第五十一話 宴の裏で
「まったく……次から次へときりがない。オーク全部を譲るのはやりすぎだったか?」
オークの討伐自体はワイバーンと心装の力でつつがなく終了し、上位種を含むオークの群れの魂は残さず奪うことができた。
あいにくというか、やっぱりというか、レベルは上がらなかったけれども。
報奨金やら素材やらをまとめてメルテの村に譲ったのは、俺としてはとどめの一撃のつもりだった。ここまでやれば、メルテ住民の俺への信頼は確固たるものになるだろう。
予定よりも早くイリアが帰ってきてしまったこともあり、ちょっと大盤振る舞いをしてみたのだ。
狙いどおり喜んでもらえるのは嬉しいかぎりだが――ここまで大騒ぎされるとちょっと困る。
というか、宴が始まってからこちら、串焼きの一本も食べることができないのはひどくないですかね。目に金貨のマークを浮かべて取り囲むのはやめてください。
しまいには前言撤回するぞ、こら。
用を足した後もあの場所に戻る気にはなれず、村の裏手にある空き地に向かう。
もう一人――もとい、もう一頭の功労者であるクラウ・ソラスにも何か食べさせねば、と思ったのだが、意外なことにそこには先客がいた。
「……セーラ司祭?」
と、チビガキ共ではないか。
そう言ったらものすごい勢いでブーイングされた。
「おれはチビじゃないぞ! あとガキでもない!」
「ないぞー!」
「ないのー!」
「ふはは、残念。俺から見ればチビだしガキなのだよ、悔しかったら身長と年齢で俺を抜いてみせるがよい!」
「くっそー、今に見てろよ! お前よりでっかくなってやるからな! あと年齢でも抜かす!」
「
「無理なのー!」
「うぇぇ!?」
をを、君たちツッコミもできたのか、
やいやい言い合っている三人組にかわって、セーラ司祭が口を開いた。
「この子たちが、せっかくのごちそうなのだから竜にも食べさせてあげないと、と言い出しまして。お昼前から準備していたのです。ここに来るとき、ソラさんもお呼びしようと思ったのですが、その……」
「ああ、周囲を隙間なく取り囲まれていましたからね……ところで、クラウ・ソラスが乱暴なことをしませんでしたか?」
心配になってたずねる。
すると、セーラ司祭はおっとりとした笑みを浮かべてうなずいた。
「はい、大人しくしていてくれましたよ。子供たちに気をつかってくれたのでしょう」
「それはよかったです」
俺はそう言って、ちらとクラウ・ソラスを見やった。
俺が来たことにも気づかず、
尻尾がドタンバタンと地面を打っているところを見るに、よっぽど気に入ったのだろう。
……これは子供たちに気をつかったとかではなく、単にごちそうしか目に入っていなかっただけではなかろうか。
かすかに漂ってくる、鼻にツンとくる香りから推測するに、樽の中身は――
「酢漬け、ですか?」
「そうです。酸っぱい物が好物と聞きましたので工夫してみたのですが、気に入ってもらえたようで何よりです」
こころなし満足そうに胸を張るセーラさん。
いわく、先日俺たちが
豚の丸焼きならぬ猪の丸焼きである。
で、肉を焼くかたわら、酢の方も準備してくれたわけだが、こちらもこちらで大変に手間がかかっている様子。村で採れた野菜を煮たり焼いたり炒めたり、様々な処理をしながら酢に投入して、酢の酸味と野菜の旨味が溶け合うように調整したのだとか。
うん、具体的に何をしたのかはよくわからないが、すごい手間をかけてくれたのだということはわかる。
で、肉が焼きあがったら、クラウ・ソラスが食べやすい大きさに切ってから、酢を満たした樽に投入。これまた三時間ほどじっくり漬け込んだ、と。
……宴に出されていた料理より手間かかってませんかね?
「ここだけの秘密なのですが――」
「はい」
「村長たちの
「やっぱり」
「内緒ですよ?」
唇の前にひとさし指を立てるセーラ司祭はたいそう可愛らしかった。
ほんとにイリアの母親なのか、この人。
……いやまあ、思い返せば、同じパーティだった頃はこんなイリアの顔もよく見かけていたっけ。俺に、ではなくラーズに向けられた表情だったが。
『隼の剣』を追放されて以来、イリアが俺に向ける表情といえば、蔑みでなければ仏頂面だったのですっかり忘れていた。
それはさておき、こんなに手間暇かけた料理の味を覚えてしまったクラウ・ソラスの今後が少し心配だった。
上の味を覚えて生肉を食べなくなったりしないだろうな。
悪いが、こんな手間をかけた料理を毎度毎度エサとして出すとか不可能だぞ。
ルナマリアは料理の腕こそあるが、エルフらしく肉料理には拒絶感を示すし、シールは大家族だったこともあってか「美味しい料理=安くて量がたっぷりある料理」な子だし。
森で一人で暮らしていたスズメにいたっては料理=水で煮るor火で焼くのみ。
俺の腕に関しては察してもらうとして、最近では
こんな状況でクラウ・ソラスのエサをセーラ司祭の料理と同程度に豪華にするとか、無茶いうなという話なのである。
……いや、待て。これを理由にして定期的にこの村に通うという手もあり、か?
イシュカとメルテ村の距離は馬車で七日あまり。気軽に行き来できる距離ではないが、空を飛ぶワイバーンならば片道で半日とかからない。
何の理由もなく頻繁にセーラ司祭に会いに来れば怪しまれるだろうが、クラウ・ソラスの好物をつくってもらうという理由があれば、そういった疑惑を回避できる。
いっそセーラ司祭を俺のクランに勧誘できれば話が早いのだが、メルテのように辺境にある村にとって、高徳の奇跡の使い手なんて望んでも得られない人材だ。
その使い手が村を出て行くことになったら、大変な騒ぎになるのは目に見えている。俺が非難されるだけでは済まないだろう。
いや、それ以前に、教会の責任者であり、孤児たちの養育者であるセーラ司祭が勧誘に応じるとは思えない。残念だが、この案は没に――
……いや、もう一回待て。それなら代わりの奇跡の使い手を見つければいいだけの話では?
あと、孤児である三人組も俺が引きとってしまえばいい。幸い、今の家は無駄に大きいから部屋は余っているし、子供の三人や四人、養えるくらいの稼ぎはある。
あ、でも、この村には旦那さんの墓もあると聞いたし、やっぱり無理かなあ……いやいや、諦めたらそこで試合終了ですよ。
そもそも、今回はラーズとイリアの仲たがいに付け込むべくやってきたのだ。メルテの村に恩を売ることができたのも成果と言えなくはないが、もうちょっと具体的な成果が欲しい。
俺はセーラ司祭に話しかける。
「あの、つかぬことをうかがいますが」
「はい、なんでしょう?」
「酢漬けということは、けっこう日持ちしますか、この肉?」
「そうですね、それなりには。ただ、これから暑くなってきますから、早く食べるに越したことはありません――今回の場合はいらぬ心配ですけれど」
セーラ司祭がクラウ・ソラスを見てくすりと笑う。
まあ、たしかに今回調理した分は完食間違いなしだろう。というか、たったいま完食した。
ぷぅー、と満足げな吐息をはきながら樽から顔をあげたクラウ・ソラスが、俺に気づいて目をまん丸にしている。
すぐに申し訳なさそうな素振りを見せながら顔を寄せてくるが――うお、お前顔中が酢まみれじゃないか。樽に顔つっこんで食べてたんだから当たり前だけども。
「そんなに美味かったのか?」
「ぷぎ! ぷぎ!」
懐から取り出した手ぬぐいで汚れを取りながら訊いてみると、クラウ・ソラスはどたんばたんと尻尾を地面に叩きつけながら盛んに叫ぶ。
やっぱりかなり気に入ったようだ。
そして、気に入ったのは料理ばかりでなく、セーラ司祭本人も対象に含まれているようである。
というのも、俺と一緒に顔についた酢をぬぐってくれている司祭の手を、クラウ・ソラスはまったく嫌がっていないのだ。
普段は俺以外の人間の手が触れることを嫌がるのに、ずいぶんと懐いたものである。これが胃袋を握られるということだろうか。
俺は思わず苦笑した。
「そのうち、狩った獲物を私ではなく司祭のもとに持ち込みそうですね、こいつ」
「村を救ってくれた功労者の頼みとあらば、喜んで料理させていただきますよ? さすがに毎日だと困ってしまいますが……」
「それはありがたいです――あの、わりと本気でお願いしてもいいですかね? もちろん毎日なんて無茶は言いませんし、しかるべき代金はお支払いしますので」
「はい、もちろんです。付け加えれば、代金ではなく、教会への寄付にしていただけたら言うことなしですね」
そう言ってにっこり微笑むセーラ司祭。
俺は慌てて目をそらした。
――いかん。今、ごく自然に「喰いたい」と思ってしまったぞ。
と、とにかく成果ゲット! よくやったぞ、クラウ・ソラス。これで次回の訪問理由を考える必要がなくなった。
これで心置きなくイシュカに戻ることができる!
俺がそのことを伝えると、セーラ司祭が驚いたように目をみはった。
「……お帰りになるのですか?」
「はい。なんだかんだでもう五日近くイシュカを空けてしまっています。クランのことや、腐海のことも気になりますので」
腐海はおおよそ焼き払ったはずだが、また何か異変が発生しているかもしれない。イシュカを発つ際、フョードルからもなるべく早く戻ってほしい旨を伝えられている。
鬼人族であるスズメのことも気にかかる。ルナマリアとシールに目を離さないように頼んできたから心配ないとは思うが、そのルナマリアとシールも問題ありといえば問題ありなのだ。
奴隷の首輪をつけたエルフ(美女)と獣人(美少女)とか、ある意味スズメと同じくらいに目立つ。絡んでくるおバカもいるだろうし、妙な騒動に巻き込まれていないとも限らない。
そういう意味でいえば、今回のメルテ行きはかなり無理をした結果だった。
それを口にすれば恩着せがましくなってしまうから、なるべく短い言葉で説明したのだが、セーラ司祭は感じるものがあったようだ。
深々と頭を下げて礼を言われてしまった。
「本当にありがとうございました。重ねてお礼を申し上げます」
「いえいえ、お気になさらず。困ったときはお互いさまです」
せいぜい好青年に見えるように柔らかい笑顔をつくる――ちゃんと好青年に見えているだろうか。未亡人と幼子たちをだます詐欺師に見えていないといいのだけれど。
そんなことを考えて、ふと気づく。そういえば、さっきからずいぶんと子供たちが静かだな。
そう思って三人組を見れば、眠そうにしきりに目をこすっていた。普段であればとうに寝ている時間だから無理もない。
チビガキ一号ことアインは大きくあくびをし、年下二人はこくりこくりと船を漕いでいる。
そんな子供たちにセーラ司祭が声をかけた。
「アイン。ツヴァイとドーラを部屋まで連れていってあげてください」
「……ふぁーい」
目をこすりながらうなずくアイン。ツヴァイはアインの右手を、ドーラはアインの左手を、それぞれ握り締める。
村に戻っていく三人の背を見ながら思う。
うん、アインは良いお兄ちゃんだな。
俺とラグナにもあんな風に手をつないで歩いた時代があったはずなのだが、記憶はすでにおぼろである。
あれはいつの頃だったか。たしか母さんとラグナの母親もいたはずだから、七歳よりも前であるのは間違いないのだが。
時ならぬ物思いにふけっていると、不意に横合いから視線を感じた。
振り返ると、そこには子供たちについていくと思われていたセーラ司祭が、じっと俺を見つめていた。
こちらを思いやり、気遣う優しい眼差し。言葉にせずとも、今しがた俺の胸をよぎった
その視線がむしょうに気恥ずかしくなって、俺は視線をあさっての方角に向けた。