第五十五話 おてんば姫
国王トールバルド、王太子アザール、それにコルキア侯爵。
俺が表彰の席で名前と顔を一致させたのはこの三人だけだった。
国王陛下についていえば、式典をシンプルにしたのが素晴らしい。アドアステラ帝国のうんざりするほど豪奢で華美で長ったらしい式典に比べて、疲労感は半分以下で済んだ。
王太子殿下は第一声が強烈だった。こちらの顔を見るなり「
どれくらいの迫力かというと、クラウ・ソラスを竜騎士団の厩舎に入れたところ、その場にいたワイバーンが一斉に静まり返り、長い首を地面に押し付けて恭順の姿勢をとったくらい。
王太子が一目ぼれするのも無理はなかった。
むろん、クラウ・ソラスを献上するつもりなんて
ただ、相手はこちらがうなずくと信じて疑ってないようだった。
王子の言動に底意地の悪さは感じない。クラウ・ソラスを欲しいという言葉も、本当にクラウ・ソラスを気に入ったからだ、というのは伝わってくる。
だが、こちらが命令を拒むとはみじんも考えていない態度は、傲慢とそしられても仕方ないものだった。
少年らしい覇気と王族らしい傲慢さをあわせ持った、ある意味、実に王子らしい王子だといえる。
ちなみにこの王子様、ドラグノート公爵やアストリッドの姿を見つけると、ばつが悪そうにそそくさと俺から離れていったため、
どうしたのだろうと首をかしげたところ、公爵が苦々しげに説明してくれた。
聞けばつい先日、王太子は公爵の次女であるクラウディア・ドラグノートとの婚約を破棄したばかりなのだそうな。
婚約破棄は父王の口からドラグノート公爵に伝えられたのだが、王太子は公爵に対して無言。クラウディアに対しても、会いに来ることはもちろん、手紙の一枚も送っていないという。
なるほど。それでは公爵たちと顔を合わせづらいだろう。
最後はコルキア侯爵である。ドラグノート公爵に次ぐ、カナリア貴族のナンバーツー。
アドアステラ帝国との友好を主張しており、独立自尊の政策をとるドラグノート公爵とは事あるごとに対立しているらしい。
「ソラ殿は帝国の出身とか。近いうちに席を設けるゆえ、故郷の話など聞かせてもらいたい」
そう言って親しげに笑うコルキア侯爵の体格は数字の「1」を連想させた。針金のように細く、木のように高く、たとえばドラグノート公爵のような武人らしい迫力は感じられない。
その一方で眼光は鋭く、
婚約破棄の一件はコルキア侯爵からも聞くことができた。ドラグノート公爵家の権勢が落ち目にあることを遠まわしに伝えるためだと思われる。
……カナリア王宮の政争なんて何の興味もないのに、いらない知識がどんどん増えていく。
他にもどこぞの伯爵やら騎士団の団長やらと話をしたのだが、そちらに関してはもう思い出すのも面倒だった。
◆◆◆
「――というわけで、可及的すみやかに帰りたいです」
「それをボクに言われても……? あ、でも、王宮が窮屈だってことには同意します!」
戸惑いながらも力強くうなずいてくれたのは、クラウディア・ドラグノート公爵令嬢だった。
場所はドラグノート公爵邸に併設されているワイバーン用の厩舎である。
表彰が終わった後、俺は公爵に頼んでクラウ・ソラスをこちらに移してもらった。王宮の方に置いておくと、あの王太子が何をするか分からなかったからだ。
で、なんでその厩舎に病身のクラウディアがいるのかと言うと――
「このところ調子がいいので散歩中です。動けるうちに動いておかないと、身体が弱る一方ですから」
とのことである。
長い金髪に薄紫の瞳。細すぎるほど細い手足に白すぎるほど白い肌。見るからに病弱の姫君という姿のクラウディアだが、性格はけっこう活発のようだ。
言葉づかいも令嬢というより令息という感じ。
そのクラウディアは目を輝かせてクラウ・ソラスを見つめていた。
「それにしても綺麗ですよね、この藍色の鱗。父上が
「それは私ではなく、本人に訊くべきですね」
「あ、そうですね! あのあの、クラウ・ソラス、すみませんが少し身体に触らせてくれませんか?」
「ぷぎ!」
「そこをなんとか! あ、ボクの名前、クラウディアっていうんですよ。親しい人たちからはクラウって呼ばれています」
「ぷぃ?」
「あなたはクラウ、ボクもクラウ。これはもう仲間といっても過言ではありません!」
「……ぷぎゅ?」
クラウ・ソラスはなにやら悩んでいる風だったが、名前に重きを置くワイバーンにとって「同じ名前」という
仕方ないな、と言いたげに一度だけ尻尾で地面を打った。
「ありがとうございます!」
お礼を言ってから鱗に手を伸ばすクラウディア。
シールが何十日とかけて詰めていった距離を、この短時間でゼロにするとは末おそろしい子である。
……ところで、ナチュラルにワイバーンと会話できているのは竜騎士の血か何かですか?
そういえば、姉のアストリッドもイシュカの厩舎でクラウ・ソラスに触れていたな。
竜騎士が乗るワイバーンは基本的に国の所有物なのだが、自宅に厩舎があることからもわかるとおり、ドラグノート公爵家は独自のワイバーンを二頭所有している。
そういう家で育ってきた姉妹だけに、クラウ・ソラスにも感じるところがあったのかもしれない。
「ところで、ソラさん」
「なんでしょう?」
「アザ……王太子殿下に、何か言われませんでした? この竜のことで」
「開口一番、献上しろと言われましたね」
「やっぱり……あの、悪く思わないであげてください。ちょっと口が悪いところと、調子にのりやすいところと、おだてに弱いところがありますが、それ以外は良い方なんです。昔から竜が大好きで、口癖みたいに竜騎士になると言ってましたから、
そう言った後、この説明ではなんらフォローになっていないと気づいたらしく、クラウディアは慌てて言葉を続けた。
「権力を使って無理やり召し上げるとかはしないはずなので、そこは安心してくださいッ」
「ほほう、そうなんですか?」
たしかに、婚約破棄のことでドラグノート公爵を避けていたところを見るに「欲しいものは何が何でも手に入れる!」というアクの強さは感じない。
そんな厚顔な人間なら、婚約破棄のことなど気にせずに公爵たちに挨拶していただろう。
「はい、そうなんです! もしコルキア侯あたりにそそのかされて悪さをしてくるようだったら、ボクがとっちめてやりますから! こう見えて、剣の腕は殿下よりも上だったんですよ? 竜の扱いもボクの方が上手でした!」
どうやら以前のクラウディアはかなりのおてんば姫だったらしい。
そんなことを考えていると、公爵令嬢はちょっとさびしげに続けた。
「だから、殿下はボクのこと、実はあんまり好きじゃないんですよね。殿下の好みはおしとやかな女の子だから。ボクも髪を伸ばしたり、口調を直したり、色々努力したんですけど、やっぱり中身はそうそう変えられるものじゃなくて……」
そう言った後、クラウディアはハッと顔をあげた。
慌てたようにふるふると首を左右に振る。その動きに応じて、くすんだ金色の髪が尻尾のように左右に揺れた。
「あ、ごめんなさい、ソラさんには関係のない話でした」
「いえいえ、アザール殿下の人となりを知ることができてほっとしました。正直なところ、王家が無理やりクラウ・ソラスを召し上げようとしたらどうしようか、と悩んでいたので。そのときはクラウディア様にお願いして、欲張りな王太子殿下をとっちめていただきましょう」
「あ……は、はい、まかせてください!」
一瞬の戸惑いから、ぱっと表情を明るくするクラウディア。
そんなクラウディアを見ていると、自然とこっちの顔もほころぶ。
姉であるアストリッドもそうだったが、クラウディアは公爵令嬢であるのに偉ぶるところがまるでない。
ジライアオオクスの恩があるからと言えないこともないが、ここまでの言動を見るに、これはクラウディア生来の性格だろう。
身分が上、実力が上。にもかかわらず対等に、好意的に接してくれる。そういう相手に俺は弱かった。
なにせこれまで、その手の人間はたいてい俺に非好意的であったから。
だからこそ、アストリッドやクラウディアのような相手には無条件で好意を抱いてしまう。
――かなうならば、目の前にいる少女を
俺の目にはクラウディアの異常がうつっている。極端なまでに少なくなった魂。
ちょうど、俺に魂を喰われた後のミロスラフがこんな状態だった。
だから、はじめはクラウディアの周囲に俺と似た能力の持ち主がいるのかと疑った。
しかし、見たところ、公爵家の中にそれらしい人物はいない。そもそも、一日中家族や家臣に守られているクラウディアから魂を喰うのは不可能だろう。
クラウディアは誰かに魂を喰われたわけではない。
ならばどうして魂がこれほどまでに減少しているのか。
それは、クラウディアの魂を容れる器が欠けているからだった。
底に穴の開いた茶碗を想像してもらえば分かりやすいだろう。
魂はなんらかの理由で失われても回復する。これはミロスラフの時に確認したことである。俺が何度喰っても、時間さえおけばミロスラフは回復した。
だから、クラウディアの魂も日ごとに回復はしているはずだ。
しかし、回復する以上にこぼれ落ちる量が多ければ、器の中身は減っていく道理である。
おそらく、これがクラウディアを蝕む呪いの正体。身体や精神の異常は、すべて魂の枯渇にともなう余波に過ぎない。奇跡や万能薬で一時的に回復しても、すぐに症状が再発する理由もこれで説明がつく。
今のままでは遠からず魂が底をつく。完治させるためには器の底に開いた穴を塞がなければならない――ならないのだが。
その方法がわからなかった。
俺にできるのは喰うことだけだ。治すことなんてできない。
ならば他人の知恵を借りるべきなのだが、そもそも魂うんぬんはすべて俺の感覚の話。自分の感覚に既存の言葉をあてはめているだけなのである。
そんなものを他人にどうやって説明しろというのか。ためしに魂を喰ってみせるというわけにもいかないのだ。
それに、道中、ルナマリアから聞いた一件もある。
かといって、それを理由にクラウディアの異常を見て見ぬふりをするのも嫌なのである。
ああ、もう、どうしよう!?
いっそ
ルナマリアとシールは、俺に抱かれた後、身体能力が飛躍的に向上したと言っていた。
レベルが上がったわけではないから、魂的なものには作用しないと思われるが、
ただ、これとて根本的な解決にはなっていない。
肝心の魂の漏出をどう食い止めるのか。
――こうなったら、後はもう、俺の魂をクラウディアに注ぎ込むくらいしか手はなかった。
当然、そんなことはこれまで一度も試していない。試そうと思ったことさえない。
だから、できるかどうかは分からないし、仮にできたとしても、クラウディアがどうなってしまうかはなお不分明だ。
大量の魂を注ぎ込むことで、かえって器が壊れてしまうこともありえる。
それに、魂を注ぐには唇を合わせる必要があるわけで、ちょっとためしにやってみる、というわけにはいかない。そんなことを言ったらドラグノート公爵に殺されてしまう。
そうだな。ここは一つ、ルナマリア――いや、イシュカに戻ってミロスラフで試してみよう。
ミロスラフで成功したら、王都にとんぼ帰りしてドラグノート公爵を説得――できる自信はないので、夜にでもこっそり忍び込んで令嬢の寝込みを襲おう。そうと決まれば今のうちに侵入経路を確立しておかねば。
……やろうとしていることは
そんなことを考えながら、クラウディアと共に屋敷に戻る。出迎えたのは心配そうな顔をしたメイド軍団だった。
クラウディアがお付きの人を連れて行かなかったのは、クラウ・ソラスを興奮させないためだったらしい。うん、やっぱり良い子だ。
これはなるべく早くイシュカに戻らねばなるまい。今のクラウディアの様子からして、そのくらいの猶予はある、と俺は考えていた。
――それが根拠なき楽観であったことを、俺はその日のうちに思い知ることになる。