市、他の国であれば、瞬く間に住民もろとも押しつぶされたであろう絶望的状況。


 だが、柊都は今日なお健在であり、城壁の中では大人たちが額に汗して働き、子供たちは笑いさざめいている。


 彼らは信じていた。柊都をおびやかす脅威など存在しない、あるいは存在しても決して自分たちの身に降りかかることはない、と。


 その信頼は盲信でもなければ幻想でもない。三百年の長きに渡る平和がもたらした確固たる現実、根も葉もある信頼なのである。


 その奇跡を具現せしめたからこそ、島を治める御剣家の信望は柊都しゅうとの城壁よりも厚く、見張り塔よりも高いのだ――ゴズ・シーマはそう考え、前を歩いている主君の後ろ姿を誇らしげに見やった。




 第十七代剣聖、御剣式部(しきぶ)


 身体つきは痩身そうしんで、際立った長身というわけでもない。


 中肉中背。背の高さも身体の厚みもゴズの方がまさっているだろう。 


 だが、身のうちに蓄えられた力は比較にもならぬ。剣聖の名は伊達ではなく、御剣式部は地位だけでなく実力においても青林八旗の頂点に立つ。


 鬼ヶ島最強、それはつまり帝国最強ということであり、ひいては世界最強ということ。


 ゴズは主君を心底より尊敬しており、妹のセシルが主君の子を産んだことに無上の光栄を感じていた。




 式部の子は多く、今年四歳になる甥のイブキが御剣家を継ぐことはないだろう。


 だが、その事実はいささかもゴズの感動に影響しない。シーマの家に剣聖の血が入った、それだけでゴズは亡き父母や代々のシーマ家当主に胸を張ることができる。


 成長したイブキに剣を教える日が、今から待ち遠しくてならなかった。



 ――そう考えたとき、不意に脳裏に一人の少年の姿が思い浮かび、ゴズの顔に沈痛なものが走る。


 かつて主君よりあずけられた御剣の嫡子。


 手塩にかけて一人前の旗士に育てあげようとして、けれど果たせなかった苦い記憶。


 たもとをわかってからはや五年。今ごろ何をしているのか――そんなことを考えているうちにも式部は歩を進めており、ゴズは慌てて主君の後を追った。




 やがて式部が足を踏み入れたのは地下であった。


 長い階段を下りて、下りて、さらに下りてたどり着いたのは、日の光の届かない地底の一室。


 そよ風ひとつ起きない閉塞した空間に、無数とも思える蝋燭ろうそくが並べられている。


 見れば、ほぼすべての蝋燭に火がともっていた。


 風が起きないということは空気の流れが途絶えているということ。そんな場所でいつまでも大量の火がともるはずはないのだが、どの蝋燭の火も赤々と燃えており、消える気配はない。



 ゴズはその部屋に足を踏み入れるや、無意識のうちに眉をひそめていた。


 部屋の中央には、無数の蝋燭に囲まれるようにして一人の老婆が座っている。この部屋にある蝋燭は、すべてが老婆の心装であることをゴズは知っていた。


 その能力は、この場に居ながらにして全青林旗士の状態を把握すること。


 当然、蝋燭の中にはゴズの分もあり、おそらくは式部の分もあるのだろう。


 己の命が蝋燭という形で具現し、老婆の手に委ねられていることはひどく落ち着かない気持ちにさせられる。


 それゆえ、ゴズはこの場所が好きではなかった――別段、老婆が火を吹き消せば命が消えるというわけではない。そのことは理解しているのだが。


 と、ここで式部がはじめて口を開いた。



「倒れたのはいずれの旗士だ?」



 低い声が室内にこだまする。主君の問いに応じて老婆が口を開いた。



「第四旗、第九位にございますじゃ、御館様」


「……慈仁坊じじんぼうか」


「御意。心装を使用しておりましたゆえ、戦いの末に討たれたことは間違いないと存じまする」



 後ろでそれを聞いたゴズは、先ほどとは違う意味で眉をひそめた。


 ゴズは慈仁坊が誰で、どこで何をしていたかは知らない。だが、島で戦死者が出れば必ずゴズの耳に入るはずだ。


 ということは、慈仁坊とやらが戦死したのは島の外ということになる。


 心装を会得した一桁ひとけた台の使い手が外の人間に殺された。それも奇襲や不意打ちではなく、心装を使用した状態で。


 それはゴズほどの武人であっても眉を動かしてしまう異変であった。





 しばしの沈黙の末、式部の口が動く。



「ゴズよ」


「は!」


「慈仁坊はカナリア王国におもむいていた。かの国の王太子と、咲夜さくや姫の婚儀を成立させる密命を帯びてのことだ。これは帝の勅命ちょくめいであり、しくじったとなれば帝臣どもが騒ぎ立てよう。青林の旗士を討った者の正体も気にかかる」


「御意にございます。されば、それがしがカナリア王国におもむいて事の次第を明らかにしてまいりましょう」


「任せる。麾下の旗士から二人ばかり連れて行け」



 それはゴズの手腕を疑ってのことではなく、若い旗士に外の世界を見せてこい、という命令であった。


 島での生活しか知らない若者に外の世界を見せるのは、教養の面から見ても必要なことである。


 ただ、島ではひらの旗士でも、外の世界では英雄級の戦力になる。その事実を知った若者の中には、島での過酷な戦いよりも、外での栄耀栄華を求めて出奔しゅっぽんしようとする者もあらわれる。


 ゆえに目付け役が必要であり、式部は事のついでにゴズにそれを命じたのである。


 これ一つとっても、式部が今回の一件を重要視していないことは明白であった。式部の関心は己の剣と鬼門の守護にしかないのである。


 だが、主君の内心がどうであれ、臣下たる身は下された命令に全身全霊で応えねばならぬ。


 ゴズは力強くうなずいた。



「承知いたしました。お言葉に従い、若い者たちに外の世界を見せてまいりましょう」



 そう口にしたゴズの脳裏に二人の若者の名前が思い浮かぶ。


 くしくも、先刻思い浮かべた先の嫡子と同年の者たち。


 アヤカやラグナと同じく、黄金世代と称えられた七人の中の二人であった。




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