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第三十一話 『偽善者』



 ねんがんの えるふどれいを てにいれたぞ !



 ――そんな風に浮かれているつもりはなかった。


 ただ、ラーズに勝利した夜、宿の部屋で奴隷の首輪をはめたルナマリアを前にしたときは、魂を喰らう以外の欲が強力にうずいたのは事実である。


 なにしろ一時は好意を寄せていた相手だ。口に出すことさえなかった想いだが、その相手を前にすれば平静ではいられない。


 なお、当然のごとく、ルナマリアはすべての権利を俺に譲り渡しているので、こちらの要求を拒否することはできない。これは奴隷商の立会いのもとで正式に取り交わされた隷属契約である。


 当然、俺としても遠慮する必要はない。今すぐにでも事に及びたいところなのだが、その前に確かめておかねばならないことがあった。



「で、何を企んでるんだ?」



 顔を紅潮させ、伏し目がちに立っているルナマリアに問いかける。


 ちなみに顔が赤いのは恥ずかしがっているからである。今、ルナマリアが着ているのはぴったりと身体にフィットした上下続きの絹服だ。手足の部分に布地はなく、背中と胸の部分はかなり大胆に開いている。


 このまま海で泳ぐこともできそうな、あるいは踊り子が神に捧げる神楽かぐらを舞うこともできそうな、そんな感じの衣服である。


 はっきり言ってエロい。しかも着ているのは優美の代名詞ともいえるエルフである。たいていの男がごくりとつばを飲み込むだろう――俺のように。


 ただし、俺はなにもスケベ心だけでルナマリアにこの服を着せたわけではなかった。はっきりいってしまえば、武器を隠せないようにしたのである。 



「……何も企んではいません、ソラさん」


「とぼけるな。賭けに乗ったのは……まあ、ラーズが勝つと踏んだからなんだろうが、だとしても大人しすぎるだろう。奴隷契約をするときも抵抗する素振りさえなかった。あの契約を結べば、自分がどういう扱いを受けるかは明白だ。それをあっさり承知したということは、俺の近くに来て何かするつもりだとしか思えない」



 もちろん、ルナマリアをそういう状況に追い込んだのは俺である。あの場で抵抗したとしても、結果が変わることはなかっただろう。


 抵抗するだけ無駄。それはそのとおりなのだが、だからといってそう簡単に諦められるものなのか。いいや、そんな人間が長年冒険者を続けられるはずがない。


 とつおいつ考えるに、ルナマリアは腹に一物を抱えているとしか思えなかった。




 ただ、問題は何を抱えているのかが読みきれないことである。


 普通に考えれば寝首をかくことだろうが、奴隷による主人殺しは大罪だ。死んだ方がマシという責め苦が死ぬまで続くことになる。


 もしくは、俺を油断させて別の人間――ラーズやイリア――に殺させる、という手もある。


 ただ、それにしたって殺害に関与した罪で相当の重罪に問われることになるだろう。


 そんな風に考えて俺が首をかしげていると、ルナマリアが静かに口を開いた。



「企んでいることはありません。ですが、訊ねたいことはあります」


「ふむ? なんだ?」


「あなたは――誰ですか?」


「……なんだ? 人の心を持たない化け物め、とか、そういう話か?」


「いいえ、違います! そうではありません」



 やや慌てたようにふるふると首を横に振ったルナマリアは、何かをためらうように宙に視線をさまよわせた。


 だが、やがて目に決意の光をたたえてうなずくと、まっすぐに俺を見た。



「……竜が見えます」


「………………なに?」


「あなたの中に、竜が見えるのです。夜よりもくらい鱗に覆われた一頭の竜が。はじめて見えたのは、ソラさんが蝿の王の巣から生きて戻られたときでした」


「………………ほう」


「人の身に竜を宿したのか、あるいは竜が人の姿をとったのかは分かりません。ですが、たしかに竜が見えるのです。だからお訊ねしました、あなたは誰なのか、と」


「生まれてこの方、御剣みつるぎそら以外の人間になったことはないな。それが答えだが……」



 俺はここで考えこんだ。


 間違いなく竜とはソウルイーターのことだろう。心装に目覚めた時期を言い当てていることからも、でたらめではないことがうかがえる。




「そのこと、誰かに言ったのか?」


「いえ……精霊使いとしての感覚でとらえたものです。他の方には証明のしようがないので……」


「ということは、他の精霊使いでも感じ取れるもの、ということか?」


「おそらくは。ただ、精霊のとらえ方は個人で異なりますので、断言はできかねます」


「なるほどね。そういう形で見抜かれることもあるのか……ああ、そういえば」



 ここで、俺はふとギルドで『隼の剣』の罪を問うたときのことを思い出した。


 あのとき、ルナマリアはひどく怯えたていでガタガタと震えていたが――



「もしかして、あれはその竜とやらに気づいたからか?」


「……はい。間近で竜に睨まれているのです。呼吸さえままなりませんでした」



 なるほど。そうなると、あの後、俺を追ってきて謝罪したのも、免罪符を得るための偽善的な行動というわけではなかったのかな。


 おもいきり悪し様に罵ってしまったが、早とちりだったとしたらばつの悪い話だ。


 いや、待て。それよりも――



「竜が見えていたのなら、今日の決闘、俺が勝つかもしれないとは思わなかったのか? どうして賭けに乗った? 俺とラーズが勝手に進めた話だ。断るといったって筋は通るだろうに」


「それは…………そうですね、ここまで明かしたのなら、もう歯に衣を着せる必要もないでしょう」


「ん、どういうことだ?」


「ミロのことです――あの子はあなたと通じているのではないですか?」



 それを聞いた瞬間、俺はハッと鼻で笑い飛ばした。



「通じている? 俺を蛇蝎だかつのごとく嫌っているあの女が? 面白い冗談だ。それも精霊使いの感覚とやらか?」


「行方不明だったミロが戻ってきてから、どこかおかしいと感じていました。ときおり、精霊がおかしな働きをしていることがあったからです。ただ、それは漠然とそう感じていただけで、確たる証があったわけではありません。確信したのはラーズとソラさんが決闘を決めた日のことです」


「何があった?」


「ミロは言いました。自分を賭けの材料にするつもりだったのに、結果としてその役目を私に負わせることになってしまった、申し訳ない、と。真摯に謝罪しているように見えましたが……肩の上で、いたずら好きのレプラコーンが踊っていました。それで気がついたのです。ミロはこの状況を楽しんでいるのだ、と。そう思って聞けば、ミロは明らかにラーズをたきつけていました。私やイリアが危惧を口にしても、それを笑い飛ばしてラーズを決闘に導こうとしていた」



 そこまで言って、ルナマリアは力なくかぶりを振る。



「いえ、そもそもシールという獣人の女の子、あの子のことをはじめに口にしたのもミロでした。はじめから、すべて計算していたのではありませんか?」


「さてね。だが、それを疑っていたのなら、なおさら疑問だな。どうして賭けに従った? ミロが俺に通じていると思ったなら、その旨をラーズ――は信じなかったかもしれないが、イリアなら話くらいは聞いてくれただろう。それこそギルドマスターに相談してもいい」


「当然考えました。でも、そうしてミロをパーティから外したところで、あなたは別の手をうってくるだけだと思ったのです。へたに竜を刺激するよりは、今のうちに事を収めるのが得策だと判断しました」


「得策、ね。竜の狙いが自分であるなら、自分の身を捧げることで何とかしよう、ということか? まあ、たしかに悪竜といえば生贄の乙女が定番だが」


「私の考えすぎでしたら謝罪します。ですが――」


「ふん、まあそうだな。考えすぎではない」



 言質をとられる恐れもあったが、今のところ俺の感覚に触れてくる気配はない。聞き耳を立てている者や天井裏に潜んでいる者はいない。


 ここで何を言っても後々問題になることはないだろう。仮に問題になったとしても、どうとでもごまかせるしな。



「しかし、なんでまたそこまでする? 生贄の乙女が勇者に助けられるのは物語の中だけだぞ?」


「『自分を満足させるだけの謝罪なんぞ、鏡に向かって勝手にやってろ、偽善者フェイカー』」


「む」


「あの日、私は蝿の王に追われるあなたを見捨てました。蝿の王に捕まればどうなるかがわかった上で。ミロのとった行動をこの目で見た上で、それでもなお自分と仲間の命を優先したのです。そんな私があなたに何を言ったところで説得力なぞあろうはずもありません。おっしゃるとおりです、私は『偽善者フェイカー』でした」



 そう言うと、ルナマリアはゆっくりと俺の前に進み出て、そこで膝をついた。


 そして深々と頭を下げる。主君に頭を垂れる臣下のように。



「今度は言葉ではなく、行動で示したく思います。もしかしたら、これも偽善なのかもしれません。ですが、懸命に努めます。この身と心のすべてを挙げて、あなたにお仕えいたします。どうか私がおそばにはべることを許していただけませんか?」


「……許すも何も、お前はとっくに俺の奴隷だ。嫌だと言っても逃がすつもりはないぞ」



 ぶっきらぼうに言ったのは、それ以外に言いようがなかったからである。


 恨まれたり、憎まれたりは想像していたが、まさかおそばに侍らせてくれ、とか言われるとは思わなかった。


 そんな俺の返答を聞いて、ルナマリアはぱっと花が開くように微笑み、そして言った。



「はい! よろしくお願いいたします、私のご主人さま(マイマスター)



 

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