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第六十六話 予期せぬ決意、予期せぬ訪問



「ご主人さま、お話があります」



 獣人の少女シールがひどく思いつめた表情で切り出してきたのは、俺たちがイシュカに戻る前夜のことだった。


 はて、話とは何かね――そんな風にとぼけようとしたが、相手の顔を見て思いとどまる。


 表情を見れば、向こうが真剣であるのは明らかだ。であれば、こちらも真剣に応じるべきだろう。それにシールの言う「お話」の内容は見当がついていた。



「話というのは襲撃の夜に見たことについて、か?」



 こちらの問いに、シールはこくんとうなずいてみせる。 


 やっぱりか、と思いつつぽりぽりと頬をかく。


 襲撃の夜というのは、もちろん慈仁坊じじんぼうが襲ってきた夜のことだ。


 あのとき、俺はクラウディアに大量の魂を与えてぶっ倒れていた。慈仁坊が心装を励起した際、その強い気配で目を覚ましたわけだが、即座に戦いに出られる状態ではとうていなかった。



 それでどうしたかといえば、その場にいた――倒れた俺の看病をしてくれていた――ルナマリアの魂を喰ったのである。


 で、同じく看病をしてくれていたシールにおもいきりその現場を目撃されたわけだ。


 状況が状況だったので、俺はけっこう強引かつ大量にルナマリアの魂を喰った。


 結果、ルナマリアは倒れ、俺はそんなルナマリアをシールに託して慈仁坊のもとへ向かったのである。




 これではシールが不審を抱くのも当然といえる。なにせ、ルナマリアは明らかに俺との接吻が原因で倒れている。


 後から冷静に考えれば、いったんシールに席を外させる等いろいろ手はあったのだが、俺も俺でかなり慌てていたのだ。なにせ心装使いの気配でたたき起こされたばかりだったので。


 今のシールに「いつも寝起きにはルナマリアと接吻キスしているんだ」などと言っても納得はしてくれないだろう。


 主人と奴隷という立場を利用して「忘れろ」と命令すれば、シールは疑問を引っ込めるはずだが……俺はこれからルナマリア以外にも「魂喰い」をおこなう人間を増やそうとしている。同じ家で暮らしているシールに似たような場面を見られる可能性は増す一方だ。


 そのつど、いちいち言い訳を考えたり、忘れろと命令するのも面倒な話である。




 今回の王都襲撃で、俺の出自や幻想一刀流、心装の情報はドラグノート公爵家に漏れた。


 ならば、シールにそれらを隠しても意味はない。


 そもそも、シールとルナマリアの二人は公爵も知らない俺の秘密――抱いた相手がパワーアップする――を知っているのだ。なおさら隠す意味はない。


 ある意味、今回のことは秘密を明かす良いきっかけだった。


 問題は、魂を喰らうという吸血鬼じみた能力にシールが恐れおののき、俺から逃げようとすることだが――うん、そうなったらそうなったで、当初の予定どおりに奴隷から解放して故郷に戻らせればいい。


 もちろん口止めをした上で。そして、それを守らないようならシールもまた「敵」と判断するだけのことだ。




 そんなことを考えつつ、かくかくしかじかとシールに説明。


 シールはフンフンと真剣な顔つきでうなずきながら説明に聞き入る。


 そうして、すべてを聞き終えたシールはほぅっと息を吐きながら口を開いた。



「そういうことだったんですね。話していただき、ありがとうございます」


「……それだけ?」


「それだけ、とは?」


「いや、自分で言うのもなんだが、他人の魂を喰らう奴とか危険だろう? もっとこう、怖がるとか、怯えるとかすると思ってたんだが」


「…………きゃ、きゃー?」


「わあ、疑問系の悲鳴とか初めて聞いた」



 わざとらしく頭を抱えて座り込んだシールを見て、俺は反応に困って眉を八の字にする。


 いやまあ、すべてを聞いた上でシールが冗談を言えるというのは、俺にとって悪くない結果ではあるのだが。


 すると、シールはくすくす笑いながら立ち上がった。



「がんばって怖がってみました」


「いや、怖がれ、怯えろって言ったわけじゃないんだが……しかしあれだな、はじめて会ったときは耳の先から尻尾の端までカチカチにして固まってた子が、冗談を言うようになるとは感慨深い」


「あの時は、どんな人が私を買ってくれたのか分かりませんでしたから。その後も、何日も眠る暇がないくらい耳や尻尾を撫でられたりしましたし……」



 だから緊張が解けるまで時間がかかった、と訴えるシール。


 こころなし恨めしそうな顔で見つめられ、俺はついっと視線をそらした。


 そんな俺を見て、再度シールは楽しげに笑う。


 そして、その笑いが消えるや、獣人の少女の口から思いがけない言葉が放たれた。



「――あの、わ、私も食べるつもりなんですよね?」


「む?」



 なんのことか、と首をかしげると、向こうも同じ角度で首をかしげた。



「私を鍛えているのは、レベルを上げて、食べるつもりだから、ではないのですか?」



 それを聞いて、俺はぽんと手を叩いた。


 ルナマリアに戦い方を教えさせたり、抱いて力を与えたり。


 そういったことはいずれ自分の魂を喰らうための下ごしらえですよね、とシールはたずねているわけだ。




 はっきり言って誤解である。そもそも俺の精が他者に影響を与えると知ったのも最近のこと。シールを抱いた理由は単純に情欲だった。


 ただ、すべてを知ったシールから見れば、俺の一連の行動は「そういう目的」にしか思えなかったことだろう。


 その点は理解できたから、あらためて否定しようと思ったのだが――



「あ、あの、私はいつでも大丈夫ですので!」



 獣人の少女は両の拳を握り締め、ぐいっと詰め寄ってきた。


 俺、思わずのけぞる。



「だ、大丈夫、というのは?」


「ルナさんと同じことをしても大丈夫です! 覚悟はできてますから!」



 至近距離。真剣な眼差し。上目遣い。


 緊張のせいか決意のためか、オセロット(ヤマネコ)の耳がピンと立っている。


 俺はちょっとだけ後ずさりつつ、慌てて両手を左右に振った。



「い、いやいや、大丈夫、心配しないでいい。シールの魂を無理に喰うつもりはないから」


「無理に、ではありません。私がご主人さまのお役に立ちたいから、申し出ているんです」


「……ぬ」



 シールの真摯な言葉に返答に詰まる。 


 本音を言えば(魂的な意味で)シールを喰いたいという欲望はあった。間違いなく美味いという確信もある。


 夜を共にしている時とか、事が終わってすやすや寝ているシールを間近で見ている時とか、そっち方面の誘惑に駆られたことは一度や二度ではない。


 だが、俺は魂を喰らう相手は――殺すにせよ抱くにせよ――こちらに敵意、害意を持つ相手のみ、と決めている。


 そこに抵触ていしょくしないシールを喰うわけにはいかなかった。




 ――ただ、そう思う一方で、俺の心の中に「本人がいいといっているのだからかまわないではないか」と囁く声があるのも事実だったりする。




 その声の源は慈仁坊じじんぼうとの戦いだ。


 あの老爺ろうやを斬った俺は、当然のように老爺の魂も喰った。結果、俺のレベルは『9』にあがった。


 もともと王都に来た段階で俺のレベルは『8』。そこからルナマリアに魂を付与して『7』に落ち、さらにクラウディアに魂を与えて一気に『5』まで減った。


 そこからの大上昇。慈仁坊ひとりで一気に四もレベルがあがったわけで、ここまでの急上昇は蝿の王の巣以来である。


 同時に、一向に超えられなかったレベル『9』の壁も破れたわけで、レベル『1』だった頃、俺をさいなみ続けた「才能限界」の幻影も消え去った。


 ここまではめでたしめでたしといっていいだろう。




 ただ、今回のことで改めて実感した問題がある。


 それが俺のレベルの上がりにくさだ。


 もう何度も述べたが、俺がレベル『8』になったのはグリフォンを倒した時。それ以降、バンシーやらスキュラやらワーウルフやらバジリスクやらを倒し、ルナマリアの魂も継続的に喰ったが、それでもレベルは上がらなかった。


 今回、レベル『73』である慈仁坊を喰らってその壁を破ったわけだが、当然のこと、レベル『10』の壁は『9』よりもさらに分厚いことが予想される。


 これまでどおりのやり方をしていたら、いつまでたっても強くなれない。




 今後、慈仁坊の代わりに鬼ヶ島から派遣されてくる相手が、俺の手に負える相手だという保証もない。悠長に構えている余裕はないのだ。


 そもそも慈仁坊からして決してたやすい相手ではなかった。


 心装も本人も「術使い」であった慈仁坊は、俺にとってかなり相性が良い相手だった。もし、慈仁坊が異なる特性の持ち主だったらもっと苦戦していたに違いない。


 その意味でもレベルアップは急務なのである。




 以上のことから、シールの申し出は俺にとって渡りに舟といえる。 


 俺が魂を喰らう相手に条件をつけたのは、力におぼれて強引に他者を襲うような怪物にならないため。もっと具体的にいえば、過日の娼館での過ちを繰り返さないためだ。


 喰われる当人が事情を承知した上で「喰っていい」と言っているのならば、別段、当初の条件を遵守する必要もない。


 俺はしばし考え込んだ末、シールに確認した。



「魂を喰われた影響が後になって出てこないとも限らないんだぞ?」



 俺に喰われた魂は時がたてば回復する――俺はそう判断しているが、ミロスラフやルナマリアが、ある日突然急死したり、発狂したり、あるいは廃人になったりする可能性もゼロではない。


 度重なる魂喰いによって性格、人格に変容をきたすことも考えられる。俺を蛇蝎だかつのごとく嫌っていたミロスラフが、気味が悪いほど従順になった例もあることだし。


 これは程度こそ違え、ルナマリアにも共通する事項だった。




 俺はそのあたりもシールに告げたのだが、獣人の少女が俺を見る眼差しに変化は起きなかった。


 ここまで来ると、俺としてもシールの決意を嬉しく思う気持ちがわいてくる。


 ならば遠慮なく――とつい言ってしまいそうになったが、シールの首にはめられている奴隷環を見て、はやる気持ちをおさえた。




 シールは奴隷として俺に生殺与奪の権利を握られている。当然、それは今回の行動にも色濃く影響しているはずだ。


 それはつまり、魂を食べてもいいという言葉は決してシールの自由意志ではないということ。同じ奴隷であるルナマリアがやっていることなのだから、というプレッシャーもあったと思われる。


 そういった気持ちに乗じるのはさすがにいかんだろう。確かに「無理やり」ではないが、同じくらいにタチが悪い。


 とはいえ、シールの魂が魅力的なのも事実。


 だから、俺は手順を踏むことにした。




「よし、そういうことなら、シールを奴隷から解放しよう」


「え? でも、それは……」



 戸惑いながら何かを言いかけるシールに、俺は言葉をおしかぶせる。



「それでも気持ちが変わらなかったら、その時は遠慮なくいただくことにする」



 とりあえずイシュカに戻るまでこの話は棚上げで――そう言うと、シールはめずらしくちょっとむすっとした顔をした。


 自分の決意をいなされたように感じたのかもしれない。


 まあ、覚悟を決めて申し出たことを後回しにされたのだ、不機嫌になるのも仕方ない。


 その点は申し訳なかったが、今のシールを喰らうのはなけなしの良心が痛むので勘弁してください。



 しかし、まさかシールがこんなことを言い出すとは思わなかった。そのうちスズメも似たようなことを言い出さないだろうな――そんなことを考えながら、俺はご機嫌ななめのシールのフォローに四苦八苦する羽目になった。


 普段は穏やかな子でも、あるいは普段は穏やかな子だからこそ、一度へそを曲げると大変なんだと実感する。


 幸い、シールの不機嫌は長続きせず、翌日に王都を発つ頃にはすっかりいつものシールに戻ってくれたので、こっそり安堵の息を吐く俺であった。




 なお、今回の帰還にクラウディアは同行していない。


 本人は一緒に行きたがったのだが、さすがに襲撃から日が浅く、さらにいえば一年の長きにわたる呪いから解放されて間もないとあって、すぐの移住はドラグノート公が首を縦に振らなかったのである。


 クラウディアは、ある程度体調が落ち着くのを待ってからイシュカに来ることになっている。




 そうして俺たちは、先の襲撃の爪あとがあちこちに残された王都を出立し、一路イシュカへと向かった。


 実をいえば、クラウ・ソラスにご執心の王太子や、帝国にべったりのコルキア侯あたりから接触なり妨害なりがあると予想していたのだが、どうやら彼らは慈仁坊の一件でそれどころではないらしく、帰路はいたって平穏だった。


 数日を経ずして見慣れた城壁を視界に収めたとき、思わず安堵の息を吐いたのは俺の警戒心のあらわれである。


 何事もなく帰ってこられてよかった――そんな風に思ったわけだが、安堵するのは少しばかり早かった。


 というのも、自宅の前に見覚えのある青年が、ひどく憔悴しょうすいした顔で座り込んでいたからである。




 その青年の顔を見た瞬間、俺は反射的に眉をひそめ、相手の名を呟いていた。



「……ラーズ?」



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