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第六十四話 決着




「――なるほどね」



 腐蝕の魔法に足をとられ、火炎の魔法に肉迫されながら、俺は小さくつぶやいた。


 城塞にも匹敵する第八(けん)の防御魔法で身を守り、そこから自身と心装による二種の魔法で敵を討つ。


 さながら篭城戦のごとき戦い方こそ慈仁坊じじんぼうの本領なのだろう。



 おそらくは慈仁坊自身が優れた魔法使いであり、心装抜きでも上級魔法を行使できる腕前を持っている。


 それに心装とけい、二つの力を加えているわけだから、そこらの兵士や冒険者では相手にもなるまい。


 その気になれば、慈仁坊ひとりで一軍を相手にすることもできるに違いなかった。




 こちらに迫る第五(けん)の火魔法『火炎姫』の威力もすさまじい。


 俺もこの魔法を使うことはできるが、けいの力を上乗せしても、触腕の数は六本が限度だ。


 ところが、慈仁坊のそれは軽く十本を超えており、炎の太さ、肉迫する速さも段違い。直撃されれば、俺の身体はまきのように燃え上がり、瞬く間に消し炭にされてしまうだろう。


 これ一つとっても、俺と慈仁坊の術師としての力の差は明白だった。




 ――ま、だからどうしたって話だが。




 そんなことを考えながら、眼前に迫った一本目の炎を心装で叩き斬る。


 轟々(ごうごう)と音を立てて襲ってきた灼熱のかいなが、その熱量ごと一瞬で消し飛んだ。


 「四散」したのではない。「消滅」したのだ。まるで見えざる魔獣に丸呑みにされたように。


 俺の顔には熱気の一片さえ吹きつけてこなかった。感じたのは、せいぜい焦げ臭い微風そよかぜくらいのものである。




 俺はさらに刀を振るった。


 二本、三本、四本。


 立て続けに襲い来る炎の触腕しょくわんを端から喰らっていく。


 その数が十二を数えた段階で火炎姫の魔法は消失した。




 そのことを確認した俺は、ついでとばかりに地面に刀を突き立てる。


 すると、地面を腐らせていた魔力が吸い込まれるように刀身に吸収されていった。


 一度腐った地面は元には戻らなかったが、泥土に腰までかった者たちがそれ以上地面に飲み込まれることはなくなった。


 不自然な魔力の消失を感じ取ったのだろう、慈仁坊が多量の驚きと微量の狼狽を溶け合わせた声を張りあげる。



「……ヒ、ヒッヒヒヒ! なるほど、なるほど! 若の心装の能力は吸収でござったか! それも魔力の吸収に特化したものとお見受けする! 先に瓦崗寨がこうさいを破壊したのも、その能力の応用ですな? 魔術を扱う拙僧にとってはまさに天敵!」



 そう口にするや、慈仁坊は心装を激しい手つきでかき鳴らした。



「したが、一度に吸収できる魔力には限りがござろう? 広域魔法で四方から攻撃すれば、すべてを避けることはできますまい。そして、吸収できる魔力の総量にも限界があるはず。この手の能力の、それがことわり。限界を超える魔力を吸収すれば、溜まった魔力ごと若の身体は四散する。拙僧の魔術の真髄をもって、若を飽食地獄に案内あないして進ぜよう!」



 死塚御前が悲鳴のような詠唱を開始する。それは寒気のする抑揚をともなって、闇夜の公爵邸に響きわたった。



「『――エリ・エリ・ウルス・エリ・ウルス、守るは餓鬼がきこもるは怨霊おんりょう、響きわたるは魑魅ちみ快哉かいさい』」



 その声はこれまで以上に苦しげで「悲鳴のような」というよりは「悲鳴そのもの」だった。


 心装は使い手の同源存在アニマ。人間のそれとは意味が異なるにせよ、生きて、存在している。たぶん意思だってあるだろう。


 慈仁坊は己の半身にむごい苦しみを与えながら、さも愉しげに口を開いた。



「ひとつ、若に魔法の秘奥を教授いたしましょうぞ。世にいう魔法、魔術と呼ばれるものには『正』の一文字がつき申す。たとえば拙僧が得手とする『瓦崗寨がこうさい』は土の正魔法と呼ばれますな。この『正』の意味を知る者は、魔術師の中でも存外に少ない」



 慈仁坊は語る。


 魔とはすなわちこの世ならざるモノの意。魔法はこの世ならざる法理によって動いており、本来ならば人間には扱えない技術であった。


 その魔法を人の手にもたらしたのがいにしえの召喚術師たちだ。


 彼らは高度な戦闘力を有する悪魔と契約を交わし、悪魔の技術を人間に扱えるように改変した。


 これが世にいう魔法、魔術である。



「正魔法とはすなわち『正しく改変された』魔法のこと。であれば当然のこと、改変されていない原初の魔法も存在する。拙僧ら高位術師はこれをしょく魔法と呼んでおりますじゃ」



 人間の手では扱えない悪魔の魔法。


 その使用には多大な魔力と精気を必要とする。悪魔であれば何と言うこともない消耗でも、人の身には耐え難い。


 ゆえに蝕魔法の使用は心身に不可逆の変化を強いる。簡単にいえば、使えば使うほど人間ではなくなっていくのだという。



「高名なところでは吸血鬼ヴァンパイア不死者リッチ。これらの魔物の中には、人の身で魔術を極めんとしてちた者どももおりまする。言うまでもなく危険な知識ですが、魔法使いとして高位に昇るためにはしょくの修得は避けられぬ。良きじゅに力を与えるためには悪しきじゅも知らねばならぬ。きちしか入っていないおみくじに価値などありませんからな」



 蝕魔法に関しては賢者の学院でも教えない。


 自ら蝕魔法の存在に気づき、修得することが一流の術師にいたる条件なのだ――慈仁坊はそう語る。


 そうして、語り終える頃には死塚御前の詠唱も終わりに近づいていた。



「ヒヒヒヒ! これより放つは原初の瓦崗寨がこうさい、第八(けん)の大禁呪! 行使にともなう不利益も、心装にかぶせれば拙僧には及びませぬ! 悪魔に呪われ、堕ちていくは心装のみ! しかして、その強力無比なる呪いを浴びて、心装はより強く、より深くなっていく! これこそ我が妻の化身たる死塚御前の真髄なり! さあ、さあさあさあ、若――いやさ、御剣空! この禁呪、喰らえるものなら喰らってみるがよい!」


「『五臓ごぞうを積みて壁となし、血を絞りてほりとなせ。其は辺獄のとりでたり――餓絞寨がこうさい』」




 詠唱の終了と共に、血の色をした城門が現出し、音をたてて開かれる。そこからあふれ出たのは餓鬼がき怨霊おんりょう魍魎ちみ魍魎もうりょうの大軍だった。


 地獄の城と、そこに駐留する亡者の軍団を丸ごと召喚する大魔法。


 瓦崗寨がこうさいが砦の防御面を主眼とするなら、こちらは砦の攻撃面を主眼とする魔法であるようだ。


 いかに俺の心装が強力であっても、四方八方から襲いくる亡者を同時に迎え撃つことはできないし、無限に等しい軍団すべてを喰らいつくすこともできない――それが慈仁坊の考えなのだろう。




 その正否はともかく、狙いとすることは理解できる。


 が、こちらが向こうのやり方に付き合ってやる義理はない。


 俺は長広舌ちょうこうぜつを振るう慈仁坊を、長文詠唱を続ける死塚御前を、指をくわえて見ていたわけではない。


 右手の心装にはすでに限界量のけいを注ぎ終えている。


 いつかティティスの森でマンティコアの群れを殲滅した時と同様、注ぎ込まれたけいはらせん状にうずをまいて黒い刀身を覆っていた。




 ただ斬撃を飛ばすだけのはやての先。彼我の距離さえ喰らう貪食の一刀。




 ――カタカタと刀身が鳴っている。


 吼えるように。あるいは笑うように。


 その様は、まるで標的となっているのがマンティコアとは比べ物にならない魂であることがわかっているかのようだった。


 食卓についた子供が、食器を叩いて早く喰わせろと騒いでいるかのようだった。




 その望みをかなえよう。


 俺は気合の声と共に、高々と掲げた刀をわずかにななめ――袈裟がけに振り下ろした。




◆◆◆




「………………ほ?」



 すべての音が消えうせた公爵邸の庭で、最初に声を発したのは慈仁坊であった。


 慈仁坊は右手でおのれの身体を探る。


 はじめに左の肩を、次いで右の腰を。


 そうして、自身の左肩から右腰にかけて、深々と刀傷が刻まれていることを確認した。


 さらに言えば、左手で抱える心装さえ半ば以上切り裂かれていた。




 慈仁坊がそのことを確かめるのを待っていたように、その場にいたすべての人間の耳に数千のガラス板を砕いたような音が轟きわたる。


 俺の一刀で切り裂かれた二種の魔法が砕け散った音であった。


 魔法の消失と同時に、この世に解き放たれようとしていた餓鬼の軍団も元いた場所に送還された。



「ヒ……ヒヒ、ヒヒヒヒ!」



 慈仁坊の口から甲高い笑い声――いや、絶叫がほとばしる。



「馬鹿な、馬鹿な……馬鹿な! 第八(けん)の魔法、それも正蝕二つの魔法を、ただ一刀で切り裂いたじゃと!? いや、これは切り裂いたなどというものではない。かけらも魔力が残っておらぬ……飲み干したのか、飲み干せたのか!? 馬鹿な、ありえぬ! 吸収の能力は確かに恐るべきなれど、強力なるがゆえに枷もまた大きいもの。そうでなくば釣り合いが取れぬではないか!!」



 ひとり狂騒する老人に向けて、俺はゆっくりと歩み寄っていく。


 腐った地面はひどく歩きにくかったが、老人は逃げる素振りを見せなかったために問題はなかった。


 まあ、逃げるといっても、老人の身体に刻まれた傷は間違いなく致命傷。それは流入してくる魂の量が物語っている。


 だから、逃げるだけ無駄ともいえるのだが、慈仁坊がそれほど潔い性格とは思えない。


 その慈仁坊が逃げようとしないのは、おそらく逃げるという選択肢が浮かばないほどに動転しているからだろう。


 実際、慈仁坊はなおもわめき続けている。



「心装は使い手の心を形にするもの! 禁呪を飲み干すなど、貴様、身の内にいかなる化け物を飼っておるのじゃ!?」



 おや、「若」が「貴様」に変わったな――などと嘲弄しようかと思ったが、この老爺と言葉を重ねても得られるものは何もないだろう。


 それに、いかに敵といえど、死に瀕した老人をなぶる姿をこの場にいる人たち、特にドラグノートの姉妹に見られたくはなかった。


 だから、俺は余計なことを口にせず、ただ相手の末期まつごの言葉を聞き届けるために口を開いた。



「もうじき死ぬ御坊が、それを知っても仕方ありますまい。最期に何か言い残すことはありますか?」


「しぬ……死ぬ!? 拙僧を殺すというのか! 待て、いやさ待たれよ、若! 御剣の嫡子たるおぬしが、青林の旗士たる拙僧を手にかけるのか!?」


「あいにくこちらは追放された身。御坊の主君に遠慮する必要はありません」


「早まるでない! そうじゃ、拙僧が若のための証人となろう! この身は青林の第四旗、第九位に位置する者! 今の若の力を見れば、御館様も勘当かんどうを解かれるはず!」


「無用です。いまさら勘当を解いてもらうつもりはありませんよ。まあ、御剣は母さんの姓でもある。だから、いずれ姓だけは回復するつもりですが、そのために御坊の力を借りるつもりはありません」




 言って、俺は素早く心装を動かした。


 黒刀の切っ先が死塚御前の顔を貫く。


 先ほど刃を交えたときはこちらと同等の硬度を備えていた死塚御前だったが、先の一刀で受けた損傷が響いたのか、通常の琵琶のようにもろかった。


 自動オート反撃カウンターも発動せず、死塚御前は拍子抜けするほどあっさりとちりになって四散する。




 ……そのとき、ほんの一瞬、耳元で誰かが何かをささやいたような気がした。


 ただ、その声はあまりに小さく、意味を理解することはできない。


 俺にわかったのは、その声がひどく穏やかで優しかったことだけである。




 と、心装を失った慈仁坊が両目をカッと見開き、口を大きく開いた。


 そこから絶叫がほとばしる寸前、俺は黒刀で慈仁坊の首をいだ。


 慈仁坊が末期の言葉を述べる心持ちでないことは明らかで、それなら言葉を重ねる必要もない。


 首をねた俺は即座にきびすを返す。




 その背後で胴から分かたれた皺首しわくびが地面に落ち、首から噴水のように血が吹き上がった。





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